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お風呂の記憶

数日前、8歳の次男と久々にお風呂に入った。

湯船に一緒に浸かっていると彼が
「みてみて」
とお湯の中で両手を組んだ。
右手と左手を、ひとりで握手するように合わせる。
両手の隙間にお湯を入れ、ぷくぷくと空気の泡が水面に上がってくる。
それから両方の手のひらを勢いよくくっつけると隙間からお湯が、まるで水鉄砲のようにぴゅっと飛び出す。

彼がまだ幼稚園児だった頃か、もしかしたらもっと前だったのかもしれない。
子供達とはよくそうして遊んだ。
湯船で、幼い長男次男とわたし、遠い昔のことのよう。
「めっちゃ上手になったやん!懐かしい、よく覚えとったなあ。」
わたしがほめると
「違うで。この間ユウスケに教えてもらったんやで。」
と彼は言った。

わたしにはユウスケという2歳下の弟がいる。
先月半ば、わたしの実家へ行った際に次男は、同じく遊びに来ていた弟と一緒にお風呂に入ったのだ。
弟にも子供が2人いて、4歳のお兄ちゃんとウチの次男、そして弟の3人でわいわいと楽しそうだった。
その日に教わったそうだ。

そうだった。
ルーツはそこにあった。

わたし達姉弟はそれぞれ40歳と39歳(弟は春生まれなので実際は1歳半違い)。
一緒にお風呂に入っていたのは30年以上前のこと。
団地の狭いお風呂。
湯船も小さくて、父か母とわたし達2人が浸かればお湯は簡単に溢れてしまう。
CMのマネをして(入浴剤のCMだったかな?)
「プールみたい!」
と言うのが姉弟間で流行った。
そしてその頃、我が家のお風呂遊びの定番がこの「手の水鉄砲」(正式名称あるのかな?)だった。
特に母が得意で、かなり飛距離があったと記憶している。

時は流れ、昭和から平成そして令和。
今では年に2、3回会う程度の姉と弟。
それぞれの家庭で、それぞれの子供と、同じことやってたみたい。
三つ子の魂百までってゆうやつ?

現在はいいおっちゃんになった弟とはたしかに兄弟であり、家を出るまではずっと同じ空間にいて一緒に育ったのだなあと、当たり前みたいなことを不思議に思う。

そして、まだ若かりし頃の両親と幼いわたし達の、微かな記憶が現在に繋がり、時を超えてまた体感できたような気がした。

じんわりと懐かしさが込み上げてきたらなぜか恥ずかしくなり、照れ隠しで次男めがけて、ぴゅーっと渾身の水鉄砲。
かなりの飛距離。
今のわたしなら母に勝てるかもね。

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