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生命を製造する人々から学ぶ《私たちの由来》

渡邉帆南美 Honami Watanabe

《私たちの由来》2020年/鉛筆・インク/210×297mm/紙 


ポール・ゴーギャンの油絵作品《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか》は非常に有名で、そのタイトルの言葉だけでも聞いたことがあるという方はたくさんいるだろう。

まさにこのタイトルのように、私たちは日々の生活のなかで、ふとした瞬間に自分は何処から生まれてきて、その生命はどういう意味をなし、どう死んでいくのかという事をおそらく一度くらいは考えたことがあるのではないだろうか。

そもそも生物に生命が宿っているということはどういうことだろう。フランスの科学者であるルイ・スパーツは、「生命体を宿していない物質が生命を宿すことはない」と証明した。その後、約150年後にノーベル賞受賞者で、シカゴ大学の教授ハロルド・ユーリーと教え子のスタンリー・ミラーが、人工的に生命を作り出すための実験を始めた。彼らは我々の生命の母体となった地球環境、つまりこれまでの様々な証明のなかで、生命が宿る前の惑星の状態であると言われていた環境を試験管の中で再現することにした。その結果、生命の細胞の元になるアミノ酸が生み出されただけで、そこに完全な生命は宿らなかった。

たとえ、きちんと材料が揃っていても、そこに必ず何かが生み出されるとは限らない。それが生命の神秘である。

我々が神と呼んでいるような存在などが本当にいて、この世界を創造したのだろうか。それとも生命は、何か別のかたちで、他の惑星から偶然運ばれてきたものなのだろうか。その答えはわからないが、いずれにせよ、それが偶然の産物であるなら、自分の存在も偶然にすぎず、我々が何のために生まれ死にゆくのかは、自分で決めるべき命題なのだろうか。

今回私が描いた作品《私たちの由来》は、それぞれの人生における偶然の重なりと可能性を描いた。「死んだ魚のような目」という言葉があるが、生命のエネルギーは目に宿るのだろうと思い、その様を表現した。また言動の繋がりと身体の中のエネルギーも描いている。

もしも、自分たちがなぜ生まれ、何処からきたのかをいつの日か完全に理解する時がきたら、安定した気分で長く続く生命を得るのだろうか。それとも、自分がこう信じて生きるという自由な選択は不自由になってしまうのだろうか。生命とは明確さのない存在であるからこそ、自分がどうあるべきか、自分で選択できる自由があるという事なのかもしれない。本当に自分が生まれた理由を知ってしまった時、人はどんな気持ちになるのだろう。

この絵から、あなたや私はどの様な生命のあり方を見出すことができるだろうか。






●参考・引用文献/関連資料紹介



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