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自力か他力か

親鸞聖人の娘が開基した西本願寺は、1321年に親鸞聖人の曾孫である覚如によって「本願寺」と名付けられました。

「領解文」(りょうげもん)は、浄土真宗のみ教えです。
浄土真宗の教えの受け取り方(領解)をあらわした文章です。

領解文は、阿弥陀さまのお救いを「私はこのように受け取っています」と表明する「領解出言」を整理して異口同音に出言できるようにしたものです。蓮如上人の時代から、自身のご法義の受けとめを表出するために用いられてきました。

領解文は、浄土真宗の根本教義である「信心正因(しんじんしょういん)・称名報恩(しょうみょうほうおん)」を簡潔に示しています。また、信後の生活が勝手気ままであってはならないよう、ていねいに戒められています。

領解とは、念仏のいわれを正しく聞き分け、疑いはれることを意味します。仏教では「りょうげ」と読み、ほとけの教えを知識として理解するだけでなく、心から『その通り』と納得するさまを指します。真宗では「信心」と同意語として用いられています。

本願寺の第八代蓮如上人が作ったとされています。

真宗大谷派では「改悔文」と呼ばれています。

宗教は大きく分けて一益法門と二益法門の二つに分けられる

宗祖親鸞聖人の釈義の上に示されているように、定聚・滅度はこれ二益か、また一益か、と問うたところ、これ二益なり、とされています。定聚というはこれ不退に当たる、滅度というはこれ涅槃を指す、とされています。

二益法門
浄土真宗における利益は、「現生」において正定聚の位に入る益(現生における利益)と「当来(来世)」における滅度の益(来世の利益)との二益です。

正定聚とは、邪定聚や不定聚に対し、滅度に至ることに正しく定まった聚類のことです。滅度とは、煩悩を滅し、迷いの世界を渡るということ、大涅槃であって、生死の迷いの因果を滅した仏果をいいます。

一益法門(いちやくほうもん)とは、南北朝時代に越前の大町如道が唱えた不拝秘事を指します。秘事法門とも呼ばれ、北陸を中心に広く普及しました。

一益法門では、信心を持った者はすでにこの世で秘かに仏の悟りを開いていると主張しています。また、死後の浄土往生を認めず、阿弥陀仏の救いはこの世だけとする誤りであるともされています。

蓮如上人は、『御文章』で「浄土真宗の教えは一益でしょうか、二益でしょうか」と尋ねた人に、一益ではない、二益であると答えています。

自力と他力 回向の違い
「自力回向」とは、自分の力で修めた功徳によって悟りの果報を得ようとすることです。自力で得た功徳をさし向けて、悟りを得るためのてだてに資することをいいます。
自力とは悟りを開いて仏になるために修める修行の力。

真宗では、功徳をもらうのは故人ではなく私たちの方であり、仏よりさし向けられた功徳、すなわち「他力回向」のなかにすべてがあるとします。「自力回向」は認めない

「自力回向」の宗派には、禅宗・真言宗・天台宗などがあります。
浄土真宗本願寺派は「(他力)本願力回向」の宗教です。

親鸞聖人は、「自力というは、わがみをたのみ、わがこころをたのむ、わがちからをはげみ、わがさまざまの善根をたのむひとなり。」と自力回向を説き、他力回向こそが正しい回向であると説きました。
往相回向も還相回向も他力の恵みです。

「他力回向」とは、仏や阿弥陀仏が衆生を救おうという願力によって成就された功徳を、恵みとして衆生にめぐらし与えることです。
浄土真宗では、阿弥陀如来の本願によって生きとし生けるものすべてを平等に救うと説く教えを「本願力(他力)回向」といいます。

他力か自力か
江戸時代にも及ぶ論争で学僧に死者も出た。

三業惑乱
西本願寺教団史上最大の異安心(異端)事件
功存は同説を抑えるため、本山から越前福井御坊に赴いて主唱者の浄願寺龍養を糾明し、1764年(宝暦14年)にこの時の問答を『願生帰命弁』に著した[2]。だが同書は、意業(心による)・口業(口による)・身業(体による)の三業を通して阿弥陀仏に救済を求め、それぞれの業に帰命の相が伴っていなければならないという自力的な要素を含む「三業帰命説」(三業安心説)の立場をとっていた。
1781年(安永10年)に真宗大谷派(東)・宝厳の『興復記』により『願生帰命弁』に対する批判がなされている。
功存は1769年(明和6年)から1796年(寛政8年)に死去するまで西本願寺学林第6代能化を務めた。
1797年(寛政9年)に西本願寺学林第7代能化に就任した智洞が、『無量寿経』の講説の中で「三業帰命説」を唱えたことで三業惑乱の紛争が拡大していった。

古義派は、三業をそろえて頼むのは「自力」の所業であり、他力往生の教義に反する(一念帰命説)と主張した。学僧・大瀛『横超直道金剛錍』

門徒宗には武装して本願寺の三業安心派の学林へ攻め込もうと集まった地域もある。
美濃国大垣藩藩主・戸田氏教は事件を江戸幕府に届け、7月の終わりには、江戸の築地御坊の輪番(江戸在住の本山の役僧)が寺社奉行・脇坂安董の役宅へ呼び出され、事情聴取された。脇坂安董は1802年(享和2年)11月、本願寺派本山に対し警告書を突き付けた。

1803年(享和3年)1月、三業安心派の僧侶や門徒が本山に押し寄せ、安心(往生)に関わる権限を学林へ一任するよう強要し、槍を持って門主の室近くへ侵入する事件が起きた。

2月に古義派は智洞の能化解任を求め、大瀛とそれを支持する石見の履善(りぜん)、京都の春貞(しゅんてい)、河内の道隠などが上洛して、本山に論戦を挑んだことで京都は騒然とした。

本山はこの処置に窮して京都所司代に訴えた。

4月、京都二条城で大瀛・道隠と智洞の討論が行われることとなった。
5月に智洞や大瀛をはじめ、騒動に関わった40人余りに入牢を命じ、翌1804年(文化元年)1月、幕府は智洞・道隠・大瀛らを江戸に護送し、両派と本願寺役人、越中からも闡郁と義霜とを江戸に召喚し、寺社奉行所で討論させた。

古義派の大瀛が築地本願寺で客死し、翌年には智洞も獄中で死去し、その他の者も遠島に処せられた。

江戸時代中期に浄土真宗本願寺派の教義をめぐって発生した大規模な紛争です。
本願寺派門主が寺社奉行の裁定を追認する形で決着した。

双方より聴聞を行って下した判決は名裁きであると、老中首座の松平信明からも賞されている。1837年(天保8年)には老中に昇進している。

1806年(文化3年)7月11日、脇坂安董は三業帰命説を異安心であると判断し、本願寺派本山に対して宗門不取締の責を問い、100日の閉門処分を行った。

閉門が解除された11月、門主の本如が『御裁断御書』を発表した
前後十年に及んだ三業惑乱の騒動に、教義上の決着をつけられた消息である。

御裁断御書 本如上人
本書は、本願寺派最大の安心上の騒動であった三業惑乱に際して、第十九代宗主本如上人が出された消息である。

内容は、三段に分かれる
第一段においては、経論所説の他力の信心を、親鸞聖人は、「ふたごころなく疑なし」と無疑の信楽をもって示し、その信心の相を蓮如上人は、『御文章』のなかで、「後生御たすけ候へとたのみたてまつる」と教えられたとして、信楽帰命説が正義であると決択されている。

第二段において、三業帰命説を異義とし、信決定の年月の覚不覚を論ずることの誤りであることを指摘される。

第三段においては、迷心をひるがえして本願真実の他力信心にもとづくよう教化して全体を結ばれる。

自力仏教の経典である「般若心経」は浄土真宗では勧められず、
他力仏教である「浄土三部経」を拝読するよう勧められます。

般若心経は、大乗仏教の「空」の思想というものを説いています。
仏教における「空」とは、すべての事物が本質的には「空虚」であるという考え方です。事物は固定された、変わらない「本質」を持っていないとされ、
物事が永遠に不変であるという幻想を打破し、有無、是非、善悪すべてのものが相互依存し、一時的で変わりやすいものであることを指します。

「諸法無我」とは、「この世の全てのものは因縁でできており、個として独立しているものは1つもない」という意味です。

「空」は梵語「シューニャ」の訳語
「空」には、無と有、否定と肯定の両方の意味があります。
語根「シュヴィ」は「膨れる、成長する」の意味をもっています。

「空」の思想を取り上げた般若心経では、すべてのものに実体がないことから、苦しみも悲しみも恐れる必要はないと唱えます。そして、この「空」を突き詰めていくことで悟りが開けると言っている

般若心経でいう智慧は、世の中の在り方や現象の深い知識のことです。

「色即是空」は、「形あるものは何もない」ということを説明しているのです。
この世のすべての事象は永遠不変の本質をもつものではなく、すべて空であり、また、空であることがこの世のすべての事象を成立させる道理であるということ。

「空即是色」は、一切の存在は現象であって空であるが、その空であることが体得されると、その現象としての存在がそのまま実在であるとわかるということ。

事物に固有の本質はないが、そこに固有の本質があるかのような錯覚はある。それが錯覚にすぎないこと気づかせるために、「空」という否定的な響きのある言葉が選びとられたとナーガールジュナは言います。ただし、空が正しく理解されるというのは、錯覚を錯覚であると気づくこと、それによって煩悩の根源に巣くう概念化(戯論)という心のはたらきから解放されることを意味しています。
ナーガールジュナによれば、このような理解こそがひとびとを煩悩から解放し、じつはそれこそがブッダ自身の本来の煩悩論にほかならないというのです。

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