愛に突き動かされた人間だけ。
25歳くらいまで目をギラギラさせて血の気が多かった仲間たちは今、油が落ちて目尻に優しさが滲み、会話のBPMもいくらかゆったりした気がする。
自分を追い抜く人の気配や、毎秒更新される業界ニュースに目を瞑るスキルを身につけたようだ。大きく見れば世間の荒波の渦中にはあるけれど、近くだけ見れば、暖かく穏やかな水流が、自分の体の周りに膜のように張っている。
今は、自分のスケジュールを他人に書き込まれることもない。自分の機嫌は自分で取れるし、地雷は避けて歩ける。
20歳そこそこの頃、世の中に噛みついてやりたいという疼きや、背中を粟立たせる昂りはなんだったのだろう。どんな誤解も許せなくて、声を震わせて「それは違う」と言った。今では何が許せなかったのかも思い出せない。
沸騰したお湯みたいだった心は、目を離した2~3年で水に戻っていた。人の言うことにいちいち熱くなったりしない。恥をかくことも苛立つこともない。
ただ同時に、もう熱くなれる気がしない。必死に泳いでいたプールが流れるプールだと知ったから、もう一回クロールする気になれない。黒歴史ばかり製造する熱さを、絶対に恥をかかない人たちが持っていたクールさと交換した。やっぱり返してと言ったら戻ってくるのだろうか。
金魚鉢の底に沈んだ真っ黒で穴だらけの岩。あれってかつて溶岩で、急速に冷えることでできた穴が水質をきれいにしてくれるらしい。またひとつ、またひとつと水槽の中にかつての溶岩が入ってくる。「久しぶり、なんか丸くなったね」
気がかりなのは、どちらを選べば良いのかだ。いや、選べるのかどうかもわからないのだけど。このまま冷めていって良いのか漠然とした不安がある。
こういうことを考えるとき一番良いヒントになるのはSFだ。まだうまく言えないけど、SFは現実との対照実験ができる。
アサガオに日光が与える影響を知りたいなら、日光をあてるアサガオと、日陰のアサガオを観察するじゃない。日光をあてるアサガオが現実、日陰のアサガオがSFみたいな感じ。
人間の変化について悩むのなら、読むべきは変化しないAIの話。
テッド・チャンの『息吹』という短編集の中に収録されている「ソフトウェアオブジェクトのライフサイクル」。
物語のあらすじは、前に公開したこちらのnoteから抜粋。
主人公のアナは元動物園の飼育係で、ディジエント(デジタル生物)であるジャックスを熱心に教育し可愛がる愛情深い女性。
ジャックスは赤ちゃんのように可愛くて無垢で、まっすぐな愛情をアナに向けてくれる。
アナがお金を稼ぐために仕事に行っていると知ったときなんかは、「遊びたくない。ぼくも仕事したい。お金を稼げれば、アナはもっとぼくと遊んでくれる」と返たりして、Twitterの育児感動エピソードそのもの。
デジタル生物には、ジャックスのような"永遠に大人にならない愛すべき子供"から、人間の役に立つ執事のようなAI(siriやAlexa、工業ロボットみたいなの)などのバリエーションがある。
アナと他のディジエントのオーナー(飼い主)たちは、初めこそディジエントを可愛がり、遊ばせ、この子たちが役立つAIである必要はないと考えた。科学者が求めるような、人類の頭脳を超越した人工知能にならなくて良いと。
オーナーたちが情報交換をする掲示板で、「ディジエントがお金を稼げるようなスキルを身につけられるか」と話題になったときのアナの書き込み。
だが、永遠に成人せず、なんの責任も取れないディジエントに自立を求めるオーナーも出てくる。ディジエントの自立方法として、法人化がある。人間であるオーナーが代表取締役になるが、ディジエントが権利と責任をもってその法人を運営する。
(AIの成人を法人化によって実現するって未来感に体が浮くような感じがしたのだけど、検索したら2017に「人工知能に対する法人格の付与」という論文が発表されてた)
ただし、ディジエントには成人年齢がない。成人したかどうかの判断と責任はやっぱりオーナーにある。
ディジエントは、オーナーが背中を押してあげない限りライフステージを上げることができない生き物だ。
勝手に体が大きくなって、社会に組み込まれ、進学進級を繰り返す人間との大きな違い。人間は勝手に変化するけれど、AI生物は誰かが責任をもって背中を押さなきゃ変化しない。
仮想空間上のAIであるディジエントがオーナーたちにかける負担は、現実世界のペットや子供ほど大きくない。けれど、永遠に終わらない。自立も手離れもしない。
オーナーとディジエントにとって最も逼迫した問題は、ディジエントが住むデータアース(仮想空間)の閉鎖だ。ディジエントたちを別のプラットフォームに移植するには多額のお金がかかる。お金を集めている間に、そのプラットフォームは古く錆びれてしまい、ディジエントを飼い続けることの限界が近づく。
アナと仲間たちは金策に走るが、「いつか役に立つかもしれない可愛い愛玩AI」に投資家はつかない。
アナの選択肢は大きく分けて3つ。
1、問題が解決するまでディジエントの電源を切ること
(これをやった多くのオーナーは再び電源を入れることはない)
2、ディジエントを仕事のこなせるAIにすること
(ディジエントは人間の子供のような性格なので向いていない)
3、ディジエントを人間の性的なパートナーにすること
(特定の人間に愛を持つようプログラムする。ディジエントを提供すればプラットフォームの移植金額を全負担してくれる会社がある)
1を行ったところで資金問題の解決は望みが薄く、2は企業側から断られてしまった。元々仕事をするよう作られたAIと比較して、ディジエントが仕事で成果を出すのは望みが薄すぎた。
アナの「この子がいつか素晴らしい仕事をこなす可能性に賭けて、多額の資金を融通してください」という提案は、アナ以外の人間にとってあまりに非効率で馬鹿げていた。
弱い生き物が生き延びるには、小さな見返りのための大きな投資が必要だ。
そんなこと、冷静な人間はしないしできない。
そんなことができるのは愛に突き動かされた人間だけだ。
最終的に、アナは、ジャックスを人間の性的パートナーにすることを選択する。
ジャックスを生かすためにやることで、ジャックスにとってプログラムされた愛は本物の愛と区別がつかない。とはいえ、我が子を性サービスに売るのだから大きな葛藤があった。
アナが決断をした理由は、愛をプログラムされることが、これからジャックスが生きていく上で必要不可欠だと気づいたからだ。
人間は誰しも、小さくて弱く、なんの役にも立たない生き物として生まれてくる。その生き物は愛に突き動かされた誰かが、小さな見返りのために大きな投資をしてくれることで大人になる。
アナは、AI生物が単発の存在にとどまらず人間のようにライフサイクルを確立して次の世代に繋がるための決断をした。問題が解決するまで何年間も眠るのではなく、実用的なハイスキルAIになるのでもなく、大切なもののために合理性や効率をまる無視して足掻く機能としての愛。
若い私たちがみっともなかったのは、不合理で見栄えの悪い「みっともなさ」が、人間のライフサイクルを押し進めるブースターとして遺伝子に組み込まれたからだ。
馬鹿なことをたくさんして恥をかいたのは、人間らしく生き続けることそのものが馬鹿にならなきゃ選べない選択だからだ。
どうやら人生には、傷つくことを避けて、合理的に効率良く、涼しい顔して生きられる期間がある。自分を含んで、私の周りだと大体27歳くらいから。
この期間に、過去にみっともなく熱くなったことや、何かに狂信的になったこと、一人犠牲になったことを恥じてはいけない。
「若気の至り」のラベルを貼って、黒歴史ボックスに閉じ込めるなんて一番しちゃいけなかった。
人間のライフサイクルは、愛に突き動かされた誰かが、私たちの小さな可能性に大きな投資をしてくれるところから始まる。
不合理と非効率を選ぶ狂信的な他者のおかげで存在が立ち上がる。
そんな私たちが、合理的じゃないなんて当然だ。
大損に向かって「いける」と全てを賭けられる謎の自信、規律正しい世界でみっともなく足掻ける恥知らずメンタル。恥ずかしい過去としてしまっておいたらきっと錆び付いてしまう。
来るべき、愛に突き動かされて暴れるしかないときのため、生涯放さず持っておくのだ。
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