娘が走った、保育園の運動会
うちの娘が通っていた保育園は、普通の公立の保育園だった。1〜2歳の頃は、あまり明確に「障がい児」という感じでもなく、ちょっと発達がゆっくりな子、というぐらいの認識だった。4歳ぐらいになって、軽度の知的障害があると診断されたけれど、保育園ではそれまでとまったく変わらず受け入れ続けてくださった。保育士の皆さんには、本当に感謝の言葉もない。
それに、お友達もすばらしかった。日頃から何かにつけて娘に話しかけてくれる子がいたし、イベントがあるたびに娘のサポートをかって出てくれる子が必ずいた。
言葉も運動も苦手な娘にとっては、特に運動会が難関だった。音楽に合わせて踊るのが大好きな娘だけど、運動会のダンスでは隊形の変化についていけない。だから、娘をサポートする係の子がいて、娘を次の立ち位置に連れて行ってくれていた。運動会のその他の種目や、発表会の劇でも、必ずサポートの子がついてくれた。先生の話によると、娘をサポートする係を募ると、必ず誰か手を挙げてくれていたらしい。ありがたいと思った。
でも、サポートできないこともある。例えば、サポートがついても、速く走れるようにはならない。そして運動会では、年長組はリレーをやるのだ。保護者の注目度も高い、花形種目だ。子どもたちも、年長になったらリレーをやると分かっているし、運動会が近づくとリレーの練習を何度もして、みんな張り切っている。
ところがうちの娘は、走るのがとても遅い。小4になった今でも、まだ全力疾走はできない。年長組ではなおさらだった。リレーは年長組を2組に分けて競う。娘が入った方の組が大負けするのは明らかだった。
普通なら、リレーだけはうちの娘は参加しない、となるところだろう。ほかの種目は全部、サポートのおかげで参加できているし、親としてもリレーぐらい不参加でも不満は全くない。でも、先生たちはあきらめなかった。年長組の子どもたちで、うちの娘がリレーに参加するにはどうすればいいか、話し合ったというのだ。もちろん5~6歳の子どもたちの「話し合い」だから、先生方がうまくリードしてくださったんだと思う。とは思うのだが、それにしても、結論はうちの娘が「リレーで最初に走る!」というのだ。これには驚いた。
作戦は、こうだ。一番手で、うちの娘ともうひとりの子が走る。娘のペースでゆっくりと、ふたりでトラックを一周する。そして2番手の子にバトンを渡す。この2番手の子たちは、バトンを受け取ったらふたり同時にスタートし、そこから本気の勝負の始まりだ。娘と一緒に走ってくれた子も、後ろに回って本気の勝負にも参加する。こうすれば、娘もリレーに参加でき、他の子も思いっきり走ることができる。こんな愛に満ちたソリューションがありうるとは思っておらず、話を聞いただけで泣きそうになった。
そして運動会本番。娘と一緒に一番手を走ってくれたのは、男の子だった。先生のホイッスルと同時にスタート!ただ一緒に一周するのではなく、娘の前を走ったり後ろを走ったりして、競っているかのような演出付きだった。そして二番手の子たちにバトンが渡る。ここでもう一度ホイッスル、かと思いきや、先生は二人の子に黙って目で合図し、子どもたちはそれにうなずき返して同時にスタート。ホイッスルは最初の一回しか鳴らなかったのだ。うちの娘がリレーに参加しているという形になるよう、細部まで配慮されていた。どちらの組が勝ったのか、実は覚えていない。やや差がついた勝負だった気がする。いずれにせよ、涙でよく見えなかったのだ。
運動会の後、娘と一緒に走ってくれた男の子のお母さんと話した。そのお母さんも、「うちの子にあんなことができるなんて!」と感激した、と言ってくださった。男の子の成長ぶりに驚いたというのだ。娘の存在が、保育園の子どもたちの何かを触発できていたのなら、こんなに嬉しいことはない。
3つ下の息子も、娘と同じ保育園だった。息子のひとつ下のクラスには、ダウン症のお子さんがいた。ある朝、息子と登園すると、その子がちょうど園に着いて、靴を脱ごうとしていた。息子はさっさと自分の靴を脱ぎ、その子の横に立って見守り始めた。その子がゆっくりと靴を脱ぎ終わると、息子も自分の靴をしまいに行った。その子を手伝ったりはせず、ただ見守っていたのだ。自分で脱げなさそうなら手伝おうと思っていたのだろうか。息子もまた、この子と触れ合うことで変化し、成長していたと思う。
つまり言いたいことはふたつある。
ひとつは、娘は今まで、そして今も、とても多くの人たちに支えられている。特に同年代の子どもたちからのサポートが心打つのだけど、ともかく娘を支えてくださった、そして今支えてくださっているすべての皆さんに心から感謝している。本当にありがとうございます。
ふたつ目は、娘もまた、周りの人たちをなんらかの形で刺激して、なんらかの変化を(願わくば、よい変化を)生んでいると信じたい。そしてそれは、世の中の障がいを持つ人たち全てが同様であると信じたい。何より僕自身が、娘の父親にならなければ、こんな文章を書くことはなかっただろうから。
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