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翻訳者雑感 ことばと文化(星野靖子)声なきオオカミたちの物語

キリスト教圏で春の訪れを祝う復活祭(イースター)の季節、ネットで見つけたソルブのイースターエッグ(Sorbische Ostereier)の写真が目を引きました。在ドイツ西スラブ系民族ソルブの伝統工芸による精彩な三角模様は「オオカミの歯」を表し、魔除けの意味があるそう。

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ソルブのイースターエッグ  ©gedankenabfall

英文学の名作『ジャングル・ブック』にまつわることばと文化、今回はこの「オオカミ」について考えていきます。↓前回記事はこちら

聖獣か悪魔か オオカミの表象文化

古代から人間とかかわりの深いオオカミは、北半球に生息するネコ目イヌ科という属性以上に、神話や伝説の中でさまざまに描かれてきました。中央アジアのテュルク(トルコ)=モンゴル系部族は人間の祖先(トーテム)と称え、ローマ人はローマ建国の父とされるロムルスとレムス兄弟に授乳する雌狼を守護聖獣として崇め、日本では日本書紀以降、その名の民俗語源になった「大神」が神格化され、オオカミを祀った「お犬さま信仰」が各地の神社で見られます。

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雌狼に授乳されるロムルスとレムス Wenceslaus Hollar, 1652

しかし、守護者や祖先として崇拝される畏怖性は脅威と表裏一体。フランス語loupや英語wolfなど、インド=ヨーロッパ語の大半でオオカミを指す呼称の語根が闇夜に光り輝く視線を指すleuk-に由来するのは、夜寝静まった人家や家畜を襲うオオカミに対する恐怖の表れです。「赤ずきん」や「狼と子羊」などの童話、寓話に描かれる人や動物を襲うイメージは、聖書に描かれたオオカミ像と連関し(*1、「男はオオカミ」という善良なふりをした狡猾で野蛮な人物像に結び付きます。人狼〈オオカミ男〉伝説や狼憑き(lycanthropy)、英語の成句"go berserk"の由来になった北欧神話の異能戦士ベルセルクなど、異種、狂気、残忍なイメージも北半球の各地で語り継がれています。

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「狼と子羊」"Le loup et l'agneau" by Bibliothèques de Nancy- Patrimoine

The Big Bad Wolf

Louvre(ルーヴル)、Lepin(ルパン)、Wolfgang(ヴォルフガング)、Le Bois de Loup(ル・ボワ・デュ・ルー)――。ヨーロッパの人々にとってオオカミが身近な存在だったことは、オオカミに由来した数多くの人名、地名からも見て取れます。

フランス語の"J’ai une faim de loup."(オオカミのように腹が空く=腹ペコ)をはじめ複数の言語に見られる大食らいのオオカミをイメージする表現は、キリスト教の七つの大罪である暴食の象徴といわれ、英語wolfの他動詞「ガツガツ食べる」という語義から"finish wolfing down ..."(〜を素早く食べ終える)という成句もあります。金属のタングステン(Tungsten)の元素記号Wはドイツ語Wolfram(ウォルフラム)の頭文字です。(*2

このほかにも"Quand on parle du loup, on en voit la queue."(オオカミの話をするとそのしっぽが見える=うわさをすれば影)、wolf it(大口をたたく)、mit den Wölfen heulen(狼と一緒にほえる=付和雷同)、中国や日本の「狼狽」「狼藉」「狼顧」「狼疾」「狼戻」「狼貪」「狼に衣」「狼子野心」など、オオカミにちなんだ表現は実に豊富です。

宗教的畏怖の対象、人畜を襲う夜行性の凶暴な野獣、罪の象徴、飢えた捕食者、善人ぶった悪党――。オオカミが身近に生息する地域に暮らす人々がさまざまなオオカミ像を持っていたことは、ことばの意味からも明らかです。

しかし、いずれのことばにも共通するのは、それがオオカミ当人の姿ではない、人間が一方的に決めつけたイメージということではないでしょうか。

声なきオオカミたち

大半の国語辞典にある「人や家畜を襲う」「荒い性質」という語義とうらはらに、オオカミが基本的に人を襲わない臆病な性質であることは現代の研究から明らかになっています。東京大学総合研究資料館のニホンオオカミ解説ページには、オオカミはむやみに捕食せず、草食動物の個体数や健康状態を健全に保つ役割を果たしているとあります。実際に、オオカミが絶滅した地域では草食動物が増えすぎてしまい、餌を求めてシカなどが田畑を襲う獣害が問題になっています。

過去にオオカミが家畜や人を襲った例があったのは事実ですが、野犬なのかオオカミなのかはっきりしないケースも多かったと考えられています。日本では江戸時代にオオカミによる人身殺傷事件の記録が急に増えていますが、その一因は犬などの動物愛護を定めた「生類憐みの令」の例外規定に、猪鹿狼が荒れた場合は害獣の駆除を認めるとあり、さらに犬を殺生すると死罪など厳罰が処せられたため、襲ってきた野犬を駆除した際にオオカミのせいと虚偽の申告をした例も少なくなかったためではないかと指摘されています。本当は臆病なのに人々から敵視され、いわれのない罪を着せられていたのなら、オオカミにとってはなんともひどい話です。

物語のなかのオオカミ像

物語におけるオオカミ像は現在では多様化しています。童話や寓話から連なるワイルド系悪者オオカミのイメージは相変わらず健在で、野蛮な犯罪者や女性を手玉に取るモテ男といった人物のメタファーとしてラノベやコミックなどのエンタメ系作品を中心に描かれる一方で、擬人化した物語の世界で近年増えているのは心優しいオオカミ像です。2012年の朝日新聞「ことばマガジン」連載「私だけがなぜ悪者?~ロンリー・ウルフ」には悪者ではないオオカミを描いた絵本が数々紹介されています。木村裕一/あべ弘士『あらしのよるに』シリーズ(講談社)や内田麟太郎/降矢なな『おれたち、ともだち』シリーズ(偕成社)など、オオカミと草食動物が友情を育む物語も人気です。

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内田麟太郎/降矢なな『おれたち、ともだち』シリーズ最新刊『ともだち、いっしゅうかん』(2021,偕成社)

オオカミと草食動物という異色の友情関係をさらに掘り下げたのは、アニメ化され話題の漫画『BEASTARS』(2016~2020連載、秋田書店)。肉食と草食が共に通う学園でオオカミがウサギに恋をし、「食べたい」本能と葛藤する心情が深く描かれます。この作品についてはライターの高島鈴氏が「webちくま」で興味深い評論「くたばれ、本能――『BEASTARS』論」を連載しています。

悪者でも善人でもないオオカミ像も、近年はさまざまな作品で描かれています。『風の谷のナウシカ』以降自然と人間の共生をテーマに描くスタジオジブリでは、『もののけ姫』で犬神(山犬)に育てられた人間の娘に出会った青年が森と人との共生の道を探る苦悩を描きます。また、『獣の奏者』などの上橋菜穂子作品では動物を擬人化するのではなく、人間と異なる道理に従って生きる獣を写実的に描いています。

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『もののけ姫』(スタジオジブリ,1997)

2020年のアイルランド・ルクセンブルク合作のアニメ映画『ウルフウォーカー』では、自然と共生する古代ケルト人の思想に基づき、オオカミを殺さず人間と共存する道を探る少女が描かれています。結局これまで描かれてきたオオカミ像は凶悪で狡猾な姿にしても、動物たちと仲よくする優しい姿にしても人間が勝手に作りあげたイメージに過ぎず、当のオオカミにしてみれば神でも悪人でも善人でもなく、ただ自分らしく暮らしていければ本望なのかもしれません。

『ジャングル・ブック』の人とオオカミ

『ジャングル・ブック』ではオオカミ自身の心情を擬人化して描くと同時に、人間側から見たよくあるオオカミ像を対比させている点がユニークです。ジャングルの動物たちとの間に定めた規範を守りながら生きるオオカミたちは自立性と協調性を備えた理知的な一族で、今日のボーイスカウト運動の「カブスカウト(狼の子たち)」のモチーフにもなり、理想の少年像とされます。

もう一つ、『ジャングル・ブック』が後世に影響を与えたのは野生育ちの少年という設定です。オオカミなどの獣に育てられた野生児の逸話は非科学的であれ古くから各地に存在しますが、本格的な作品として描かれた元祖が『ジャングル・ブック』のモーグリで、以後ターザン、狼少年ケンなどが続きます。これがローン・ウルフ、小松崎蘭、曙四郎、仮面ライダーアマゾン、嘴平伊之助など野獣に育てられたヒーロー系譜や前回記事の『劇場版ポケットモンスター ココ』にもつながり、その野性味や孤独性、人並み外れた能力という意味において、今も創作人物の一類型になっています。

オオカミ一族や動物たちの仲間に受け入れられた人間の赤ちゃんモーグリは、少年になると人間の村で一時暮らしますが、村はずれでオオカミと親しく話す様子を人々に見られ、恐ろしい"悪魔の子"と疎まれたために村から追い出されます。そして、人の村にあった"火"を手にしたモーグリは、宿敵シア・カーンへの復讐を遂げた末に、結局動物社会からも去っていきます。

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『ジヤングルブツク 少年小説』黒田湖山抄訳 (福岡書店, 1913)より 国立国会図書館デジタルライブラリー

ジャングルの動物にとって火とは、"百ものちがう呼び名を考えて、その言葉を口にしないように"する脅威。一方、人間にとってオオカミや熊は、古来その名を軽々しく口にできない存在。主人公のモーグリが、人と動物それぞれのタブーである火とオオカミを手中に収めた挙句どこにも属せない身の上になっていく展開に引き込まれ、人間と動物、文明と自然の隔たりについて考えさせられます。獣と人間が互いに侵すことなくそれぞれに棲み分ける道を探る――。現在広がりつつある共存共生論の原型を描いた『ジャングル・ブック』は、100年以上経った今も新鮮な作品といえます。

ことばがもたらす偏見

過剰なステレオタイプ的イメージではない、オオカミの実体に添った動きも人間界では進んでいます。1990年代に米イエローストーン国立公園で絶滅したオオカミを再導入したプロジェクトは野生動物をめぐる20世紀最大の実験と呼ばれましたが、その結果、増えすぎたヘラジカが減少し植生が回復するという成果を上げています。 とはいえ人間との共生には課題もあり、ノルウェーではオオカミ保護派と射殺派による議論が長年あり、都市部と地方部の価値対立の象徴にもなっているといいます。

おそらく私も含め多くの人は、生まれてこの方オオカミを身近な恐怖に感じて暮らした経験などないでしょう。直接かかわりがなく実害もないのに、「怖そう、ずるそう」という先入観で偏見を抱く。その意味では昨今問題になっている、さまざまな立場の人々に対する無自覚的な偏見=アンコンシャス・バイアスにも通じるように思えます。しかもオオカミの場合、名誉回復を主張しようにも当事者たち自身が声を上げることすらできないのが気の毒です。もしオオカミたちが、これまで人間から受けてきた迫害行為や数々の偏見に満ちた描写に対し異議を唱えたならどうなるでしょうか。人類を代表する責任者がオオカミに対し、悪気はなかったけれど配慮に欠け、不快な気持ちにさせたことを謝りますと謝罪にもならない会見を開き、オオカミ界はますます炎上、人類を滅ぼしにかかるーー。そんなディストピア小説があってもいいかもしれません。

それではオオカミにまつわることわざや成句を廃止し、「ポリティカルコレクト」な表現に書き換えるべきかというと、そうとも言い切れない面もあります。オオカミだから、〇〇だからと場当たり的に言葉狩りをするだけでは本質的には何も変わらず、また別の差別発言を招きかねません。複雑な問題ですが、はっきり言えるのは言語表現の背後にある文化や歴史には、きれいごとだけではない負の側面や偏見も込められているということではないかと思います。

それにしても、ことばを扱う責任とは何と大きいのでしょうか。翻訳者の職分は原文の忠実な読者として著者の思考や論理を理解し、それを訳文に反映させていくことですが、それと同時に、原文を批判的に読む姿勢も欠かせないと思います。原文に「オオカミ」とあれば、それが悪魔や狂気のメタファーなのか、生物としての実体なのか、原著者の時代背景と照らし合わせて正しく読み取らなくてはなりません。何より肝心なのは、訳者自身にある無意識の差別、偏見によって誤読、誤訳しないこと。原文にオオカミが登場したときに、そこに描かれていない恐怖や狂気などのステレオタイプ的先入観を持つことのないよう、ことばひとつにも謙虚に向き合っていきたいと改めて感じます。

作品ガイド

『ジャングル・ブック』の原書Rudyard Kipling, The Jungle Bookはパブリックドメインに帰し、米国議会図書館サイトKindle無料版で読むことができます。日本語訳は多数刊行されており、数ある名訳書のうち本記事では山田蘭訳『ジャングル・ブック1,2』(2016, KADOKAWA)を参照しました。

映像化作品のうちディズニーの1967年のアニメーションミュージカルはよく知られ、ディキシーランド、スウィング、ラテンなど作中の挿入歌とダンスは、2016年の実写版リメイク映画でも用いられています。

2018年制作のNetflixオリジナル映画『モーグリ: ジャングルの伝説』はCGと実写を駆使し、モーグリの複雑な心情を描いた見ごたえのある作品です。

新しいオオカミ像を描いた話題作は、カートゥーン・サルーン制作『ウルフウォーカー』。美しい映像と幻想的なケルト音楽に乗せて、自然を破壊する人間社会を鋭く批判しています。

(*1 「偽預言者を警戒しなさい。彼らは羊の皮を身にまとってあなたがたのところに来るが、その内側は貪欲な狼である。」(新共同訳 マタイによる福音書 7:13-15)

(*2 スウェーデン語で「重い石」を意味するタングステン(tungsten)の元素記号Wはドイツ語Wolframにちなみ、「オオカミ」を意味するWolfと「うまい汁を吸う」を意味するrahmに由来。タングステンを含む鉱石である鉄マンガン重石(Fe,Mn)WO4がスズ鉱に混入すると多量のスズを奪い取ってスラグ(鉱滓)化されるため、スズを貪り食うオオカミ、オオカミの出す不潔物という意味で坑夫がWolfrahm(ドイツ語)と呼んで嫌ったことによる。参考: 『改訂新版 世界大百科事典』(2014, 平凡社), 『日本大百科全書(ニッポニカ)』(2001, 小学館)

参考文献:ミシェル・パストゥロー 著/蔵持不三也 訳『図説 ヨーロッパから見た狼の文化史 』(2019, 原書房), セイバイン・ベアリング=グールド著、ウェルズ恵子/清水千香子訳『人狼伝説』(2009,人文書院), 菱川晶子『狼の民俗学[増補版]』(2009, 東京大学出版会), 丸山直樹『オオカミ冤罪の日本史ーオオカミは人を襲わないー』(2020, インプレス)他

■執筆者プロフィール 星野 靖子(ほしの やすこ)

英日翻訳者。大学卒業後、民間企業に11年勤めたのち2006年よりフリーランスの翻訳者に。マーケティング、エンターテインメント関連の産業翻訳、リサーチ、ライティングのほか、人文科学、ノンフィクションの書籍翻訳や編集協力に携わる。ことばや翻訳と社会・歴史のかかわりについて研究中。

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