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PERCHの聖月曜日 51日目

あらゆる歴史的必然的なる被担性 Getragenheit の中にみずからの自由を発見するもの、それが芸術家である。あらゆる歴史の中にあらゆる困難を越えて、その底に美わしさを求めるものが芸術家である。巌であれば巌の固さの中に美わしさを求めいずるもの、仏像の尊厳を守りたてまつる板目であればその板の上に、襲いくる矢を防ぐ壁であればその壁の上に、豪奢をきそう富商の障壁であればその障壁の上に、すべての被担性を乗り越えてその中に「美」を盛ろうと試みるものが芸術家である。
壁とは目を障えぎり、視覚を覆うものの所謂である。それを透して見んとする意志がかぎりなく働く。不自由と、必然を透して自由を得んとする努力、そこに芸術のもつ執拗性がある。
今われわれの時代において、何が被担性として最もめざましくあらわれつつあるか。一つには個人主義が集団的組織の中に沈下していくことによって、個性的天才が集団的性格に転じつつある歴史的必然性、二つには自由通商的資本主義が統制企画的組織主義に変容しつつある過程がすなわちそれである。それが良い悪いを論ずる時ではない。時の必然がそれを率直にそこにもたらしつつある。
機械と集団建築と組合が生活の大衆的単位となりつつある時、壁とは、今、われわれにとってはたして何を意味せんとしつつあるか。
壁が建築の支柱的機能をもち、窓がそれに対して展望、採光、通風の機能をもっていたことは今やすでに硬質ガラスの出現によってその函数表をあらためることを要求されはじめる。極限にまでひろげられたる函数表においてはすでにすべての壁は窓となりつつある。硬質ガラスは窓であると同時に支柱としての壁をも意味することとなる。建築はすでにガラスへ向ってその視点の方向をむけつつある。
かつて原始人が巌を透して視覚の自由を主張したように、近代人は石英と鉛の溶融体を透してその視覚の自由を獲得せんと焦慮している。

ーーー中井正一「壁」『光画』6月号,1932

https://www.aozora.gr.jp/cards/001166/files/46273_31192.html

Towel border
Russianearly 19th century

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