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性格の多くは幼少期につくられる?①

記事のタイトルは、単なる逃げかもしれないけれど、最近感じていることです。

なぜゲイであることを曖昧にしてきたのか

昨年の年初に、自分がゲイであることにきちんと向き合い、周囲にも言いたいと思える人にはカミングアウトすると決めました。

その上で、なぜ40代になるまで、ゲイであることを認め、向き合うという選択肢を取れなかったのかが、自分の中で引っかかっていました。

たしかに簡単なことではありません。特に私の学生時代や、社会人になった頃は、まだまだ簡単にゲイであることを表明できる環境ではなかったと思います。

ただ一方で、ちゃんと若い頃から向き合い、カミングアウトはせずとも、ゲイとしてのコミュニケーションや、ゲイとしての人生を、考え過ごしてきた方もいる。

私はなぜそれができなかったのか、自分では完全に気づいていたにも関わらず曖昧にしてきてしまってのはなぜなのか、そこを知りたかったのです。

単なる興味でもありましたし、自分の後悔に何かしらの決着をつけたいという気持ちでもあり、またそこがわからないと先に進めないような気がしたのも事実です。

家庭環境からの影響という可能性

自分の人生を取り戻す一年にすると決めてから、生きていく上でのヒントがほしくて色々と本を読みました。その中で、エーリッヒ・フロムの「愛するということ」に出会ったことが一つのきっかけでした。

その頃はオンラインチャットの彼が大好きで、その叶うことのない愛情をどう自分の中で消化したらいいかがわからず、藁をも掴むような気持ちで本を読んでいた気がします。一方で、フロムの本がきっかけとなって、親との関係性について考えてみたいなと思うようになりました。

フロムの本は、異性愛から友情、親子愛まで幅広く愛について論じていますが、親子愛の章では母親からと父親からのそれぞれの愛の性質の違いについて語られます。

母親に愛されるというこの経験は受動的だ。愛されるためにしなければならないことは何もない。母の愛は無条件だ。しなければならないことといったら、生きていること、そして母親の子どもであることだけだ。

幼児は、生理的にも精神的にも、母親の無条件の愛と気づかいを必要とするが、六歳をすぎると、父親の愛、権威、導きを必要とするようになる。母親には子どもの安全を守るという役目があり、父親には、社会が押しつけてくるさまざまな問題に対処できるよう、子どもを教え導くという役目がある。

神経症になる原因のひとつは、その人の母親が、愛情はあるが、甘すぎたり、支配的だったりして、父親が弱く、子どもに無関心なことである。この場合、その人は幼児期の母親への愛着にいつまでも固執し、大人になっても母親に依存したままで、無力感をもちつづけ、いつでも何かをもらいたい、保護されたい、世話してもらいたいといった、受動的な人間に特徴的な願望を抱き、いっぽう父親的な特質、すなわち規律、独立心、自分で自分の人生をコントロールする能力などが欠如している。

“自分で自分の人生をコントロールする能力の欠如”
まさに自分のことを言われているような気がしました。

周囲に本心で語ることができず、人と打ち解けられない。男の子の輪にも女の子の輪にも入りきれない。寂しさからか、いつしか人に媚びるようになり、人を嫌な気にさせないことに一番神経を使い、自分の気持ちなど二の次になっていきました。

そんな姿勢で、自分の人生のプランを描けるわけもなく、どうしたらいいかわからないまま、流されるように生きてきてしまいました。
自分の人生に本気で目を向けていなかったのです。


条件付きの愛、父親とのコミュニケーション不足

フロムの本から引用した文にあるように、母親が決して支配的だったわけではありません。甘いか厳しいかといったら甘かったとは思いますが、母親に依存的という実感はありません。

ただ、親戚関係が比較的高学歴、ステータスのある仕事をしている人たちが多かったので、勉強ができなくてはならない、良い大学に行って、有名な企業に就職するのが当たり前という雰囲気の中で育ちました。

ものすごくそのプレッシャーがあったわけではないのですが、ステータスのある道に進めなければ少し認められないような感覚を持った(無条件の愛ではなく)、ということはあるかもしれません。

一方で、父親については、もしかしたらフロムが語るような父親からの愛を受けてこなかったのかなと思いました。
父親はシャイで仕事人間で、子どもと積極的に遊ぶような人ではありませんでした。私は私で、キャッチボールやアウトドアのような男の子の遊びをしたい気持ちが全くなかったので、そこの利害が一致したのか、父親と遊んだ記憶はほとんどありません。

決して、毒親のような環境下で育ったわけでは、まったくありません。好きなことをさせてくれましたし、ちゃんとした教育を受けさせてくれましたし、幸せな家庭だったと思います。

ただ、ゲイであること、親からのコミュニケーションの加減、育った環境などが重なり、自分の人生に向き合えなくなっていった、という因果関係はあるのかもしれないと考えるようになりました。

その後、アダルトチルドレンに関する本を読んだことが直接的なきっかけとなり、公認心理師によるカウンセリングを受けてみようと思い立つことになります。

長くなったので、また書きます。

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