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お盆と施餓鬼を終えて

ようやくお盆と施餓鬼を終えました。

かなり気を使う形で行われましたが…

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まずは、昨日終了した施餓鬼に関してですが。

代務寺院も含め3ケ寺の自坊の施餓鬼は、諷誦という帳面に記載された施主の地域、名前を上げ、祖師の文章や経文等の読み上げる供養を行います。(これは日蓮宗の千葉の特定地域で行われるものです。)今年は、人数制限をし、かつ時間的余裕を持ち、空気の入れ替えを行いますつつ行いました。

通常半日で行われるものを1日にしたり、もしくは2日間に変えたりしながらですが…

その中で見えてくるのは、日本人の勤勉さです。

新盆のご家族は、時間指定をしましたが、皆様約15分前には集合。人数も10名が最大としましたが、人数制限を越える寺院もいない。

仏教を始めたインド人のルーズさ(インド旅行中、理由なく1日遅れた電車で苦しみましたが…(笑))との差です。

そんな中でも、マスク越ながら対話を楽しみました。

慣習と脱慣習

千葉の特定地域で行われるものであり、塔婆供養のように全国的に行われているものでない。世代交代の中でなかなか理解されなかったケースもあります。

塔婆と異なり、基本リーズナブルなので、村中でのやり取りが古来行われてきました。世代交代のなかで、頂いた諷誦代を突き返すなんてケースも聞いています。

ある意味の脱コミニティでもあります。付き合いが煩わしいという気持ちもあるのかもしれません。

袖すり合うも他生の縁などとも言いますが・・寂しく感じるのは年を取ったからでしょうか・・。

コロナ禍の中で

今後の世界の中で、地域と都心の関係は変化していくと思います。昔のように地域にだけ依存して生きているケースはかなり少ない。むしろ、東京や千葉中心地に通い、土日は農家。退職後に農家というケースが多かったですが・・。

コロナ禍の中でテレワークが増えることで生活スタイルが変化する場合もあるでしょう。地域コミニティが中心となったり、農家が再度注目されるケースも出てくるかもしれません。

不要な目線や監視は御免ですが、安心で安全な人間関係、こまった時はお互いさま的な社会が構築できると良いなーと感じています。

諷誦という供養が象徴するコミニケーションの姿、維持することの意義を感じる施餓鬼でもありました。

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