無臭の男
今の世、体臭は嫌われている。
ないほうが良いと思われている。
臭いをカバーする香水や
臭わなくするスプレーもある。
女性はもちろん、男性まで
無臭を良しとしている。
しかし今の世でもイタリアでは
貴族の臭いというものがあり、
その臭いを求めたりするそうだ。
貴族の臭いは代々の豪華な家に
もたらさせる古臭いものだろう。
伝統が息づく臭いかも知れない。
日本でも家の臭いは体に付く。
代々続く古い家の臭いは強い。
農家の臭い、畜産の臭い、
酒蔵や醤油蔵、味噌蔵の臭い。
そうした家の臭いが体に付き
家族の体臭となっていく。
家族同士は同じ臭いだから
本人はまったくわからないが、
他人は違う家の臭いだからわかる。
しかしそれがその人の臭い、
歴とした伝統の家の臭いなのだ。
それを嫌うことなどまったくない。
「パフューム」という映画の
グルヌイユという名の主人公は
無臭の体を持つ男だった。
彼は高貴な体臭が欲しかった。
秘匿の調香術から素になる臭いの
女性たちを次々に殺していく。
体臭があってこそ人間である。
無臭では生きているとは言えない。
自分の体臭を貴く思いたい。
それが例え貴族の臭いでなくとも。
消す必要などどこにもないのだ。
臭いのある自分を誇りに思いたい。