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飯田(2005年07月04日)


2005年07月04日 記

 飯田覚士の顔をひさしぶりに見た。新聞紙上でである。彼は元WBA世界スーパーフライ級のチャンピオン。「天才たけしの元気が出るテレビ」の「ボクシング予備校」に出ていたから、覚えている人も多いと思う。ボクシングにまったく興味のない僕でさえ、飯田は気になる存在だった。同じ愛知県出身というのも大きかったが、ほとんど無経験の状態からプロを目指す、というあまりの無謀さが、いかにも「テレビ的」でイヤだった。大学出の「知性派ボクサー」でも生み出したかったのかもしれないが、ルックスの良さだけで無理やり出演させられているという印象をどうしても拭いきれなかった。だから数年後に彼が世界王者に挑戦すると聞いて、心底驚いた。

 それでも地元ではけっこうな盛り上がりを見せ、タイトルマッチはテレビでも放送されたと記憶している。結果は無残なKO負け。申し訳ないが「やっぱりな……」という気持ちが強かった。正直、こんな実力でよく世界に挑戦できたものだなどと(ボクシングのイロハも知らないくせに)思ったものだ。飯田のボクシングは素人目に見ても地味だった。決め手に欠け、華がない。相手の行動を読み、計算高いボクシングが彼の持ち味だったのかもしれないが、その“頭でっかち”さが、同時に彼の足枷でもあった。計算どおりにことが運ばないと、あっという間にペースを乱してしまう。世界王者に輝いた時は、その計算が当たったというより、上手い具合に外れたといったほうがいい(思いがけないダウンをチャンピオンから奪った)。結局飯田は2度の防衛戦の後、99年に引退した。現役通算成績は28戦25勝2敗1分け。大卒のインテリボクサーと揶揄されながら、ここまでの成績を彼は残した。たいしたものだと思う。

 一度だけ彼を見かけたことがある。東京行きの新幹線のホームである。家族と一緒だった。おそらく引退表明してから間もなくの頃と記憶している。サインをもらおうかとも考えたが、しばらく考えてから、やめた。せっかくの家族とのひと時に水を差すような気がしたし、なにより場所が悪かった。東京へ行って、何をしようと考えていたのかは知らない。一説にはタレントになるという噂もあった。ともかくも、当時の彼の横顔には不安の色がありありと見て取れた(ような気がした)。新幹線ホームに家族と佇む彼に、世界チャンピオンの面影はない。ごく普通の青年がそこにはいた。

 そんな彼が東京でジムを開いたのは昨年のことのようだ。ジムと言ってもプロ選手の養成が目的ではない。ボクシングを取り入れた一般向けのエクササイズ――いわゆる「ボクササイズ」をメインとしたスポーツジムだ。業界からはもちろん「第2の飯田を育てないのか?」という声もあったらしい。しかしもっと「幅広い層にボクシングのすばらしさを知ってもらいたい」という理由で、現在のスタイルを選んだという。主婦など女性の受けもいいようで、そのあたりに飯田の“計算高さ”も見え隠れしている。ただ会員数が40名というのは、少ないような気もするがどうなのだろう? “頭でっかち”になって自縄自縛となってしまう現役時代の悪い癖が出てやしないか? 少し気にかかる。とまれ、ひさしぶりに飯田の笑顔を見ることができて嬉しかった。親交があるわけではない。だが無礼を承知で言わせてもらえれば、昔の旧友と再会したような懐かしさを感じた。これからも彼を応援し続けていきたい。現在の飯田には、現役時代には見られなかった「華」があるように思う。

2024年03月21日 付記

 飯田選手は、なんだかんだでいまだに気になる存在。FBページなどもこまめにチェックしてたりする。一般向けボクシングジムは順調の模様。「ビジョントレーニング」と組み合わせたオリジナルプログラムは、とくに子どもの発達過程における効果が期待されているらしい。経済学部卒だけに、経営の素質があったのかもしれない。


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