第1回富丘会
2024年7月6日(土)に第1回富丘会を開催する。富丘とは札幌市手稲区の地名のことだ。偶然知り合った人たちの共通項に「富丘」があったから、「これは面白い!」という「ノリ」で開催する会だ。しかし、このノリは本気である。
私にとっての富丘とは、「ていね温泉 ほのか」だ。大抵一人でだらんとしたいとき、現実逃避したいとき、休息したいときに、午前中から滞在して、お風呂に入ったり、仮眠したり、雲海岩盤浴に入ったり、ご飯を食べたり、本を読んだりする。
電車の車内など、日常暮らす街の公共空間で、他人同士は結構警戒しているものだが、温浴施設では、なぜかみんな警戒心がほどけている。早朝に入店すると、前日から泊まっていた人が、座敷の休憩でスペースで無防備に寝ていたりする。ひとっぷろ浴びた私は隣のソファにだらんとしながら漫画を読む。隣人は、その音に、ときおり気づき目を覚ますが、また眠りにつく。やがて仕事か学校の時間が迫ってきたのか、そそくさと起き出し去っていく。
脱衣所の無限にも思える3桁のロッカーの数。まるで集合住宅のドアのようである。ここに集まる仮想住人は、富丘にただ物理的に一時滞在しているだけだから、富丘とは無関係なのか。ただ、金銭を介した商品的関係に過ぎない余暇施設なのか。そうでもないだろう。富丘に住んでいる人も、この土地に住んでいるという実感をあまり持たず、どこか違う場所に自分の地元(本拠地・根拠地)を持っている人もいるかもしれない。
私はと言えば、今は、実際に住んでいる北大ななめ通りに知り合いが増えて、物理的な特定の場所に住んでいることと自分が生きている実感がシームレスに繋がり始めている。一方で、私の地元は複数から構成されている。例えば北24条のミスタードーナツだったり、ていね温泉 ほのかだったり、通っていた北大大学院の研究室だったり、多摩ニュータウンの諏訪団地だったり。今日、富丘を歩きながらもいろんな場所の記憶が蘇って、今歩いている場所が自分がこれまで歩いてきた道と接続していた。
富丘を歩いていると、ふと現れた「富丘高台団地」。ここには、私の家族の原風景である多摩ニュータウンへと繋がっている。建物や公園、集会所の配置。その同質性が郷愁を誘う。
これは、「富丘会」であり、同時に「自らの地元を語りながら創る会」であり、homeport(母校/港)の軸となる会である。
先週末、利尻島出身で、26歳年上の研究者の方と北大ななめ通りの「喫茶ペエジ。」でいろんな話をした。その方の親は、本州からの移住第一世代だ。ペエジにある古書やレコードといったモノが語りかけながら、会話は多岐に及んだ。その中で、こんな話をした。現代の地方創生の移住ブームと、近代初頭の北海道移住では、一見、その過酷さは後者に軍配が上がるように思えるかもしれない。各地の開拓資料館に行くと、途中で船が難破したとか、感染症の流行や過酷な気候下での土地の開墾といった、「想像を絶する困難さ」が強調されている。
では、現代の移住は容易で緩くて、ただ希望に満ち溢れているものなのか。そんなことはない。移住に限らないが、多くの人が鬱や精神疾患になる時代。厳密に言えば、精神疾患として定義しようとする社会がある。それは、正社員と非正規雇用を区分けする社会と地続きである。現代には現代なりの「想像を絶する困難さ」がある。たやすく他人が共有できない寂しさや辛さを抱えている人が世の中に溢れている時代。
ていね温泉ほのかの横で寝ている他人も、ひょっとしたら命からがら生き延びて、しばし休息している人かもしれない。その可能性を想像(創造)できること。もしそうだったら、共有できない悲しさや寂しさを共有できないまま分かち合うこと。それが生きる希望だし、自分たちで地元を創ることにも繋がる。
そんなことを最高に楽しみながら考え・話す場が富丘会だ。場所は、homeportのアジールでもある「桑園 たまゆら」に程近い「insomnia」。6月30日に開校1年を迎え、生きのびてきたhomeport2年目のオープニングアクトである。
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