自殺を考えていたのに部屋を片付けたら何故か立ち直った話
こんにちは。局地的収集癖と申します。
初めて記事を書くので後々編集するかもしれませんが、ここでは少し私の片付けと、心境の変化について書いていきたいと思います。
よし死のう。
心身共にボロボロで、何年も引きこもっていた私には常に自殺への衝動が付き纏っていました。
ハッとしてその思考を振り払うのにも限界があったのです。
じゃあもう楽になってしまおう。一度そう考えるとそれは素晴らしい案だという思いが止まりませんでした。とても良いことをしているような、これで苦しみが終わるのだと思うと高揚感すらありました。
が。
頭の中で自分の声がしたのです。
「てかこのまま死んだら部屋の中見られんのか」
由々しき事態でした。
自殺を引き止めた汚部屋
自分でも何故そうなっていたのかわかりません。わからない。しかし周囲をぐるりと見渡せばそれは紛う事なき汚部屋。
衣服…脱いだらすぐに洗濯機へ
食べ物…食べカスが落ちるのが嫌なので自室では飲食を一切しない
ゴミ…何か開けば包装していた物はすぐゴミ箱へ入れているので散乱のしようがない
いや何故
何がそんなに溢れているのか、汚部屋は物が散乱していました。テレビとかで見るやつと何か違う。
そして一つ、私には大きな問題がありました。
黒歴史の山
割とよくある話なんですが高校の頃ぐらいまで漫画家を目指していた私。
自由帳ノートルーズリーフ、小学生〜高校生までの創作漫画が何冊も束となり山となり部屋の一角へ鎮座していました。圧倒的貫禄。今まで何故これの存在に違和感を持たず暮らしていられたのか。
嫌な予感と共に開いて読めばツッコミの嵐。何これ最悪。
こんなものこの世に残してはおけない。
葬り去らないと。
存在を許すな。
自殺への強い衝動は黒歴史へ横滑りの形でシフトしていきました。
部屋の片付けを開始
ここだけの話私は生まれてこの方部屋が綺麗だったことがありません。
自室を得て物心がついたころから汚かったので、そういうことにします。部屋が美しかった記憶がない。
といっても人生で一度も片付けや掃除をしたことがなかったわけではありません。
一日ガッツリ使いやっと綺麗にした机の上はあっという間に物が戻って来る。形状記憶型汚部屋。酷い。一体誰がこんなことを。
そもそも部屋が汚い人間がいきなり片付け出来るわけがない
この世で最も明白な真理と言えるでしょう。
ダイエット決意の次に脆いものです。
そこで私は考えました。
週に一回、紙のたった一枚でも捨てられたら良しとする。
まずは物を捨てることに慣れる、を目標に掲げたのです。時間を使うことを恐れない。
どうせ死ぬなら何も怖くないし。
物を捨てる=悪いことの呪縛
「物を捨てる」という行為に対する罪悪感が半端ではなくややストレスになっていた、というのも長年部屋が片付かなかった原因の一つと言えます。
まだ使えるんじゃないか?
もったいないんじゃないか?
後悔するんじゃないか?
これを一気に解消する転機が訪れました。
潔癖症です。
潔癖症が重めになり物を捨てることにやや躊躇が失われる
だって私もう触れないし………要る?
まだ使えるんじゃないか、がここで消えました。素手で触れないのに使うことない。もったいなくもない。
汚部屋の皆さんの中には(意外かと思われるかもしれませんが)潔癖症の人間がいたりします。
相反する性質を兼ね備えて生活しているのです。
「こんな汚い部屋に住んでて潔癖症なわけがない」
これは父に言われた言葉です。あるんだなこれが。
新しく送り出すという考え方
リサイクルに出したりフリマサイトに出品するのは捨てるという行為に当たりません。
誰かが使った方が良いというのは健全な精神に他なりません。捨てることに比べると罪悪感は全く無いのです。
自分が使わないものをこの部屋から出すことで、物は別の形になっていく。ある種の輪廻転生という解釈で捉えることにしました。
つまり自室地獄ってこと。
そして忘れてはいけません。黒歴史もすかさず屠ります。
ノートから切り取ってシュレッダーバサミで細かくしてから捨てました。
誰かがうっかり目にしてしまう危険性をゼロに。成仏してくれ。
しかし黒歴史としながらも、一度は夢として抱き志したもの。
描いている瞬間の私は間違いなく楽しみ、幸せで、満たされていました。楽しいという独りよがりが前面に出てしまって大変つまらない仕上がりでしたけれども。
思い出深いものは処分に時間がかかるものです。感傷に浸ることも許して整理する。部屋は暮らしが現れるもの、人生そのものなのです。
理想との出会い
テキパキと物を処分出来るようになった頃、Twitterである人物をフォローしました。
イラストレーターさんなのですが、絵が気に入り他のも見たいなぁくらいの軽い気持ちでした。
そして衝撃を受けるのです。
部屋めっちゃオシャレ
作業部屋として上げられた部屋がものすごくおしゃだったのです。そこで高校時代の記憶が蘇ります。
高校の頃、友達の家に遊びに行き自分の部屋とのあまりの違いに慄きました。己の部屋の散らかり具合に。
こういう部屋に住んでみたい。ほんのりとした憧れです。
思い残したこと…私は数多くありました。いつか、いつか、いつか。
そのまま後回しにしてついに巡って来ることのなかった死ぬまでに一度、の気持ち。
じゃあ、どうせなら、良いんじゃ無いだろうか。
後悔とか未練とか、全部精算してからでも。
私の理想
まだ、憧れにある理想の部屋は完成していません。
でも汚部屋から脱却したことだけは確かです。
生前整理のつもりで部屋の片付けを始めたので、beforeの写真を撮るなんて発想はありませんでした。
今にして思うとちょっともったいなかったな、と思いますが。
部屋を片していると何年分もの記憶や思い出が蘇り、苦しい想いをしたり辛くなったりもします。
自分を責める瞬間もあれば以前のように今すぐ消えたい、死んでしまいたいといった気持ちもなくなったわけではありません。
結果として残った物は黒歴史と呼ぶようになってしまったり、中々ままなりませんがそれもまぁ良いかと思えるようになりました。いずれ捨てますが。
最後に。
ここにこうして書いたこの記事がいつかの私の黒歴史となって、また頭を抱える未来を願いたいと思います。
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