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何度も聴きたい噺と、聴くのが怖い“あぶない”噺

金曜日に、「落語教育委員会/三遊亭歌武蔵・柳家喬太郎・三遊亭兼好 三人会」を聴きに行った。
落語は、私が物心ついた頃から生活の中にある、大好きな伝統話芸だ。今年の始めに「よってたかって新春落語」を聴いて以来なので、生で聴くのは約9カ月ぶりとなる。

目当ては柳家喬太郎さんと、三遊亭兼好さん(お二人が二つ目の頃から好き)!

★トリの喬太郎さんの噺は「茶の湯」

意地っ張りだが社交的で憎めないご隠居と、元気いっぱいなイタズラっ子である小僧。主役である彼らの姿形が一言で伝わる表現力に、しみじみ感動した。他にも声としぐさだけで、店子や町の衆など明確に違う見た目の人たちが、彼らのバックボーンとともに現れた。

展開に一部の隙もなく、スピーディーで美しい作りの噺だった。
隠居と小僧がめちゃめちゃな茶道を始めたばかりに、登場人物は常に腹を下しているというどうしようもない(愛をこめて)内容とのキャップも、とても魅力的で大好き。

茶室内での噺なので、登場人物はみな座っているだけなのだが、喬太郎さんの言葉に導かれて頭の中でカメラワークが躍り、外の日本庭園もありありと見えた。

何より場面展開の装置として使われる鹿威しの音が、なんとも呑気で、お金持ちのおっとりとして抜けている二人、一方で探求し始めると即実行に移しとことん突き詰める商人気質が垣間見えて、物凄く面白かった。

そういえば、枕で喬太郎さんが、「根岸の里のわびずまい」とお尻につけると、頭にどんな適当な言葉をもってきても、俳句らしく聞こえると言っていた。
それにあやからせていただくならば、「マズい茶も、根岸の里のわびずまい」と言ったところか。ご愛敬。

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★2番目は兼好さんの「だくだく」

家財道具が一切ないので、すべて壁や床に描いた絵を本物と見立てて賄っているある家。つまり、家財道具が揃っている“つもり”で生活しているのだ。
そこにある晩、少々目の効かない泥棒が入った。そして家主と泥棒との間で、例の有名なやり取りが繰り広げられる。

「盗人め! えいっ! 泥縄を投げた……つもり」
「それを払った、つもり!」
「何を? 槍でもって突いた、つもり!」
「腹を突かれて血がだくだく、と流れた、つもり……」

なんとも小気味よくて、とても楽しかった。
私は兼好さんの小気味よさも大好きだが、彼の女形がとても好きだ。
口調はもちろんのこと、ちょっとした指先の動きや目線など、端橋に爽やかな色気がある。

今回「だくだく」内でも、「ここに女房がいるつもり」と言って、2言ほど女性が出てきた。
時間にして1~2秒だったが、閃光が走ったような衝撃だった。

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★3番目、歌武蔵さんの「植木屋娘」は、正直、引いてしまった

今の時代にあってこれは、噺家さんにとってものすごく難しい噺なのではないかと思う。
歌武蔵さんほど全身から愛嬌があふれている噺家さんから聞いても、これほど嫌悪感を覚えるのだから。

物語としては、植木屋さんの家に寺から手伝いに来た伝吉さんを、植木屋が娘と結婚させようと目論む。まずお坊さんにその件を相談すると、「さるお家からお預かりした大切なご子息ゆえ」と断られる。しかしながら、結果的に伝吉と娘は「さずかり婚」に至る(しかし、母親が娘の大きくなりつつある腹に気づかなければ、2人は正式に結婚していただろうか)。

娘は両親のどちらにも似ず美しい容姿をしており、植木屋の主人の言葉を借りれば「町中の誰もが、隙があったら押し倒してやろうかと眺めている」。
だからこそさっさと結婚させてしまおうというのだが、主人が「いい女になったなぁ……いい女に」と娘を眺めまわして母親にたしなめられる場面や、伝吉と娘を二人きりにして主人がもの影からこっそり覗く場面、娘の妊娠が発覚した時まっさきに「俺の子か!?」と聞いて「どうしてだよ!」と妻に突っ込まれる場面などで、大変申し訳ないのだが、近親による性的虐待事件を思い起こさせられて、恐怖と嫌悪感にさいなまれてしまった。

そんなわけあるかい! と言ってあっけらかんと笑えるほど、家庭が安全な場所ばかりではないと、すでに知ってしまっている。

また、途中で主人が妻に対してこう言い放つ場面がある。

「俺たちが結婚して3日もしない間に、お前の元カレが3人も家に来たろう。お前のその尻の汚いところが、娘にもちょっと遺伝すればよかったんだよ」

この発言を聞いたとき、先程の場面とあいまって、「こんなに美しい娘が自分と血が繋がっているわけがない」と言って虐待をするのではないかと思ってしまい、本当に恐怖と怒りがわいてしまった。できれば、もう2度と聞きたくない噺だ。

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落語には、「故郷への錦」という、息子と母親との近親相関の噺がある。
ものの本によるとこの噺は規制されていて、寄席の隅から警官が監視し、噺を始めようものなら飛んできて制止したという。

落語には、両手ばなしに笑える平和な物語だけでなく、こんなふうに耳を覆いたくなるようなあぶない噺もある。現実世界と同じだ。
一方で、開口一番に三遊亭しゅりけんさんが演じた与太郎のように、ドジで不器用だが底抜けに素直な子が、あたりまえに仲間として愛されているあたたかい世界でもある。

個人的にコロナ禍の開口一番であったこの日に、極端なまでに清濁併せ持つ会を聴けた経験は、私にとって少なからぬ財産となった。

(写真は、夢空間さんのツイッターよりお借りしました)

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