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私たちの未来が落下する重力とSF

人生も、人間関係も、仕事も進路も私が決めてるのではなく、発動条件さえ揃えば自動的に進んでいく物なのかもしれない。そんなことを最近考えます。

なんだか、最初に全て決まっていたような気がするんです。それは運命のような物語的な筋書きではなくて、プログラムみたいに「私はこのタイプの人と居るとモチベーションがあがる」「このプロジェクトはこのタイプの人の気を滅入らせる」のような細切れの条件の組み合わせ。

人間が何かをしようと5人集まったとして、5人それぞれが莫大な量の細切れ条件を引っ提げてくる。発動条件が揃ったものから発火して、良いこと悪いことがぽんぽん起こるわけだけど、人間の頭じゃ処理仕切れず、予測は立てられない。

何が言いたいかというと、私たちの意思に関係なく、物事はほとんど自動的に起こってしまうんじゃないかってことです。世の中の流れって、いくつかに分岐した道をイメージする人が多いと思うけれど、どちらかというと落下に近いんじゃないか。

私たちは、未来その1、未来その2……と書かれた標識を見ながら未来を選択することなんてできない。発動条件が揃った場所に重力が起こって、そのまま落下するしかない。ここのところ、こちらのほうが真実らしく思える。(落下というとネガティブに聞こえるかもしれないけれど、これは抵抗できない流れという意味合いであって、悪い未来に進んでいくという意味ではない)

さて、だからといって運命に身を任せるなんて言えるほど出来た人間ではないので、大体の未来を知りたいな、できれば少しでも素敵な場所に落ちたいなと思うわけです。

そのヒントになると思ってるのが、SF小説。最初に紹介する『新世界より』を読んだときに思ったのだけど、SF小説は宇宙を舞台にドンパチやる空想物語ではない(ちょこっとそう思ってた)。現実世界からいくつかの条件をズラしたら、世界はどうなるか?という思考実験を物語にしたものだ(と今のところ思っている)。

SF小説の通りに物事が進むというのではなく、SF小説の1冊1冊が作者の「こんな条件が揃ったら、世界はこんな風に落下すると思うのだけど、どうだい?」という問いかけな気がしてならない。

「あぁ、『月は無慈悲な夜の女王』の発動条件が揃ったな。世界はこちらに落下し始める」なんて見方ができれば、世の中の変化、何も怖くないと思うのだ。

自分から注連縄(しめなわ)の外に出るカミサマになれるか ー36  『新世界より』 貴志祐介

神世界より

新世界より(上)』貴志祐介

「私が、あなたにした話の意味を、よく考えてみて。鎖は常に、一番弱い環から破断するのよ。私たちは、常に、最も弱い者に対して、気を配らなくてはならないの」

貴志祐介. 新世界より(中) (Japanese Edition) (Kindle の位置No.2793-2794). 講談社. Kindle 版. 

1000年後の日本が舞台のSF。人類が念力(物体に触れることなく動かす力)を手に入れた世界で、注連縄(しめなわ)に囲まれた集落で暮らす子ども達が主役。暖かい家族や集落の大人に守られて純粋に育った子ども達が、自分たちの生活がどのような歴史や犠牲の上に成立していたか知ることから始まるストーリー。

『新世界より』の主人公サキとその仲間達は、成長とともに"正しく"念力が発現した人間。この世界には念力が使えないけれどカタコトの日本語を話す生物バケネズミが居る。バケネズミは人間を「カミサマ」と呼び、14歳のサキたちにもへりくだって敬語を使う。

特別な能力を持ち、均整のとれた体で、流暢に話すカミサマ。ネタバレを避けるけれど、読み進めると、子ども達は「カミサマ」ではなく、「カミサマたちのひとり」だとわかる。結構怖いかたちで。

何が違うのか。カミサマは唯一絶対で存在を脅かされることはない。けれど、カミサマたちのひとりは、カミサマの世界を乱さないよう監視され、管理され、異物であれば排除される。

親ガチャなんて言葉が流行っているようだけど、現代日本に生まれた私たちは運がいい。カミサマなんて言う気はないけれど、しめ縄のうちでそこそこ豊かに生きている。

特別な私たちの仲間入りをすることは、特別な資格があるか常に見定められることでもある。そんな窮屈な世界入っていきたくないワ。って人は多いだろうけれど、すでにあなたも私もしめ縄の内に生まれている。

さらに盤石でさらに特別なしめ縄の内側を目指すのか? しめ縄の外側に踏み出すのか? 

どちらが正解かはわからないけれど、主人公はいつも後者だ。

なぜタイムスリップするのは学生か学者なのか 37 『夏への扉』  ロバート A ハインライン

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夏への扉』ロバート A ハインライン

なんどひとにだまされようとも、なんど痛い目をみようとも、結局は人間を信用しなければなにもできないではないか。まったく人間を信用しないでなにかをやるとすれば、山の中の洞窟にでも住んで、眠るときにも片目をあけていなければならなくなる。いずれにしろ、絶対安全な方法などというものはないのだ。ただ生きていることそれ自体、生命の危険につねにさらされていることではないか。そして最後には、例外ない死が待っているのだ。

ロバート A ハインライン. 夏への扉〔新版〕 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.3881-3885). Kindle 版. 

主人公ダンは愛猫ピートと一緒に30年の冷凍睡眠に入る。冷凍睡眠は、健康なまま外見上の歳はとらず30年後に目が覚めるという保険会社の商品。自分が作った会社でチーフ・エンジニアとして働いていたダンは恋人に裏切られ、自分の発明の成果を奪われ、自暴自棄になっていた。眠りから覚めた30年後、(元)恋人の策略に気づき、過去をやり直そうと決意する。

過去へ未来へ行ったり来たりするタイプのタイムスリップではない。過去へはいわゆるタイムマシンで行くが、未来に戻るときは冷凍睡眠。この仕掛けが考察どころを作っていて面白いのだけどそこは手を出さないでおきます。

この本で新鮮だったのは、主人公の発明家ダンが、ことごとく経営者や営業職と肌が合わないところ。発明や個人を商品化して利益を生む考えになかなか乗っからない。もちろんお金に興味がないわけではないが、優先度としては追求や発明に遠く及ばない。

経営や営業に関わるたびに、ダンの技術者としての輪郭がはっきりしていく。知的好奇心旺盛で、利益よりも発明そのものに価値をおく人間。自分が頭で考えた発明がすでに別の人間によって実現されていたとき、悔しいではなく「そいつに会いたい」と考える。

私はこういう人を、敬意をこめて「オタク」だと思っている。評論家の宇野常寛さんが言っていた定義だと、オタクとは自分の外側に自分より大事なものを持っている人だ。主人公ダンは紛れもなくオタク的な技術者。

そして、経済社会に浸かりきっておらず自分の利益計算に疎い。友情のために突き動かされる学生。世間体より知的好奇心を優先するタイプの学者。彼らも私の中では、敬意をこめてオタクだ。

タイムスリップの主人公に学生や学者が多いのは、彼らが過去の修正だけしてスマートに物語を終わらせる、なんて出来ないからだ。利益欲より好奇心が勝り、どうしても新しい未来の扉を開いてしまう。(本来の未来の扉が閉じるとしても)

小説を面白くするエッセンスは、そのまま人生を面白くするエッセンスとも考えられないだろうか。スマートに正しい道筋を行く人生よりも、抑えきれない好奇心に振り回される方が、物語として楽しいだろう。

成功者よりも、タイムスリップもので主役を張れるレベルのオタクの物語が好きだ。だから、好奇心だけはどんな状況でも犠牲にしちゃいけないと思うのです。

短所と逆境を手放してはならない 38 『月は無慈悲な夜の女王』 ロバート A ハインライン

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月は無慈悲な夜の女王』ロバート A ハインライン

わたしは〝前科者〟というタイトルを誇りに思います。われわれ月世界の市民は前科者であり前科者の子孫です。だが月世界自体は厳格な女教師なのです。その厳格な授業を生き抜いてきた人々には、恥ずかしく思う問題などありません。

ロバート A ハインライン,矢野 徹. 月は無慈悲な夜の女王 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.6332-6335). Kindle 版. 

月が地球の植民地となっている世界。月に住んでいるのは流刑者とその子孫で、生産した食料を一方的に地球に搾取されている。月世界に住むエンジニアのマニエルは、ある日月世界を統括するコンピューターが自我を持っていることに気が付く。マニエル、コンピューターのマイク、政治的理由で地球を追放された教授、月香港の勇敢な美女ワイオの4人で、月の独立革命の旗を揚げる。

月の独立戦争というとガンダムっぽくてワクワクするのだけど、実際は「自分が月独立戦争を戦うことになったらこうすればいいのか」とメモを取りたくなるほど詳細なシナリオ。世界征服の事業計画書のようだと思った。

主人公のマニー(マニエル)は左腕の肘から先がない。その代わりに12本の義手を持っており、生身に見える腕、超微細機械を修理できる腕、神経外科で使えるほどの極微操作のできる腕を使いこなす。印象的な(心中の)セリフに『左腕のほうが右よりずっと役立つんだ』がある。

このセリフ、物語のだいぶ序盤で出てくるが、この小説の根本思想を表している。時に、有ることより無いことの方が武器になる。

『月は無慈悲な夜の女王』は、冒頭で引用した通り「月は厳格な女教師」とも訳せる。重力が薄く作物の育ちにくい過酷な環境。偏った男女比に法整備もない世界。過酷な月世界そのものが、教師となって月世界人を育て上げた。よく言う言い方をすれば、持たざる者の強みってやつである。

万物は流転する、なんてかっこいい言葉があったが、万人は逆転するって言うのもどうだろう。社会階層の一番下、最も過酷な境遇に置かれた人間は、その境遇自体が教師となり強い思想と実行力が養われる。

生まれ持った短所や、追いやられた境遇は、大富豪でいう革命前の「3」と同じ。手放してはならない。

できないことよりできることを数えようって聞くけれど、できないことも武器としてカウントし、磨きあげておくべきなんだろう。それは何か新しいものを受け入れる余地であったり、革命後の最強カードであったり、厳格な女教師であったりするのだから。

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180センチ70キロ、巻毛と体がブロンドの美女ワイオミング。180センチ70キロは、無重力世界だとどんなスタイルになるんだろう。月の明るさではブロンドはどう見えるんだろう。

愛玩AIを看取れるか?自分の手でライフサイクルのボタンを押す 39 『息吹』 テッド・チャン

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息吹』テッド チャン

愛し愛されるジャックス、論破したり妥協したりするジャックスを、アナは想像した。犠牲を払うジャックスを想像した。困難な犠牲もあれば、そうでない犠牲もあるだろう。ほんとうに大切に思っている人のためなら、犠牲を払うことはむずかしくない。

テッド チャン. 息吹 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.3003-3005). Kindle 版. 

SF短編集。9作品が収録されていて、タイトルにもなっている『息吹』が1番、『不安は自由のめまい』が3番目に好きなのだけど、2番目の『ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル』について話したいと思います。

動物園の飼育係だったアナは、仮想空間で生きるデジタル生物「ディジエント」の開発に関わる。ディジエントたちはOSソフトのようにユーザーからのフィードバックとアップデートを繰り返し、人間の素晴らしいパートナーになるけれど、管理会社の倒産によってその多くが停止する。
アナはディジエントのジャッカスを引き取り、仲間とオンラインで協力しジャッカスを育てるが、仮想空間のサポート終了のため多額の資金が必要になる。資金提供の頼みの綱であるバイナリー・ディザイア社は、ディジエントたちを人間の性的なパートナーにすることを提案する

ディジエントたちは人間の2歳くらいのイメージで、赤ちゃんのように新しい言葉を覚えたり、ペイントソフトを内部から操作しお絵描きをしたりする。いわゆる愛玩生物の立ち位置だ。この物語は一貫して、人間は、自分が作り出した生物のライフサイクルをどう設定するか?を模索している。

例えば、犬は犬のライフサイクルで生きている。子犬から老犬に向かって成長するし、しつけを間違えてもリセットできない。対してディジエントは、ずっと従順な赤ちゃんで居てくれるし、わがままに育ったら、その性格になる前まで成長をリセットできる。

生物のライフサイクルを好きなように設定できるということは、「かわいい赤ちゃんじゃなくなるボタン」「異性のパートナーになるボタン」「死ぬボタン」を人間が押さなければならないということだ。

多くの人は、安楽死を思い浮かべるのではないか。「死ぬボタン」だけは、すでに持っている。

人間の基本死生観は「今は死にたくない」けれど「いつか眠るように穏やかに死にたい」だと思う。心身ともに健康な人は、「今死ぬボタン」を押すようなことはない。けれど、医療や化学の発展で人間が永遠に寿命を伸ばせたら?自分で自分の死を設計しなければならない。

この物語で描かれているのは、サイクルの一周目を開拓する者の苦悩だ。自分が育てた可愛いペットを、他者の性的なパートナーにする。そのボタンを押さなければならない人間の苦悩。

主人公のアンは、ジャッカスのライフサイクルを前に進めるとき、こう言って自分を奮い立たせる。

犠牲を払うジャックスを想像した。(略)ほんとうに大切に思っている人のためなら、犠牲を払うことはむずかしくない。

ライフサイクルを進めた先、どのような犠牲を払うことになっても、それが大切な人のためなら大丈夫。

愛のある生物は、大切な人のために自らのライフサイクルを先に進める。その大切な人が、さらに大切な人を見つけ、生きられるよう背中を押す。

ライフサイクルの進行をほとんどコントロールできない私たちにとって、その進行によって救われる相手がいるかどうかが幸せの鍵なのかも。

でも、デジタル生物はどうなのだろう?感情を学ぶAIがいるとして、「ただ死ぬボタン」「自分が死ぬことで次のAIが救われるボタン」に違いを見出すのだろうか。

人間の幸せと苦しみの契機は「共感と感情移入」 40 『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』

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『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』フィリップ・K・ディック

だれかが歓びを経験すれば、ほかの全員もその歓びの断片を共有できる。だが、もしだれかが苦しみを経験すれば、ほかの全員もやはりその苦しみの影から逃れられない。ヒトのような群居動物は、それによって一段高い生存因子を獲得する。一匹狼的なフクロウやコブラは、逆に破滅に近づくだろう。

フィリップ・K・ディック,浅倉 久志. アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (Japanese Edition) (Kindle の位置No.514-517). 早川書房. Kindle 版

戦争のために荒廃し、汚染された地球。ほとんどの人間はアンドロイドを従えて地球を脱し、異星に移住した。生命が激減した地球では、本物の生き物を飼うことがステータスとなり、主人公のリックは電気羊しか飼えないことが大きなコンプレックスだ。リックは火星を脱走したアンドロイドを狩り、多額の懸賞金を手に入れようとする。

有名なタイトル「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」の真意は何だろう。答えは「アンドロイドは私たち人間と共感できるのか?」だ。

この世界の人間は、動物にとても高い価値を置いている。戦争によって動物の数も激減・高騰。電気羊しか飼えないリックは、本物の羊の夢を見る。

アンドロイドを殺すことで賞金稼ぎをするリックは、オペラ歌手のアンドロイド、ルーバを処分したことをきっかけに自分がアンドロイドに感情移入していることに気づく。彼らを処分しても良いのか、彼らは生きているのではないか、彼らも俺たち人間と同じなのではないかと悩む。

つまり「(人間は同じ生物である羊の夢を見るが)アンドロイドは(同じ機械である)電気羊の夢を見るか?」「俺が処分しているアンドロイドに人間性はあるのか?」タイトルの意味はこんなところだ。

どうして、アンドロイドが電気羊の夢を見る(ような"人間性"を持っているか)が問題なのか。それは、この地球で普及しているマーサー教という思想が原因だ。

永遠に険しい山を登り続ける男、マーサー。地球の人間たちは、共感ボックスの取手を握ることで、マーサーと、そして同じ時間に共感ボックスの取手を握った他の人間と感覚を共有できる。マーサーの教えにこんなものがある。『殺し屋のみを殺せ』リックの中では、アンドロイドこそが殺し屋となっている。高い能力を備えているが、動物を愛さず共感能力を持たない存在だからだ。人間や動物を殺すアンドロイド。けれど、彼らが電気羊を愛したら?アンドロイドなりの愛情、アンドロイドなりの共感能力を人間が見逃しただけだとしたら?

最終的に、リックはアンドロイドや電気生物の中に生命を見ることになる。つまり、アンドロイドにはアンドロイドなりの感情があるのだと考えるようになる。

電気動物にも生命はある。たとえ、わずかな生命でも

フィリップ・K・ディック,浅倉 久志. アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (Japanese Edition) (Kindle の位置No.3998-3999). 早川書房. Kindle 版. 

この小説には、「共感」「感情移入」って言葉がよく出てくるが、多くの人間たちはこれらを感じることで孤独な地球生活を生き抜いている。

共感や感情移入っていうのは、双方向に見えて一方的なものだ。共感する側は相手を思いやっているが、共感される側はそうではない。画面の中の人間を見て観客が泣けるのが良い例だと思う。

つまり、アンドロイド側に共感能力がなくとも、人間はアンドロイドに共感し、感情移入してしまう。私たちは、「アンドロイドが電気羊の夢を見るとしか思えない」そして、アンドロイド側の意見はないままに作品が終わる。もしかしたら、平気で電気羊を壊してしまえるかもしれない。だからリックは「たとえ、わずかな生命でも」と言ったのだろう。

私たちと殺し屋を分つのは、相手に共感できるか、感情移入するか否かだ。私たち人類の数が減り散り散りになっても、どこかに痛みを共有する仲間がいれば生きていける。体温と寿命をもつ生物と、一緒に暮らす夢をみる。

感情移入するからこそ、私たちは相手を傷つけることができない。相手は私たちに感情移入してるかわからなくても。

感情移入する群居生物である人類は、感情移入しない殺し屋から痛い目に遭わされるかもしれない。けれど、感情移入が人間を人間たらしめるものであり、人間の生存戦略なのだ。共感や感情移入をどう利用されようと、それに蓋をすることはできない。一度共感してしまったら、その対象は人間にとって「わずかばかりの生命」になってしまう。

「なにもかも真実さ。これまでにあらゆる人間の考えたなにもかもが真実なんだ」リックはモーターを始動させた。

フィリップ・K・ディック,浅倉 久志. アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (Japanese Edition) (Kindle の位置No.3768-3769). 早川書房. Kindle 版. 

私たちの未来が落下する重力

落下するような急速な変化は不安を引き起こす。だから、目先の不安を解消してくれるものってたくさんある。ビジネス本メンタル本、ネットの記事にテレビ番組に、話を聞いて相談に乗ってくれる仲間。崖から落ちそうなときに掴まれる枝のような存在だと思う。人間は弱いので、掴まれる枝をたくさん作ってきた。

だけど一生枝に捕まる力はなくて、手が離れて落下し、次の手頃な枝を見つけてはまた捕まる。そんなことをしても重力は弱まらないし、崖の下が悲劇とも限らないのだ。

意を決して崖の下に飛び込み、重力の行き着く先を楽しみにできる身軽さを持ちたい。私にとってSF小説は、「落ちたらどこに着くだろうね」を話せる奇特な友達だ。

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