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PERCHの聖月曜日 15日目

芸術家はつねに外部から抑圧を受けます。芸術家には、理想的な作業条件というものは存在しません。理想的な無菌状態が芸術家のために作り出されたとしたら、彼の作業は成立しなくなるでしょう。人間は無重力状態で働くことはできない。何らかの圧力を体験しなければならない。それが何であるのか私にはわかりません。しかし、芸術家は世界の居心地が悪い限りにおいて、世界の具合がどこか悪い限りにおいて、存在しうるのです。そしておそらくまたそのためにこそ、芸術は存在しているのです。もし世界がすばらしいもの、調和のとれたものであったら、芸術はおそらく必要とされないでしょう。人間はおそらく、こうした作業のなかで調和を探し求めたりせずに、調和のなかで暮らしていたに違いないのです。それで十分なのですから。
私によれば、芸術は世界がまずく作られているからこそ、存在するのです。『アンドレイ・ルブリョフ』のなかで語られているのは、まさにそのことです。調和の探究、人生の意味の探究、それが人間と人間との、芸術と人生との、現在と過去との、調和のとれた関係のなかでいかに表現されうるのか、実際このことに私の映画は捧げられています。

––––アンドレイ・タルコフスキー「芸術は何のために存在するか」『タルコフスキー、好き!』月刊イメージフォーラム,1987年3月号増刊

イコンを描くアンドレイ・ルブリョフ(中央)
ca. 1592

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