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大人
昔、カードローン会社の宣伝で、「○○の思い出プライスレス、買えるものは○○カードで」という渋い宣伝が好きだった。
買えないものって思い出であり、哀愁なのだと感じた。そんななかでお盆の棚経は続いている。
7月13日は二十年ほど前、白血病で亡くなられた友人の家でのお経。
遺影と向かい合い続けた二十年、その間こちらは年を取り、友人は若いまま。そんなこんなで、ご両親と話し合う。
元はそのエリアの住人ではあったが、師父が入寺し、高校時代から土気へと引越した。それ故に、亡くなられた故人とは、ある意味、小学生2年から中学卒業まで同じエリアに住んで遊んでいた。その後は交流が途絶えていた。友人がなくなったとしり、葬儀焼香に伺ったことから、49日法要で引導を渡し、法号をつけさせて頂いた。
実は亡くなられたら彼とご両親から学ばせて頂いた20年といえる。ご家族の方々とも交流してきて思うのは、故人が今も我々のそばにいるという感覚です。その存在を我々は感じ、今を生きているということなんだと感じます。
大人になるとは、時間や目に見えない大切なものが増えていくことかもしれません。
確かにカードでは買えないものばかり…
ブッダの遺言は
自らを灯明とせよ、法を灯明とせよ
ですが、法とはブッダの言葉であり生き様でしょう。
本来的それは悟った人であり、その教えでありますが…個人的にはブッダだけでなく、友人も含めた故人、先祖の言葉と生き様も含まれめてもよいかなとも感じます。良き生き方をまねし、悪しきを反面教師とすることで…
ある意味で、人みな仏心あり的な感じですかね…
いずれにせよ浅学非才の身である自分。彼と彼の家族が二十年に渡って教えてくれているものは…プライスレスだなと感じる、今日この頃です。
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