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「ママ友」ではなく「友達」と呼びたい。

保険の契約内容確認の封筒に紛れて一通の絵ハガキがポストに入っていた。

差出人を見て嬉しくなる。私の大切な「友達」からだった。

郵便番号が我が家と一桁目が違うだけの近距離に住む友人。

彼女は昔からの友人のように時々こうして手紙をくれる。それ自体も嬉しいし、絵はがきに手書きのメッセージを添えて送るという、彼女のその感性が好きだなぁと思う。



出会ったのは3年前。長男の入園式だった。

今思うととても不思議なのだが、「どこかで会った事ありますよね?」と彼女から声をかけてくれた。結局その後、どこで会ったのかが分かる事はなかった。

子供同士が同じクラスだったので、会えば世間話や子供のあれこれを話した。子連れで遊びに行ったりもした。

一年以上はそんな感じで、いわゆる「ママ友」だった。



彼女との距離感に変化があったのは出会ってから一年半経った頃だった。

入院していると聞いていた彼女のお母さんが亡くなった。ひどく落ち込み、思い出しては涙が出てきて仕方がないと言っていた。

周りのお母さん達も優しい言葉をたくさんかけていた。私も何か言おうとしたが、言葉が見つからなかった。

その数日後のある夜、彼女の事を思ったら急に涙が止まらなくなった。

私もその淋しさを知っている。

知ってるよ。とてつもなく辛い事も知っている。知っている私なら彼女の話をちゃんと聞いてあげられるかもしれない。そう思った。

そしてLINEをした。

『良かったらお母さんの話を聞かせて下さい。あと、あつかましいけれど私のお母さんの話も聞いてもらえないかな。』

次から次へ涙が溢れた。

文字を打ちながら、そうか私もずっとずっと誰かにお母さんの話をしたかったんだと気付く。

家族が亡くなったという話はデリケートだ。話した所で気を使わせてしまうため、あまり誰かに深く話す事はなかった。

彼女にならきっと話せる。

そうして私達はお互いのお母さんについて話す「母を語る会」をしようと約束をした。



母を語る会で私達は大いに泣いた。

痛い程共感できる事がたくさんあった。

いい歳した大人の女二人がわんわんと泣き、ずるずると鼻をかみ、昼食にぱくぱくとパンを食べた。

ただ一つ違いがあった。

私は母が亡くなって15年近く経っていたが、彼女のお母さんは亡くなったばかりだった。

一緒に過ごしてきた時間も長ければ、傷もまだ新しい。過去の事にはなっていかない。

まだまだお母さんを思い出して淋しくなる瞬間がたくさんあるだろう。そんな時、話を聞く事しかできないけれど力になりたいと思っているよ。



今日、彼女に返事を書いた。

お気に入りの海のイラストの絵ハガキにお気に入りの記念切手を貼った。

なんて事ない文章を書きながら、内容ではなく手紙のやりとり自体が嬉しいんだよなと思う。子供の頃のワクワクを思い出す。

最後に「また会おうね。」と書いた。

自転車で10分の所に住む私の友達。

きっとポストに入れた絵ハガキの方が長い旅をして彼女の家に辿り着くんだろうな。そう思うとまたワクワクとした。

早く会える日が来ますように。





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