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遊行

9日朝に新聞ポストに入っていたのは、なぜか日経。なれてない新聞…読みずらいが…

一面の春秋では、ドナルド・キーンさんの日本へ行く過程でコロンビア大学からハーバードへの移動に触れ、

日本文化研究者の角田柳作さんに相談した。      師はこう答え、ハーバード行きを勧める。「仏教の修行僧が一つの修行場から次の修行場へと旅して歩くのは、ごく当たり前のこと、これを『遍参』と言うのです、と」

移動し学びつづける姿であるが…仏教では遊行という言葉もある。あちらこちに移動しながら布教、修行、研修する意味である。

現在の遊行は、リアルでは難しい。インターネットを用いてワークショップを行うこと、これも遊行とも考えられないだろうか?コロナ前から、友人たちと勉強会をしていてZOOMは用いてはいた。コロナ禍となり、ZOOM研修が標準となった。

多様な価値観に出会うことは自らを見直すことにつがる。かつてはリアルだけだったが、容易に頻繁に会えるようになった。状況の変化で学びのハードルは下った。ユーチューブ等の動画やインターネットラジオもある。

この記事でも書いたが、時代にあわせて布教も研修も変わっていくが、使命は変化していない。

昨日、リトミックで講師の先生とカミさんと立ち話をした。コロナ前は例年、節分や花まつりで子供と親が本堂に入り、密になりながら行事をしてきた。そのなかでリトミックを体験して頂いてもいた。しかし、コロナ禍となり開催ができなくなった。

コロナをある程度制御できるようになったとしても、催事は元にはもどせないのでは?という話になった。

それでも大きな声で、マンション住まいのお子さんたちが、周りを気にせず「福わ内」と言う機会や甘茶をかける機会は大切だという意見をカミさんからもらった。状況は変わるが、目的は変わらない。対応を考えたいと思う。

現代の遍参、遊行も同じではないだろうか?旅で出会う一期一会を大切にする。友人と出会うのは大切だが、異分野、異文化交流を喜ぶことも大切だ。そんなことを考えると読書も同じかもしれない。好きな分野、作家を読む楽しいし気楽だ。一方で出会うこともない価値観に出会う。それが今、自分が友人たちと行うZOOMを用いて行う読書会で遭遇する本たちではないだろうか?

コロナ禍であっても、コロナ禍だからこそ、本質か問われる。寺院・僧侶の使命は、時代や状況が変化しても変わらない。これからも悩み、苦しむだろうが…ニューノーマル対応をしていけたらと思う。




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