【神学】 『現代宗教』 のタラッパン運動についての主張に対する反論 〈序論〉
『現代宗教』イ·グァンウン牧師が「柳光洙のタラッパン伝道運動はどこが危険なのか?」で主張したリュ·グァンス牧師の教理に対する批判の多くの内容(ベレアの鬼神論や救援派との関連性やその他など)は、既に2012年と2013年にあった韓国キリスト教総連合会異端疑似対策委員会のリュ·グァンス牧師神学思想検証と公開聴聞会と2011年4月にあった大韓イエス教長老会(改革)総会神学委員会検証で問題が無いことが証明されている。 これらの団体は対面調査または書面で柳光洙(リュ·グァンス)牧師の答弁を多くの神学者たちが判断し異端ではないと決議した。
イ·グァンウン牧師はタラッパンを「教理的に明らかな異端」と断定しながらも、タラッパン伝道運動に属している教会の中にも「誠実な牧師と聖徒たちが確かにいる」という矛盾した主張をしている。 このような主張は異端団体に所属しているが、異端ではない人々がいるという主張であるわけだ。 それは等団体が異端者として誤って断罪され,等団体の人々が正しい信仰を持っていることを示す証拠の1つと見られている。
また、イ·グァンウン牧師の文と主張に対して一つ深い憂慮を表明したい。 柳光洙 牧師が多くの教団から非難された1990年半ばの状況を再び見せるデジャヴのような姿だ。 多くの教団がタラッパン伝道運動(以後タラッパン)の柳光洙 牧師に対して調査し、たった一つの教団もリュ·グァンス牧師に対面調査や書類調査をせず、一方的に異端、異端性、似非性などで異端と断定してしまった。 最も慎重かつ徹底的に確認を重ねなければならない異端の判断を当事者に対する調査もなしに決めてしまったのだ。
個人と団体に対する異端の決定は、その個人と団体に救いがないという宣言と同じだ。 それなら、まず神学者たちが最も細かく時間をかけて根拠を持って研究をしなければならない。 そして、当事者を直接面談したり、それが不可能なら書類を通じてでも当事者の信仰を確認しなければならないのだ。 それで誤解があったのであれば説明を通じて人々に知らせなければならず、失敗を犯したした部分があったとすれば失敗を直すよう指導をしなければならず、本当の異端の主張を最後まで固執するならばその時に異端として判断をしなければならない。
イ·グァンウン牧師の文は自身が経験したタラッパン運動を前提に上記の重要な順序を縮小したり省略した後にタラッパン運動は異端であると主張した。 イ·グァンウン牧師の主張と投稿は、まず 柳光洙 牧師に対する細密な研究と根拠に対する部分が不足したり曲解された部分がある状態で主張されたもので、タラッパン運動に対する彼の一方的な主張と共に多くの誤解をもたらす投稿であることを先に明らかにしたい。
この文ではイ·グァンウン牧師のタラッパン運動に対する誤った評価と主張に対して聖書とカルヴァンの「キリスト教強要」を通じて屋根裏部屋が教理的に異端性がないことを明らかにしようと思う。
ー 〈1〉【原罪の正しい理解】に続く