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変化

時間が経つと色々変わる。


幼稚園の時みたいにキラキラのお姫様はもうなりたいと思わない。
小学校で毎日やっていたケイドロはもうちょっと遠慮したい。
中学校の帰り道のようにもう人前で大声で歌ったりしない。
高校の時ほど外見に対する卑屈なコンプレックスは無くなった。
大学生みたいなお酒の飲み方ももう出来ない。


今の私も、1年前の私とは少しずつ変化している。


さて、
変化は良いのか、悪いのか。



1つ伝えておかねばならない変化がある。
私はあんなに大好きだった彼氏のことをもうnoteには書けなくなった。




一悶着あって、結局雨降って地固まったのか、
お付き合いは継続している。

しかし、毎日会うたびに新鮮でときめいて、彼氏の好きなところ全てを電波に乗せたいあの気持ちは今は留守である。(もしかしたら戻ってくるかもしれないので、去ってしまったとは言わない)

むしろ昔の私の書いた文章など、遠い誰かが書いたものにさえ感じる。
素敵な方ですねとコメントしたくなる。それは嘘。
そもそもそんな素敵な方がそばにいるのに失礼な話になっちゃう。


この変化は、人によっては「冷めた」「飽きた」と称され、悪いものとされる。


相手にも同じ変化が起こっていると感じる。
直接聞いてはいないが、そういうの女は分かる(偏見)
昔のように毎日好きなんて言わないし、
いつだって私が第一優先なんてことはもうない。
自分の時間が一番でその次が仕事。その次くらいに友達、私が続くかな。分からないけれど。
もうお互い連絡の頻度が減っても心配しないし、無理して会いに行ったり来たりしない。
電話しても話のネタがないこともよくある。


これらを「慣れ」で括ることもできる。
以前「慣れ」についてのnoteも書いたな、
あの時読んでくれた人は今も見てくれているのかな?



私はこの変化をそんなに悪者に思えない。
むしろ一緒にいる期間が長いからこそ、物理的・精神的な紆余曲折を経て、落ち着くところに収まった。そんな心地よさがある。

例えるなら
年季の入った革財布。
色の褪せたアルバム。
くたびれたスニーカー。
すっかり茶色くなった白熊のぬいぐるみ。
そんな感じ、これで伝わるのかな。



確かに一緒に歳を重ねたからこそ、理解のできるお互いの変化。
昔を思い出すとき寂しさを感じないと言えば嘘になるけれど、それでも良いと思える。
あの頃があって今がある、なんかちょっとしたラブソングでも出来そう。


でも本当に心からそう思える。
昔のようなハートマークがたくさんの好きは送れないけれど、いろんな尊敬を込めた好きを送るね。
毎日の褒め言葉は要らないから、
いつだって一番の理解者でいてね。

あ、これもnoteに書いたことになるのか。
早速書けてしまった、困ったな。




結局、どうあれ変化は起こる。
望んでいても、嫌がっていても。
それを良しとするか、悪しとするかは気持ち次第。



なら私は色々な変化を受け入れられる、穏やかな人になりたい。
シワもいつか起こる白髪も笑って迎えたい。
自分の変化も、相手の変化も否定しないでいたい。
昔ばかりに思いを馳せたりしないで、明日を楽しみに生きたい。


そうしていつか姫になりたい娘の気持ちに
寄り添ってあげたいな。



Honami

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