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ちょうどいい間合いとは《ソーシャルディスタンス》

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渡邉帆南美 Honami Watanabe

《ソーシャルディスタンス(ソーシャルディスタンシング)》2020年/ペン・インク/210×297/紙 


今、私は一人、自宅近所のお気に入りの公園で、この文章を書いている。季節は初夏なだけあって、近頃は日が長くなった。18時半という時刻でも子供も大人もボール遊びをしたり、少し離れたところからは心地のいいアコースティックギターを奏でながら歌っている人もいる。

改めて周りを見渡してみると、マイテントを張る人、ボール遊びをする人、読書をする人などなど、みんなそれぞれ思い思いの時間をすごしている。

家族からカップル、子供から老人まで、様々な世代の様々な関係がこの公園に集まっている。ソーシャルディスタンスという切迫した環境のなかで、開放的になれる瞬間を求めているのはみんな同じだ。ここはとにかく山と川と池のある広い敷地の公園なので、お互いの間合いはおおいに取れており、常に穏やかな風が吹いている。空気も街中にいるよりは良さそうだ。

私にとって、この場所が近くにあったことは本当に幸運だった。現在一人で生活しているので、人の声を間近に感じられることは、精神的に安心感を得ることができる。この束の間の開放感を日々楽しんでいる。

さて、本題である私の新作について。今回ご紹介する作品は、《ソーシャルディスタンス(ソーシャルディスタンシング)》。コロナウイルスの感染症問題で耳にすることが増えた言葉で皆さんご存知の言葉となっているが、一応解説すると、日本語の意味は「社会的距離戦略」ということでウイルス感染を防ぐために物理的な人との距離を確保しようという意味らしい。

感染症については、第二波以降の感染を防ぐために、集団的に抗体を作るためにある程度軽く感染しておく方がいいという考え方もあり、物事は完全隔離すればいいという単純な問題ではないようだ。

この作品では、感染症のことだけでなく、人同士、もしくはコミュニティ同士が、近寄ろうとして死んでしまうものや、うまく結びつくことを描いた。特に凝った表現はせずに、今ある状態をシンプルに描くと客観的に気づくことがあるのだろうかと思い描いた作品だ。

今、目の前の芝生にいた男女二人組の男性の投げたボールを取り損ねた女性がいた。こちらにボールが飛んで来る。距離感を忘れ、力を入れ間違えたのか男性が恥ずかしそうにそれを取りにきた。元に戻った二人はまた笑いあって楽しそうにボールを投げ合っている。

果たして、二つの異なる世界が出会った時、確実にうまくやっていくためのちょうどいい間合いの取り方とは、本当にあるのだろうか。それともやはりそれは運のようなものなのか。もしくは、致死量にならない程度の失敗を重ねながら、抗体を作ることを学んでいくのか。私の描いたこの絵からあなたは何を感じるだろうか。

さあ、そろそろ暗くなってきた。周りの人はいつの間にか片付けを終えたようで、ほとんどいなくなってしまった。そろそろ帰ろう。また、明日にでもここに来るのが楽しみだ。

そうしていつかは、私もここに大切な誰かを連れて遊びに来たい。




●参考・引用文献/関連情報紹介





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