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石を拾いに行くまでの話

派遣先を変えることにしました。年末からウンウン悩んでいたのがいよいよ決心がついて、先日の契約更新のタイミングで派遣元に意向を伝えました。

私はHSPであるとはっきり自覚したのは、今の派遣先に勤めてからだ。ちょっとその話を書きたいと思います。

https://www.shinjuku-stress.com/column/psychosomatic/hsp/

HSPのことを知ったのは2年くらい前。ツイッターでたまたま流れてきた記事を読み、私もこの傾向あるな〜誰しもそうと思ってたけど違うのか〜くらいに軽く受け取っただけで終了。そう居られたのは、それまでの生活と仕事がHSP由来のやりづらさを感じにくい環境だったからだと、今なら明言できる。

以前より、誰かと丸一日を過ごす予定が連日入ると(たとえ気心知れた人であっても)とても憂鬱になってしまったり、先輩上司がそのまた先輩上司からお叱りを受けてる姿を見るのがひどくつらかったり、五感の快不快に呼応して気持ちのアップダウンが激しい…などなどの、「人や外部の刺激から受け取るエネルギーに良くも悪くも振り回されがち」な自覚はあった。あなたは複雑で難しいねと言いつつも、この性質を矯正せずに許容しながら、面倒を見てくださった古巣の先輩、上司には頭が上がらない。

今の派遣先に就業して、あなたはHSP!ドン!と太鼓判を押されたきっかけとなった環境変化が大きく二つあった。

①満員電車通勤

高層ビルがひしめく、いかにもなビジネス街に会社はある。毎朝ぎゅうぎゅう詰めの満員電車に身を押し込めることになった。人間同士で四方を圧迫し合い、至近距離に見知らぬ誰かの顔面がある。味覚以外の感覚器に常に刺激が降りかかる、拷問のような空間。

まず視覚。ただ偶然乗り合わせただけの人の健康状態などを想像してしまい、朝から感情を消耗する。「この人肌ツヤ良くないな、あんまり寝れてないのかな、ちゃんと栄養摂れてるかな」「髪がカサカサだ、手入れする余裕もないほど忙しいのかな」「あ、この人のリップの色めっちゃ似合ってる素敵」「フケがスーツの肩にぽろぽろついちゃってる」といったような情報を絶えず受け取ってしまう。車内には基本的に、真顔かしかめ面の人しかいないため、負の感情がどんどん流れ込んでくるのもまた苦しい。車内ではなるべく目をつむるか下を向く。この話を非HSPの同僚に話してみたが、いまいちピンと来ていないようだった。

そして触覚。知らない人の鼻息が顔や首にかかる。夏場は汗でべたつく肌同士が雑に触れ合う。もう無理無理の無理。キングオブ苦行だ。悟れないけど。冬は着込んで襟元も隠れるためストレスはほぼない。

でもって聴覚。ゼロ距離でくしゃみをされると心臓が跳ねる。人が音を吸収するからか?満員電車はアナウンスのボリュームが大きい(気がしている)。ラッシュアワーは車掌さんも声を張りがちだ。うっかりスピーカーの真下に立つと突然の音圧に心臓がやられる。聴覚ストレスは音楽でほぼ緩和できる。Bluetoothイヤホンの充電が切れると絶望感に襲われる。

最後に嗅覚。汗、タバコ、化粧、香水、体臭…鼻は塞げないのでこれだけは耐えるしかない。

②雑談が飛び交う職場

地味にHSP判定の決定打になったのが職場環境だった。オフィスは部署ごとにデスクの島がある。私の席はちょうど島の中心だ。話好きなメンバーが多い。公事から私事まで会話がポンポン飛び交っている。みんな声の通りが良い。すると困ったことにPCの画面に集中していても、聞こえてくる声色から表情や感情を読み取ってしまい疲弊するのだ。対面したうえで、表情を伺い感情を受け止めるのは全然いい。ただ、対私に向けたのではない声と言葉を、私が参加していない(する必要がない)会話を聞き続けなければならないというのは、受け止めなくてもいいエネルギーの流れ弾がぶつかり続けるような感じだ。雑談であっても仕事の話も紛れているので意識を向けないわけにはいかない。

決定打は他にもある。上司からの質問の内容が主語が抜けていたりと断片的だと、意図をあれこれ探ってしまい返答が1、2テンポ遅れる(他のみんなは断定が早くテンポが遅れない)、ある社員が突然大声で笑ったり返事をすると心臓が跳ねる(みんなはノーリアクション)…全部書こうとすると長くなる。私はこの環境に困難を感じているのに、みんなはどうやらそうでもない。適応できない私に問題があるのか?なんでみんな平気そうなの?

もやもやぐるぐるしてた気持ちを救いあげてくれたのがこの本だった。

https://d21.co.jp/book/detail/978-4-7993-1978-9

HSPの傾向、傾向の受容、そしてHSPと共に生きるためのステップが詰まっている。昨年に読んだ本の中では間違いなく栄養価がダントツだった。

私のような特性を抱える人は確かに存在していて、研究者がちゃんと「HSP」と名前を付けてくれたから、社会で存在が認められている。そして寄り添うことを望んだ著者は、こうして本を書いてくれた。その事実だけで胸がいっぱいになり満員電車ですすり泣いてしまった。

読みながら憑物が落ちていく思いと共に、過去のあれやこれやもHSPに由来していたのだな、と答え合わせができた。

なかでもこの一文には強く強く感銘を受けた。

私自身は、激しい痛みにふたをすることで生まれる灰色で起伏の少ない感情でいるよりも、私自身の悲しみに触れて生きていると実感したいと願っています。

私は些細なことで揺らぎやすい、どうしようもない人間だとどこかで思いながら生きてきた。だってブレがなくて割り切りのいい人は見てて気持ちがいいし、社会にはそういう人が求められてるような空気も感じる。
でもそうして自分を蔑ろにするのではなくて、些細なことでも何でも、一喜一憂して揺さぶられながらでも、私は私の感じ得たものを大切にして良いのだと教えてもらった。自分にそうしてあげることで、相手の気持ちも尊重できる。尊重し合いながら生きていける。

感じたことに蓋をせず生活していると、湧いてきたそれらを無視せずに拾い上げるのにいそがしくなった。嬉しいことも悲しいことも楽しいことも腹立つことも、等しく大切だ。誰かもこんな思いをしてるのかもしれないと思うと、その誰かの気持ちを無視も無下にもできなくなる。過去を省みれば、確かに在ったのに置いてけぼった想いもそこかしこに散らばっている。あのときあの瞬間、本当はこう思ってた。本当はこうしたかった。相手にこうしてほしいと望みを伝えたかった。けれど「こんな弱気なこと考えちゃダメだ」「〜するべきだ」と道徳的なジャッジを背負い込んでいたせいで、本心を取りこぼしてきた。拾い切れないな、身動きが取りづらいな、面倒だな…と思うこともある。けどHSPを知って、至らない自分と少しだけ和解できた今の方が呼吸はずっとずっと楽だし、体の力も抜けてる。

このニュアンスを込めて、「30代になってから拾える石がめっちゃ増えた」と友人に話したら、「わかる。こんなに落ちてたのかってびっくりする」と共感してもらえた。

こんなわけで、私はHSPから石を拾う人生をもらったのでした。つぶさに拾い続けようと思います。私の本心を見失わず生きるために。相手の本心を尊重するために。


いやしかし満員電車はHSPでなくてもMAXストレスフル異常空間に違いないので、リモートワーク・時差出勤が定着化することで社会から消えることを切実に願って止みません。痴漢や乗客同士のケンカも無くなり、子連れの人も乗りやすくなり、良いことづくめだ。新しい日常とやらに、不安と危険とストレスの詰まった満員電車は相応しくない。