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本物になるまでは。(2011年7月6日記)

(2011年)6月26日(日)、青山ブックセンターで行われた『写真家 川内倫子 × 映画監督 是枝裕和「あらためて、ちょっといい話」』に行ってきた。

これは川内倫子さんの最新作『Illuminance』の発売を記念して、映画『誰も知らない』でのスチール担当をきっかけに交流のある是枝裕和監督をゲストに迎えたトークイベントだった。

川内倫子さんとは仕事をご一緒したことがない。 雑誌『SWITCH』の編集者時代に写真担当(カメラマンの持ち込み写真を見る担当)をしていた時期があり、そのときに彼女が連絡してきて逢ったことはある。本当に素敵な写真だったのだが、彼女の写真はそのころから6×6(ろくろく)という正方形のサイズで、雑誌に使いにくいこともあって、なかなか仕事をお願いできなかった。

その後、スイッチ編集部を辞めたあとだったと思うが、ANAの機内誌『翼の王国』で彼女の写真を見た。朝日新聞の天声人語で読んで気になっていた、長野県の小学校の取材記事だった。

その小学校は机も椅子も床も登り棒もすべて檜づくりで(「天然アロマテラピー」と記事にはあった)、給食で使われる食器は、ご飯茶椀も味噌汁椀も平皿も小皿も箸もお盆もすべて木曽漆器だった。漆器だから、食べ終わったあとはすぐに洗ってすぐに布巾で拭かなくてはいけない。そんなふうに6年間大事に使用したあとは、名前をそれぞれ彫ってもらって、「卒業おめでとう」と贈られる。

倫子さんの写真には、そんな子どもたちがとてもいい表情で写っていた。同世代の人がいい仕事をしているのは、本当に刺激があるし、励まされる。私はいつもは座席ポケットに入れたままの『翼の王国』を、初めて持ち帰った。いつか一緒に仕事がしたい。そう思った。(それはいまだに叶っていないのだが。)

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さて、是枝監督が聞き手となったトークショーは非常におもしろかった。特に、倫子さんが「写真もある意味、反射神経」と言ったのが印象的だった。

曰く、写真を撮っているとスポーツ選手みたいに思えるのだそうだ。ちょっと忙しくしてカメラに触らないでいると、いざというときに反射神経が劣っていて、ぜんぜん撮れない。

これは私も感じたことがある。スイッチ編集部を辞めて8カ月後に、Coccoの活動中止の際のインタビュー原稿を書くことになったのだが、テープおこしはしたものの、そこからなかなか文章が書けなかった。

書いてないとすごく鈍(なま)る。ピアノと同じだ、と思った。私は5歳から大学2年生までピアノを習っていたが、練習をサボり気味で、先生によく叱られた。

「わかっていると思うけど」と先生は言った。

「1日弾かないと、その遅れを取り戻すのに2日かかる。3日弾かないと、その遅れを取り戻すのに10日かかる。10日弾かないと……って、それ以上は言わないけど、だから毎日ピアノに触りなさい」

倫子さんは「準備」についても語った。曰く、「雨乞いしても雨が降るとは限らないけれど、雨乞いしないと始まらない」。(素敵な言葉! )

あとはフィルムとデジタルの違いについて。写真家と映画監督らしく、このテーマはやはり興味深いところで、いまはデジタルカメラも扱う倫子さんも「フィルムのカメラには何か特別なものがあって、箱が吸い取るんですよね。たとえば空気とか、時間とか」と言っていた。

それからデジタルは何回でもやり直せるが、やり直しのきかないフィルムだからこその緊張感が生む何かもあるだろうと。

是枝監督もNHK-BSで放送された短篇ドラマ『後の日』で初めて5Dというデジタルカメラで撮影したのだが、撮り終えたあるシーンのデータが「開かない」ということで、「開かない、って何よ? と理解できなかった」と言っていた。(結局、誰にもこの問題は解決できず、後日同じシーンを撮影したそうだ。)

1時間30分のトークのあとは質疑応答。

映画とドキュメンタリーの両方を撮る是枝監督に対し、「ある対象や題材を撮るときに、映画とドキュメンタリーのどちらにするかをどのように決めるのか?」という質問があり、監督は

「対象について深く愛したい、深く考えたいというときに、僕には“映像”が必要で、それが映画になるか、ドキュメンタリーになるか、棲み分けがない」

と言っていた。

「自分の撮影した写真をまとめてみたいと思うが、どのようにまとめたらいいのか、アドバイスが欲しい」と言った女性に対しては、倫子さんが 

「あなたの撮った写真を見てないのでなんとも言えないけれども、ひとつアドバイスできるとすれば、まずは自分が撮ったものであるということを忘れてください。それがきっと客観性を持つということのスタートだと思います」

と助言されていた。 

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他、「3.11」後の被災地を(別々に)訪れたふたりのコメント抜粋。

是枝監督
「僕には撮れなかった。人にカメラを向けられなかった。ただそこに立ち尽くして、臭いを嗅いで、とにかく見た。そして風景だけ撮影した。番組にはしないと決めた」

倫子さん
「まず、これを(写真)ネタにしたくないと思った。それに、被災地の悲惨さを伝えるために撮るなら、自分なんかよりよっぽど上手な人がいるから、私は自分にしか撮れないものは何かをずっと考えている。一緒に行った写真家が初日の撮影後に言った。『倫子、誤解を恐れずに言うけど、僕は今日、美しいものをたくさん見たよ』。実は私も同じだった」

是枝監督
「東松照明さんの長崎の被曝に関する写真を見たときに、そういう被写体の悲惨さに目を向けて写真を撮る人もいれば(それは報道としては当然のことで、批判ではない)、東松さんのように、被写体のなかの美にどうしようもなく目が向いてしまう写真家もいるんだと思った」

これを聞いて私も写真は撮らないと決めて乗り込んだ東日本大震災後の仙台で、ボランティアの初日に行った半壊の家で、庭に咲いた色とりどりの花に心を奪われたことを思い出した。住人のおばあさんに許可をもらって、花だけを写させてもらうと、それを見ていた息子さんが「親父が花が好きでさ。でも親父、50代で死んじゃったのよ。そのあとはお袋がずっと花の世話してんだよね」と話してくれた。

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数日前から読んでいる『私たちがレイモンド・カーヴァーについて語ること』(サム・ハルパート編/村上春樹訳)というインタビュー集には、小説家ジェイ・マキナニーのこんな言葉が載っている。

(レイモンド・カーヴァーがジェイ・マキナニーをシラキューズに誘った件について)彼は書いてきた。もし僕が真剣に作家になりたいのなら、つまり小説を書くことに本気で携わりたいのなら、生活をそれに適したものに変えていかなくちゃならない。ニューヨーク・シティーはアメリカでもいちばん生活費のかかる場所だ。そんなところに住んでいたら、生活を維持するためだけに、多くのエネルギーが無駄に費やされることになる。一年ばかりそういう生活を送って、僕はほとんど無感覚な状態になっていた。シラキューズに来て、自分のクラスで小説を勉強しないかと彼は誘ってくれた。

──そこ(シラキューズ)での生活はどんなものでしたか?

レイがやったのは、僕の生活を根本から立て直すことだったんだと思う。もしレイに出会わなかったら、僕はたぶん一直線に間違った道を歩んでいたはずだ。たぶん今頃どこかの雑誌の編集者でもやっていたことだろう。いや何も、編集者になるのがいけないっていうんじゃないよ。レイがやったのは、僕にひとつの事実をたたき込むことだった。それは、もし本物の作家になりたいのなら、とにかく毎日休まずこつこつものを書くこと、それが唯一の道だと。僕の顔を見かけない日があると、ときどきうちに電話までかけてきた。「今日はちゃんと書いたか?」ってね。

──彼は自分のアドバイスを実行していたのでしょうか?

ずいぶんあとになってから、一度冗談で彼のうちに電話をしてみたことがある。今日はちゃんと書いたかいってね。「いいや。本物の作家になるまでは毎日書かなくちゃいけないっていうことだ。作家になってしまったら、ときどきは一日くらい休んでもいいんだ」ってレイは言った。

──だからあなたは今では、ときどき一日くらい書くのを休む。

(笑い)一日とは言わず数日は休んでいるよ。それはそれとして、良いものを書くっていうのはとにかく骨の折れる作業なのだし、毎日机の前に座って、文章を絞り出すという作業から逃げ出してはならない。それを最初に教えてくれたのはレイだった。たとえすらすらと筆が運ばないときにも、いや、すらすらと筆が運ばないときにこそ、じっと耐えなくちゃならないのだと。

『私たちがレイモンド・カーヴァーについて語ること』

スポーツ選手は毎日運動する。
ピアニストは毎日ピアノを弾く。
写真家は毎日カメラを触る。
作家は毎日こつこつ書く。

本物になるまでは、特に。

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