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シンクに恋してセレナーデ


『朝ごとにむかふ鏡のくもりなく あらまほしきは心なりけり』

毎朝、私達が向かう鏡がきれいだと気持ちがよいように、人の心も、いろいろなものを映す鏡ですから、常に清く澄ましておきたいものです。

(「大御心」解説より)

これは2020年の仕事始め、明治神宮へ参拝したときに、わたしが引いた「大御心」の内容だ。大御心とはいわゆる吉凶を占わないおみくじで、天皇が詠んだ詩やら和歌やらから教訓的なものを厳選して載せているらしい。(公式HP)

……つまり、家の鏡を磨けってことか?

古文のテストは万年赤点だったせいか、多分きっと的外れなことを考えたまま帰宅した。そんなわけねぇと思いながらも、とりあえず自宅のシンクを磨いた。鏡ではなく、シンクを。

なぜ鏡ではないのかと言うと、家に大きい鏡がないからだ。一応20代のおなごとして家に鏡がないなんてヤバイと思うかい?わたしも同感だ。弁明すると、過去にはあったのだが、なんか邪魔になったので捨ててしまった。今は化粧する程度の鏡とお風呂場の曇って何も見えない小さい鏡しかない。あれ、弁明になってない。

そんなこんなで、シンクを磨くに至った訳だが、結論から言って、このシンクを磨くという行為がわたしの「2020年の抱負」になった。

壊れて3年くらい経った換気扇を修理するとか、無計画な散財をやめるとか、記憶をなくすほど酒を飲まないとか、数年前から持ち越され続けている抱負(仮)たちを差し置き、シンク磨きが抱負(本命)に輝いた理由を説明しよう。

それは一言で言えば「恋」だ。

さっきから何を言っているんだコイツと思われてるかも知れない。
でも仕方がない、恋だから。人は恋をすると多少おかしくなるものである。

だって、磨いた後のシンクの美しさといったらもう、ない。
確かに、磨き素人がちょっとゴシゴシしたくらいでプロの磨き並みの美しさに、とはいかない。だがわたしが言いたいのはもちろん、そういうことではない。

おみくじを引いた日、家で丁寧にじっくりとシンクを磨いた。そして磨き終わった後シンクへ水道の水を流したとき、ものすごく心が動かされたのだ。


ライトに反射してきらめく銀色の平面……!
汚れが落ちた分、よどみ無く排水口へと流れる水の動き……!
なんかいい!!

なんだこの気持ちは……!
そう思ったときにはすでに落ちていた、シンク(磨き済)との恋に……。

シンクが美しいと思うだけで、わたしの胸は高鳴り、不機嫌も吹っ飛ぶ。今日もシンク磨くために早く帰ろう〜と帰宅の足取りはるんるん、瞳はらんらんである。家にいるときも台所へいくたび、シンクを深く覗き込んではニヤついている。どんなに寝起きが悪かろうが、いかに疲弊していようが、シンクが美しければそれだけで幸福なのだ。

どうだろう、年始に引いたおみくじから発展した恋路を今年1年応援してもらえるだろうか。
応援してもらえたならば、来年にはシンクと結婚できるかもしれない。

なんだかわたし自身も段々意味がわからなくなってきた。でもこれだけは言わせてほしい。
この恋を末永く続け、いつまでも幸福であるため、今年はシンクを磨き続けたい!
そして玄人磨きが施された美しきシンクとめくるめく愛の生活を送るのだ!

なんか宗教みたいだな!(シンク教バンザーイ!)

編集:円(えん)

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