Vol.64 親子の絆のねじれ具合は?

私がなぜママの居場所を作りたいかというと、帰る場所が欲しかったから。
ちょっとした喧嘩をしてもグチれる場もないとか、プチ家出ができないとか、なんだそれくらいと思われるような場があたえられているか、いないかでは長いこと子育てをすることを考えると、すごいストレスになる。

プチンと切れた時に、裸足で雨の中を歩く。
そんなことは当たり前にワタシはあった。
冬、パジャマのままで靴はかろうじて履いていたけれど、裸足で外に出るなんてことも、普通だった。

妹も夫も、「お姉ちゃんが死んじゃう」と追いかけてきてくれたけれども心配されてるという実感がなくて、かえって「何なのこの人たち???」という感情しかなかった。

まさしく、14歳の彼女が言っていた「うるさい」「かまうな」そんな気持ちに近いかもしれない。
人は怖い。
だから近寄らないでほしい。あなたを傷つけてしまうかもしれないから、近くにこないで。

今分析するとこういう気持ちだったんだろうなと、想像できる。
言葉は聞いた通りじゃないことだってある。

そんな背景を持ちながら生きている人たちはたくさんいるだろうと思うし、
頑張って生きている人ももちろんいる。
2020年のオンラインイベントで出会った同い年のサバイバーがいる。

お互い、60を超えて出会いたかった人に出会った感が否めない。子育て時代に出会えていたらと思うものの、お互い心が回復していないときだったら、今のように意気投合はできなかったかもしれない。

心にゆとりがない時は、他人を思いやることなんてできないし、反発しあったかもしれない。

私は親からは愛という形ではもらえてないけれども、自分の持って生まれた力で、なんとか人と人をつなげていくという使命を誰にも聞かされていたわけではないけれども、続けてきた。

彼女は、発達障がいを持つ親から間違った育てられ方をされて、ことごとく夢を奪われ続けていた。親がいつでも応援するから大丈夫だよと言われ、いざというときになるとその夢をぐちゃぐちゃにされて、何度も何度も、煮え湯を飲まされる感じだったようだ。
私は生きるために、最低限の学歴と資格、それは生きるためのもの。

彼女は、必要ないのに夜学に通わされ、持ちえた資格の保育士。
それでも教育と保育、子育ての世界でいろんな経験をしてきての今がある。

私はとにかく生きるために働く。

20歳で、妹を育てる、結婚しても、夫婦で一人分の給料で三人で暮らす。

それぞれが必死。

自分の境遇に疑問を持ちながらも、誰も理解できるはずがないと、口を開くことをせず、黙々と子育てをする。
何も持たされない私と、過干渉の親を持つ彼女が、分かり合えるのだ。
でも普通に育った方たちは想像ができないとよく言う。


だから、私は居場所を作りたいのだ。
ふつうに育った人が、自分の家の話をするように

私たちだって、話したいことがある。でもそれは眉を顰められてきたから。

気楽に、そうそう、あるあるな話ができたら、心の傷は回復するのが早い。
だから、私は「ママの居場所を作りたい」。

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