読書メモ:BLUE GIANT

BLUE GIANTとBLUE GIANT SUPREMEというマンガを借りて読みました。借りた。読んだ。返した。で済ませるのがもったいない作品と感じましたので、記憶に頼って読書メモを書きます。

このマンガはJAZZをあつかっています。JAZZって聴いたことがありますか?JAZZ風の音楽はあふれかえってどこでも聴けますけれども、JAZZど真ん中の楽曲を積極的に聴く人ってどれくらいいるんでしょうね。私自身はサッチモ、バード、マイルス・デイヴィス、コルトレーン、セロニアス・モンク、キース・ジャレット当たりの大物の名前がやっと出てくるくらいの感じです。

主人公の宮本大はテナーサックス奏者です。とにかく毎日サックスを吹きまくる。JAZZというものに対する直観的な理解に即してとにかく吹きまくる。そしたらある日ヨーダ(師匠)に出会うわけです。ヨーダの遠慮呵責のない指導のもとまたまた吹きまくる。東京にでていってもドイツにでていってもとにかく吹きまくる。世界一を目指して。

勇者の成長と苦難の神話としての物語が描かれていて、昔ながらの神話の構造はやっぱり強いな。読んでいて心地よいな、と感じます。

すごいのはライブの絵です。作者だって自分で突っ込みをいれてますが、マンガでは音は伝わりません。音がでないのに音楽マンガを描いているのです。でもそんなことは関係ないんだな、ということは読んでいて理解しました。

なんらかのルールにそってプレイヤーが努力をして、大技を繰り出す。JAZZではあるコード進行に沿ってインプロビゼーションを工夫する。そのシーンが迫力のある魅力的な絵になっていさえすれば、マンガとして成立します。音がでているはずのシーンで情熱的なプレイをしているプレイヤーが描かれ効果音すら書かれていない。そんなシーンの連続の中で、音が聞こえているわけではないのに、ライブに参加しているそんな気にさせられました。

JAZZでドラゴンボールを描いてるっていうのがすごい皮相的ですけど正直な感想です。JAZZのライブを聞きたくなりました。そして自分でもJAZZをやりたくなりました。自分でも実現する可能性がちょっとでもある当たりがドラゴンボールとは少し違うところですね。

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