友人のドタキャン話から考える時間感覚

友人がドタキャンされたらしい。

ドタキャンかまされた友人から聞く話はこうだ。
その友人(ここではAとする)は、別の友人(ここではB)と某テーマパークで1日遊び、そのままB宅の家に泊まる約束をしていた。

これは1ヶ月ほど前から計画していて、顔を合わせるたびに「何時にしよう?」「服はなにでいくか?」などと話をしていたらしい。

しかし1週間ほどまえからBと連絡が取れなくなり、前日にも連絡を入れたものの、返事はない。当日の朝、約束の時間直前に「今から用意をして、目的地へむかう。」とだけ連絡がはいったのだ。

何か事件に巻き込まれたのではないかと心配していたAはひとまず安心し、Bに状況を訪ねた。

しかしBは状況を説明するでもなく、「テーマパーク内で買い物をするだけでも良いので、Aは無理してこなくても良い」と言うのだ。

テーマパークから遠い場所に住んでいたAは、時間やお金を天秤にかけ、最終的にはテーマパーク行きを諦めた。Bには「泊まりの準備だけして合流する」と伝えるとなんと、「今日はAを泊めることはできない。諦めてくれ。」と言われてしまった。

結局、テーマパークに行けず、泊まりも無くなってしまった。Aはせっかく準備した休日2日間を棒に振ってしまった、というわけだ。

なぜこんなことになってしまったのだろうか?


時間は常に取捨選択 

Bに何がおきていたのか、その後の話を聞いていないので真実はわからないが、聞いた話だけで判断するなら、Bの時間管理に対する認識の甘さが原因だろう。

誰かと出かける約束をしたら、当然だが出かけるために時間を確保する。

Aは2日間の予定を実現させるべく、その時間に費やせるはずの別の予定や仕事を事前に片付けた。さらに言えば、事前に仕事をこなしたことで削られた何かがあるはずだ。それは睡眠時間かもしれないし、ほかの人との食事の時間だったかも知れない。

もしも話がしたいわけではない。
つまり、予定をたてるということはそれ以外の予定を捨てることなのだ。

Aは今回のBの対応にひどく悲しんでいた。それはBからの誠意が感じられなかったことに尽きるだろう。

この誠意を持つには、時間は取捨選択を繰り返して成り立っているという認識をしっかりもつべきなのだ。

そうすれば「予定を組む」ということに対する背景を想像し、慮ることができる。

Bがその認識を深めていたならば、Aを悲しませることはなかったのではないだろうか。




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