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片付けられるようになるまでの15年間・①

物を捨ててもいいということを知ったのは20代半ばの頃。
言わずと知れた、やましたひでこさんの著書「断捨離」を読んで衝撃を受けた。

いらない物をとっておくのは空間が勿体無い。
それは自分にとってもモノにとってもよくない。
使えるか使えないかではなく、今使っているのか使っていないのか。
いつか使えるかもの「いつか」はこない、などなど。

読んで光が見えたような気がした。

わたしは元片づけられない人だ。

20代前半がピークだった。
どれほど酷かったかというと床には空のペットボトルが数本転がっている。
足の踏み場はなく、洋服は椅子の背もたれに積み上がり、部屋の隅には綿埃。
仕事は忙しく、荒れた部屋は見て見ぬふり。
そして驚くべきことに友人を招くのも平気だった。
今振り返ってみてもどうかしていた。
忙しいが口癖で、そのくせお酒を飲みにいく時間は睡眠時間を削って捻出していた。
寝不足で出勤し、ストレスが溜まったと言い、憂さ晴らしに飲み、部屋は荒れる一方。
仕事にも周りの人にも、そして自分にも誠実さがなかった。
その場しのぎで何年も生きていたように思う。

その頃のことを思いだすと、楽しいことももちろんたくさんあったけれど、自分のいい加減さ、不誠実さに心がぎゅっと縮こまる思いがする。
なんて性格がわるかったのだろう。
心底戻りたくない。
若さゆえの未熟さからくるのかなとも思えなくもないが、わたしのあらゆることから目を背け続けたあの頃の性格の酷さはトップレベルだと思う。

そんなどうしようもない時期から15年。
わたしの家は現在とてもすっきりしている。

玄関から窓の光が見える、このすっきり感がすき

ここまでたどり着くまでには様々なターニングポイントがあった。
その一つ目が冒頭に書いた「断捨離」という本との出会いだった。

結果的に当時はそこまで突き詰めることはできなかったが、この著者の考え方は後々の生活に影響を与えた。

もう気持ちがないモノを後ろめたさで残しておくのは健やかではない。
管理する手間も必要だしスペースも取られる。
断捨離は対モノだけではなく、人間関係などあらゆる出来事に関わってくること。
人生は取捨選択の連続。
今ではすっかり広く知られた概念だが、当時は目から鱗だった。

いつか「片づけられない人」をどのように脱却していったかをnoteに書いてみたいと思っていた。
多分長くなるだろうなあ、となかなか踏み出せなかったが今日書き始めてみた。
何回になるかわからないけれど分けて書いてみよう。

片付けられない人は卒業できる。
ひどすぎたわたしが言うのだから信憑性は高いと思う。
あと片付けられるようになると性格も変わる。
これも間違いない、実感しています。

以上。
今日はここまでにします。



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