ある名曲喫茶

かつて、ある駅のそばに

古びた名曲喫茶があった。

お化け屋敷のような店の

小さなテーブルと椅子は

皆、同じ方を向いていた。

2つの大きなスピーカーに

向けられていたのだ。


同じ方向に座っている人は

誰も何も喋らずに

難しい顔をして

クラシック音楽を聴いている。

僕はとても面食らっていたが、

僕を連れて来たKは

常連なのかさらっと座った。


僕らは「コーヒー」とだけ言い、

それぞれのテーブルと椅子に座り

一言も喋らずに音楽を聴いた。

クラシック音楽をほとんど

聴いたことがなかった僕は

かかっている曲もわからず

ただただじっと座っていた。


Kがそっと曲名を教えてくれた。

途中から聴いてもわかることに

僕はとても驚いた。しかも

Kは小さな紙に何か書き込み

ウェイターにその紙を渡す。

後で知ったが、聴きたい曲を

リクエストしていたのだ。


店自体が傾いていて

床もテーブルも傾いていた、

無言で聴いた汚い店を思い出す。

あの時代の僕らのあの空間、

あれは一体何だったのだろう。

あれから50年近く経った今、

僕はクラシックばかり聴いている。


あの店を夢でも見ているように

ぼんやりと思い浮かべながら……