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もやもやしても眠れるようになった24歳も頑張ろう

容姿について嫌なことを言われた時に、笑い飛ばさなきゃけないのは一体何歳から何歳までだろう。
個人による好みがある世の中で、はっきり怒っても良いのはどこまでだろう。


小さい頃は容姿に関わらず嫌なことを言われたら遠慮なく泣いていた子が多かった。
しかし、思春期の始まりから見た目による序列が明らかになりその割合は減った。
特に「素直に褒める」思春期の男の子なんて、私は見たことがないかもしれない。


余談だけど「好きな子ほど意地悪しちゃうもんだ」っていう言葉は嫌い。
好きなら意地悪も仕方ないなんて、迷惑だ。
好きで意地悪してくる人なんて、こっちは好きになりっこない。

話は戻って、14歳で容姿に対する嫌なことを言われたとしよう。
例えその言い方に傷ついたとしても、泣いたり怒ったりすれば、群れをなす男の子たちに大声で「うぜー」と言われ、「面倒で自意識過剰なやつ」のレッテルが大袈裟に貼られた。
そばで慰めてくれる女の子たちはそれを教訓に、自分が言われた時には言い返す、無視する、などの選択を選ぶようになっていく。
だから、次は自分も下手に感情を出さない。そういう暗黙のルールが出来上がっていく。

私も当たり前にそのルートを通ってきた。
だから容姿について何か言われたとしても怒った記憶はない。
高校では周りのレベルが高すぎてむしろ自虐もたくさんした。


社会人になった。
社会では簡単に容姿について言及されることはない。
最近は色々なハラスメントもあり、用心に越したことはないのもあるだろう、


でも今日。
久々に話した同期からやんわり、めちゃくちゃ気を使った表現で容姿について言及された。
内容は、良いことも悪いこともあった。良い内容は面白くないので割愛します。


問題は、そのよーく注意して言われた言葉ですら普通に気にしてしまっていると言うこと。


その場でムッとするほど子供ではないので、もちろん「否定はしない」と笑って切り抜けたけれど、その後はその表現が長い時間頭の中を巡っていた。

おかしい。
中学生に言われるような直接的な表現ではなかったし、決して意地悪と悪意を煮詰めたような雰囲気でもなかった。
シンプルに言われただけなのに、こんなにも気になるものだっけか。
そして不思議なことに言い返さないと気が済まないとも思えない。

もしかして、恋!?という疑問が浮かぶかもしれないけれど、多分別の人に言われても同じことが起こるのでその可能性は少ない。


ずっと昔だったら、いちいちこんなこと気にしてなかった。
いや、傷ついたとしても見ないふりをした。
傷ついちゃいけない、こういうもんだ、と思ってきたから。

ちょっと前だったら、大袈裟に怒っていた。
起こることこそ権利だと思っていて声を発する自分を誇りに思っていたから。
なんなら100倍の言い返しで相手を傷つけ、論破さえしようとしていた。


で今は無かったことにもしないし、相手にぶつけもしない。


「嫌なこと言われたな。」
「あれは悪意がなくても言わなくて良いでしょう。」
「失礼なやつだな。」
「まぁ好みもあるだろうな」
「そんなこともあるか」
ぼんやり考えて、おしまい。


必ず白黒つけなくても良いよね。
はっきりしない自分を認めることも、激動の20歳を生き抜くには必要な力だよね。
モヤモヤしていても眠れるようになったのは大きな成長だ。

そんなことを考える、火曜日でした。


Honami☺︎


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