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リレーエッセイ「わたしの2選」/『黄昏のロンドンから』『ボートの三人男』(紹介する人: ラッシャー貴子)

英語翻訳者のラッシャー貴子です。今はロンドンに住んでいるので、イギリスにまつわる2冊の本をご紹介したいと思います。青春時代から長いおつきあいになった本と、どこをとってもイングランドらしいと感じる本。どちらもこの国とわたしをつないでいる大切な2冊です。

『黄昏のロンドンから』

初めてイギリスを訪れたのは20歳の夏だった。アメリカのサマースクールが満員で、流れ流れてたどり着いたので、何の知識もないままの出会いだった。ところが到着してみると、イギリスはおとぎの国のようにかわいらしい場所だった。赤いレンガの建物、バスケットに飾られた色とりどりの花、手をつないで歩く老夫婦。静かに行列を作るお行儀のいいイギリス人たちは意外に気さくで、冗談を言って笑わせてくれる。わたしはたちまちこの国の虜になってしまった。

日本に帰ると、少しでもイギリスに触れていたくて本を読みあさった。その中の1冊がこの『黄昏のロンドンから』だった。著者は英文学者の木村治美さん。お連れ合いの仕事で、ご家族4人でロンドンに8ヶ月滞在した経験が綴られたエッセイだ。

『黄昏のロンドンから』

この本には、1970年代としては珍しく、生活者の視線でとらえたロンドン暮らしが描かれている。イギリスの「レードル」は日本の「おたま」と柄の角度が違って使いづらい、食器も体も洗った後は泡をつけたまま拭きとってしまう、英語のできないお子さんたちが学校でどんなふうに大事に扱われたか。歴史や政治を語る他の本とは違って、そこには人の暮らしがいきいきと見えて、わたしは木村さんが書くロンドンに夢中になった。日本にいながらイギリスにいる気分に浸ることができた。

本に出てくるエピソードと自分の思い出を比べるのも楽しかったし、未経験の、たとえば、ミュージカルに出かける場面では、自分も行ってみたくなって心がはやった。今こうして書いているだけで、あの頃のわくわくを思い出して幸せな気持ちになる。同時に、大学の勉強が苦しくて、そこから逃げるようにイギリスのことばかり考えていた自分の姿も浮かんでくる。この本にはわたしの二十代が詰まっている。 

木村家のロンドン生活は50年近く前のことなので、それからずいぶん事情は変わっている。それでも木村さんの考察は色褪せない。やわらかい口調で語りながら、ときどき人や社会をちくりと刺す。うかれていた若い頃には気づけなかったけれど、この本の本当の魅力は木村さんの鋭い観察眼とやわらかい心なのだろう。 

そして知性とユーモア。初めて紹介されたイギリス人に「日本式入浴は胎児の姿勢ですね」と言われて、腹も立てずに、即座に「ええそうです。そして西洋式のお風呂は棺桶スタイルですね」と返して笑わせることができるなんて。しかも1970年代のことだ。かっこいい! 

この本には、ロンドン生活の相談相手としてユダヤ人の家主の奥さんがよく登場する。イギリス人代表のような顔をしたり、移民としてイギリス人を批判したりという、なかなかのキャラクターで、木村さんとのやりとりもユーモラスだ。この奥さんは戸締りだけにはうんざりするほど厳しいのだけど、それは彼女がユダヤ人であるが故ではないかとわかり、学生のわたしは、紹介されていた『日本人とユダヤ人』(イザヤ・ベンダサン著)も読んで、ユダヤ人のことを知った。 

今住んでいるロンドンのフラット(集合住宅)では、ひとり暮らしのおおらかなユダヤ人のおばあさんが隣の部屋に入っている。とても親しくしているので、リウマチで手が思うように動かなくなった彼女のために、わたしが部屋の鍵を代わりに開けることがある。すると毎回、鍵がかちっと音を立てて、鍵穴から鍵を抜くか抜かないかというタイミングで、少し震えている手のひらがにゅっとわたしの前に突き出される。鍵を返せというのだ。鍵を戻すと、彼女はその場でそれをポケットにしまいこんで、小さくうなずく。ふだんの彼女からは想像のつかない、この場面に出くわすたび、わたしは木村さんの家主の奥さんのことを思い出す。

『ボートの三人男』

続いてご紹介するのは、『ボートの三人男』。ロンドンに引っ越してすぐ、えっ、これを読んだことがないなんて、と驚かれながら、夫の古い原書で読み、その後、中公文庫の丸谷才一訳でも読んで夢中になった。イングランドらしさを感じるという意味では、これまで読んだ中でナンバーワンの1冊だ(イギリスは4つの国が連合した王国で、この本の舞台はイングランドなのです)。

『ボートの三人男』右は最初に読んだ1932年発行の英語の「廉価版」。左の中公文庫の表紙には、副題は載っていない

3人の英国紳士が気晴らしのため、犬を連れてテムズ川をボートで漕ぎ出すが、その旅はおかしなトラブルの連続で、というストーリー。約150年前に書かれたユーモア小説だけれど、今も広く親しまれていて、ときどき住宅地の小さな劇場で芝居が上映されているのを見かける。

読み始めてすぐ、ユーモアの豊かさに圧倒された。大げさな物言い、屁理屈、意地の張り合い、皮肉、揚げ足とり、言葉の遊びと、あらゆる手立てで笑わせてくれる。抑えたトーンでくすくす笑いを誘ったり、ドタバタの直球ど真ん中で攻めてきたりと、笑いの加減にもバリエーションが豊富だ。缶切りを忘れた3人がなんとかパイナップルの缶詰を開けようと大奮闘するシーンは、まるでドリフのコントのよう。しかも、高学歴で育ちもいいご本人たちが大いに真面目に取り組んでいるというのがまたユーモラスで、別の意味でも笑ってしまう。そういえば、この本にはふざけている人はひとりも出てこない。みんな真面目で、それなのに、おかしい。

イギリスといえばユーモアを思い浮かべる方も多いだろう。実際に暮らしてみると、確かに生活にユーモアは欠かせない。世間話でさえも、大げさな言い回しやちょっとした皮肉をそこらじゅうにちりばめて笑わせ合う。わたしも笑いは好きなので、真似を重ねて少しはできるようになったと思うけれど、微妙な感覚やタイミングまでは完全にマスターできていない気がする。だから今も毎日、若手のお笑い芸人よろしく、人の笑いを観察し、研究を重ねている。人の話で笑っているうちはお客さま、周りをちゃんと笑わせてこそ一人前、なのだ(たぶん)。

テムズ川のボートの旅が始まるキングストンの町は、わが家からも近い。この街の川には今も大小さまざまな船が行き交って、岸辺はのどかな散歩コースになっている

とはいえ、『ボートの三人男』はユーモアだけで終わらない。船の行く先々で、地勢や縁のある歴史が語られ、大真面目な文化論が飛び出す。詩のようにロマンティックな言葉で情景が描写される。笑い、緑の丘、思索、パブでのやりとり、繊細な言葉。イングランドらしさが味わえるものが次から次へとやってくる。

その組み合わせは絶妙なのだけど、バランスがよいとは言えない。むしろでこぼこだったり唐突だったりする。でも、そこにもまた心惹かれる。ときどき出会う、つかみどころのないイギリス人と話している感覚を思い出す。 

第10章では、大の男が2人、暗闇のベッドでどたんばたんと大暴れする。くすくす笑っていると舞台は急転、明るい星空のもとに連れ出されて、「神殿へと迷い込んだ小さな子供たち」である「われわれ」が、「朦朧たる明りの長い廊下を見わたす円天井(ドーム)の下」で「慰めと力にみちみちている」夜に癒される姿に遭遇し……そこでぷっつり章が終わる。美しい余韻の中に取り残されて、わたしはしばらくページをめくることができなかった。 

そうだ、このボートには犬も乗っているのだった。犬はイギリス人の友だちだ。モンモランシーというフランス貴族の名前を持つこの犬は、副題に「犬は勘定に入れません(To Say Nothing of the Dog)」(丸谷才一訳)と登場する。これをイギリス式に解釈すると、「犬を忘れちゃいけません」という意味になる。ね、なかなか複雑でしょう、ユーモアも。

写真は実はテムズ川ではなくて市内のリージェンツ・パーク。『ボートの三人男』を読むと、こういう柳のある水辺でのんびりしている風景が自然に目に浮かぶ

■執筆者プロフィール ラッシャー貴子(らっしゃーたかこ)
英語翻訳者。ロンドン在住16年。共訳書『ウェブスター辞書あるいは英語をめぐる冒険』(コーリー・スタンパー著、左右社)、訳書『Why on Earth アイスランド縦断記』(エハン・デラヴィ著、篠崎由羅編集、ヒカルランド)、翻訳協力『アメリカの大学生が学んでいる伝え方の教科書』(スティーブン・E・ルーカス著、狩野みき監訳、SBクリエイティブ)ほか。古きよき英国も21世紀の英国を愛しながら、国や文化を超えたおつきあいのできるロンドン生活が気に入っています。コロナが収束したら、英国の田舎を旅行して、プレミアリーグのサッカーを初観戦して、気兼ねなく人に会いに行きたいです。

ニューズウィーク日本版World Voice ブログ:England Swings!
個人ブログ:ロンドン 2人暮らし

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