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常に

常懐悲感心遂醒悟(じょうえひかんしんすいしょうご)という言葉が法華経にあります。

常に悲しみの感情を懐くことで心が遂に悟りに到るという意味です。

この言葉を思い出したのは、横田南嶺老師の本書です。

本書の中で、東日本大震災でお子さんを亡くされた母親の手記に触れています。

「悲しみを抱いて、それでも私たち遺族は生きていかなければならない。それが亡くなった者に対する唯一できることだから。」(83頁)

というスピーチを引き坂村真民氏の『かなしみはいつも』という詩を紹介されています。その上で、下記のごとく述べています。

悲しみは打ち消そうとしてはいけません。悲しみを抱き続けているうちに、新しい世界が見えてくるのです。(86頁)

法華経の経文は悲しみを懐くことでついに悟りすなわち目覚める、真面になることを意味しています。それは、深い悲しみに触れる、その先に頭で考える世界を越えて諸行無常を感じ、新しい世界、正見を得ることを意味しているのでしょう。

先に紹介した横田南嶺老師の本では、「死んだ息子に会えますか?」と問われて答えた話も出てきます。そこでは

亡くなった方に会えるかどうかはわかりませんが、会えると信じて、その時笑顔で会えるよう、経を頑張って生きることはできるのではないでしょうか。(113頁)

と述べられています。自分も近親者を失ったり、枕経を行ったりしてきました。現代科学的にみたら輪廻転生は、ナンセンスに感じるかもしれません。しかし、輪廻転生や浄土がないと考えるとつらいというのは、個人的には本音です。それ故に、大切な人々に浄土で会えると信じ、今を生きるということは納得できるものと感じています。

○○オフで300円で購入した本ですが・・・学び多き一冊でした。

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