日記(2/14)

 たとえば朝、学校に着いて上履きを履こうと下駄箱を開けるとき、何もないとは知りつつもそれでも祈るようにいつもより丁寧に開く。私にとって2月14日とはそういう日だ。

 普段より少し姿勢をよくして教室のいつもの席に座り何に従い従うべきか考えていた。ざわめく心クラスの女子の一挙手一投足さえ気にかかり、だれか俺にくれないものかと思いながら文庫本を開いて背筋を正して読んでいるふりをしていた。果たして何事もなく放課後、帰り道を遠回りしながら孤独を瞳に浮かべて寂しく歩いた。家に帰り母親からチョコもらえたのなどと訊かれ、友チョコなら、なんて母親にだけ強がってみせた。女友だちなんて今も昔もいないのにね。

 高校三年生のときのバレンタインを憶えている。もう十年以上前だ。センター試験(死語)も終わって受験の渦中、授業なんてもう全部終わっていてみな自習だった。あとひと月くらいで高校の連中とおさらばになると思えば気が楽で、私は女子たちに土下座してチョコをせがんだ。一回も母親以外からもらったことないんです! お願いします! そうしてそのうちの一人から、クラスメイトみんなに配る用だったのだろう、袋詰めされたトリュフチョコを一つ賜った。欣喜雀躍してなんどもありがとうと言って、さっそく食べた。私はとても甘くておいしいと強いて感想を口にした。苦い味と思い出だけが残った。

 この前新聞で、バレンタイン用のチョコを買う女性で自分のために買うという人が増えている、流行っているという記事を読んだ。自分へのご褒美としていつもよりいいモノを買う。友チョコなんかも廃れているみたいだ。なるほど時代も変わったな。十年前は、男子はチョコの話でみんな熱くなり自分がどれだけモテるのか知りたがっていた。チョコの数のハイスコアを競い合っては、母チョコしかない私はそんな輪に入れず、チョコ? 甘いものとか俺は苦手だしと自分の心を鎧ったものだ。しかし今こうしてバレンタインの風潮が変わったことを考えれば、チョコの数で一喜一憂する男子は減っているかもしれないし、土下座をしなくて済むかもしれない。いい時代だ、と私は思う。

 とはいえチョコは欲しい。それはやむをえない。今日の朝、私は出社するとき、自宅の郵便受けを丁寧に開けた。チラシしか入っていなかった。人を馬鹿にしやがって。何が新装開店だ。マンション共有のごみ箱にぶち込んだ。いつもより丁寧に仕事をした。いつもより人に道を譲って歩いて帰った。帰宅して、郵便受けをまたゆっくり開けた。空っぽだった。俺の住所を知っている女なんて誰もいないからね。

 そうして酒とたばこにふけって、この戯言を書いている。流行だというので私も自分へのご褒美に明治の板チョコを一枚買った。酒のつまみにひとかけ割って、食べる。誰も知るように、チョコの味は苦い。

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