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聖宮崎駿ルパン三世作品論集成 第4回「黙示録の守護聖人と終末論の黒魔女」

【カトリックアニメ信仰】

friend [frénd]
[中期英語 friend,frend,古期英語 frēond 友,恋人,親族〔もとは frēogan(⇀FREE)の現在分詞;ゴート語 frijōn「愛する」と同語源〕;ドイツ語 Freund と同語源]

『ランダムハウス英和大辞典(第2版)』 小学館

イマーゴ信仰(オマージュ信仰)が受肉した名シーン

クラリスUP
はじめてルパンの名を口にする
悲しみの中にもさわやかな解放感がある
一本送を
つっぱしるフィアット

クラリス  ルパン・・・
      きっと
      きっと
      又、あえるわ

スタジオ・ジブリ 絵コンテ全集第Ⅱ期「ルパン三世 カリオストロの城」

imago Dei 〔L.〕
神の似姿〔カトリック教会〕
〈91学術・キリスト教〉

『人文社会37万語対訳大辞典』 日外アソシエーツ

hom・mage/Fr. ᴐmaʒ/
〖フランス〗
〓オマージュ《芸術家・作家・作曲家などに捧げる敬意;その敬意を表した作品(の献呈);→ homage》.

『ジーニアス英和大辞典 用例プラス』 大修館書店

「守護聖人」はホワイトマジシャンの白魔女、「死のカルト教団」はブラックマジシャンの黒魔女

副題 ヲタク芸術は「死のカルト教団」だった


序文 (1 1-18)
はじめに、ことばがいた。
ことばは、神のもとにいた。
ことばは、神であった。
この方は、はじめに神のもとにいた。
すべてのことは彼を介して生じた。
彼をさしおいては、なに一つ生じなかった。
彼において生じたことは、命であり、
その光は人々の光であった。
その光は闇の中にあって輝いている。
闇はこの光を阻止できなかったのである。

神のもとから遣わされて、一人の人が登場した。
その名はヨハネ。
この人は証しのため、あの光について証しするために来た。
すべての人が彼を介して信じるようになるために。
この人は光ではなく、あの光について証しするために〔の人であった〕。
〔彼の証ししようとした光が〕本物の光であった。
それは、この世の来て、すべての人を照らしている。

〔その光であることばは〕世にあり、世は彼を介してできたが、世は彼を知るにいたらなかった。
自分に属するもののところに来たが、彼に属する人々は彼を受け入れなかった。
だが、彼の名を信じる人々には、神の子供たちとなる権能を与えた。
彼らは血〔統〕からではなく、肉〔なる人〕の意志からでもなく、人の意志からでもなく、神から生れたのである。

ことばは肉〔なる人〕となって、われわれの間に幕屋を張った。
-われわれは彼の栄光を、父から〔遣わされた〕ひとり子としての栄光を観た-
〔彼は〕恵みと真理に満ちて〔いた〕。

ヨハネは彼について証しし、〔次のように〕言って叫んだのであった。
「私が『自分の後から来ようとしている人は私より優れたものとされている。私より先にいたから』
なぜなら彼の充満の中から、われわれは皆、恵みに代わる恵みまでも受けたからである。
律法はモーゼを介して与えられ、恵みと真理はイエス・キリストを介して来たからである。
神はいまだかつて誰も見たことがない。
父の胸中にいる、ひとり子なる神、この方こそが解きあかした。

岩波書店「ヨハネによる福音書」

Act 1
Thunder and lightning.Enter three Witches
First Witch
When shall we three meet again   
In thunder, lightning, or in rain?
Second Witch
When the hurlyburly's done,
When the battle's lost and won.
Third Witch
That will be ere the set of sun.
First Witch
Where the place?
Second Witch
Upon the heath.
Third Witch
There to meet with Macbeth.
Second Witch
Paddock calls.
Third Witch
Anon.
ALL
Fair is foul, and foul is fair:
Hover through the fog and filthy air.

Exeunt

Macbeth by William Shakespeare

「コミックマーケット」と「庵野秀明」

コミックマーケットは同人誌の即売会でありコアなファンのためにあるらしい。
そういった同人誌は2次創作と言われている。

ではそのような2次創作とは「芸術愛のパン(イエス・キリスト)」であろうか?

それともそのような2次創作とはコンフィデンスマン(倒錯性の支配)であろうか?

これは重要な問題である。
「芸術愛のパン(イエス・キリスト)」を「倒錯対象」としたコンフィデンスマン(倒錯性の支配)であるならコミックマーケットの参加者はコアなファンと言うことはできない。

要は「芸術愛のパン(イエス・キリスト)」への殉教者(確信性の確保)であり得るだろう創作をするなら「芸術の成立」となり得るのです。
又、そういった作品制作は芸術家自身の殉教者(確信性の確保)の存在を示し、それらはその芸術家のオマージュ(後継者)とされる資格を持ちうるだろう。

一方で「芸術愛のパン(イエス・キリスト)」を「倒錯対象」としたコンフィデンスマン(倒錯性の支配)を制作したならば、そういった作品制作はその芸術家を冒涜するだけで、その芸術家にとって最高悪と見做されるだろう。

では「創作」について考えてみたい。

そう‐さく【創作】サウ‐
〘名〙(スル)
〓新しいものをつくり出すこと。「新式の工具を―する」
〓文学・絵画などの芸術を独創的につくり出すこと。また、その作品。「物語を―する」「―舞踊」
〓つくりごと。うそ。「そんな言い訳は彼の―だ」

『大辞泉 第二版』 小学館

cre・a・tion [kriéiʃən]〓
―n.
1 創造,創始,創案,新設:〓
2 発生,生起:〓
3 創造されたもの,作られたもの;⦅集合的⦆ 被造物,生きとし生けるもの,万物,森羅万象:〓
4 ⦅the C―⦆ (神の)天地創造,創世;世界,宇宙(universe):〓
5
(1)(精神の)創作物,産物,(特に想像による)芸術作品:〓
(2)(創意に富む)新型の衣服[帽子など],新意匠,(デザイナーの)新作:〓
(3)(劇の)新しい型;創作的演技[演出],独創的演技.
6 ⦅しばしばこっけい⦆ (手の込んだ)新料理.
7 ⦅米話⦆ ⦅間投詞的⦆ おや,まあ:〓
8 (…の)叙位,叙任,任命,授爵⦅of ...⦆:〓
◊[音楽]The Creation『天地創造』Haydn のオラトリオ(1798)
[演劇]The Creation of the World『世界の創造』D.Milhaud 作のバレエ曲(1923).
[c1390.⇀CREATE]
cre・a・tion・al
―adj.
cre・a・tion・ar・y [kriéiʃənèri|―ʃənəri]
―adj. 創造の;創造的な.

『ランダムハウス英和大辞典(第2版)』 小学館

4 ⦅the C―⦆ (神の)天地創造,創世;世界,宇宙(universe):〓

『ランダムハウス英和大辞典(第2版)』 小学館

「創作」を「倒錯対象」としたコンフィデンスマン(倒錯性の支配)

ここで言える「創作」とは「芸術愛のパン(イエス・キリスト)」への殉教者(確信性の確保)であり得るだろう創作活動であって、それは「芸術の成立」とされる。

一方で「芸術愛のパン(イエス・キリスト)」を「倒錯対象」としたコンフィデンスマン(倒錯性の支配)に創作活動はなく、ただ冒涜行為を最高悪崇拝として正当化していくだけであった。
要はこう見ていくとコミックマーケットの参加者とはコアなファンではなく最高悪崇拝者であるのです。

そういった最高悪崇拝とは「悪」の絶対肯定として表出する。
そのあり方は「愛されキャラ(終末論)」にある。
例えば「風の谷のナウシカ」を「倒錯対象」として「愛されキャラ(終末論)」を制作する。

私はナウシカを愛している。
そういう意味でナウシカとは「愛されキャラ(黙示録)」であった。
何故「風の谷ナウシカ」が「黙示録」であるかを説明すれば「善」を救済する「聖書」の存在であったからです。
そしてナウシカとはメシアであった。
メシア・ナウシカの実存する世界とは「ユートピア」であった。

一方で「愛されキャラ(終末論)」とは「愛されキャラ(黙示録)」を「倒錯対象」としたコンフィデンスマン(倒錯性の支配)としてあった。
それは「善」を「倒錯対象」とした「悪」を崇拝する「愛されキャラ(終末論)」の制作であった。

「風の谷のナウシカ」の「善政」を「倒錯対象」とした「悪政」の支配となっていく。
それが聖宮崎駿監督と庵野秀明監督の関係だった。

当然の如く聖宮崎駿監督は「愛されキャラ(黙示録)」を創作した。
それは「聖書」だった。
「風の谷のナウシカ」が有名です。

一方で庵野秀明監督は「愛されキャラ(終末論)」を制作した。
それは「聖書」を「倒錯対象」としたコンフィデンスマン(倒錯性の支配)だった。
「新世紀エヴァンゲリオン」が有名です。

結局は聖宮崎駿監督の創作活動だけが本物であり、庵野秀明監督は「そういった創作活動と聖書」を「倒錯対象」とするコンフィデンスマン(倒錯性の支配)でしかなかった。
庵野秀明監督の創作活動は偽物だったのです。

要は聖宮崎駿監督は創作者であって、庵野秀明監督は特殊詐欺師であった。
これはコミックマーケットの参加者にも言えます。
彼らはコアなファンではなかった。
彼らはコンフィデンスマン(倒錯性の支配)だった。

コアなファンとは?

ではコアなファンとは一体誰なのでしょうか?

「芸術愛のパン(イエス・キリスト)」を持つ稀有な人物を言うのです。
何故稀有かと言えば「芸術愛のパン(イエス・キリスト)」とコンフィデンスマン(倒錯性の支配)のスカトロジーを理解できる聡明な存在は滅多に居ないからです。
それは聖宮崎駿監督を例に取れば理解され易いと考えます。

例を挙げるとすれば「マニア」とは「聖アニメファン」の資質であったのです。
一方で「マニア」とは「ヲタク人」の習性でもあった。
この両者の「マニア」は全く別物であり「似て非なり」であったのです。

前者の「マニア」は「神的霊感」であったり「神の贈り物」としての「神的狂気」を言った。
これは「皇室」の「マニア」を示していて、「カトリックエレクト」の資質であったのです。
そしてこのように「皇室」とは殉教者(確信性の確保)を根拠として形成されたのです。
殉教者(確信性の確保)であり得るだろう「聖アニメファン」とは「高度な精神的姿勢ユーモア」なのです。

後者の「マニア」は「熱中する人」や「躁うつ病」を示していた。
これはコンフィデンスマン(倒錯性の支配)の習性であった。
コンフィデンスマン(倒錯性の支配)である「ヲタク人」とは「お下劣」なのです。

マニア
(1)mania「狂気」の意のギリシア語。 entheos(神的霊感を受けている),enthousiasmos(神的霊感)と密接な連関をもつプラトン哲学の主要概念で,病人の狂気とは異なる神の贈り物としての神的狂気をいう。マニアは有限的存在,死すべき存在としての人間に日常性,時間性の軛を断って永遠的なるもの(価値,イデア)と出会う超越的な力を与える。神によりマニアに与えられたものとして mantikē(予言術),oiōnistikē(占い術),mousikē(ムーサの神にかかわる文芸,技芸),erōtikē(エロスにかかわる術)があげられる。

(2)一般に,1つのことに熱中する人をさす。(3)⇨躁うつ病のこと。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

かくしんはん【確信犯】
Überzeugungstat; Gewissenstat
宗教的教義や政治的信念,道徳的確信に基づいて行われる犯罪であり,社会の変動期に政治犯罪として表われることが多い。確信犯人は,自己の行動が現行の法秩序に違反するという自覚はもちながら,より高い次元の法の理念を実現しようとする点で,犯罪動機を抑止する反対動機の形成が期待できないところに特徴がある。したがって,刑罰の威嚇力や行刑による改善効果が疑問視され,一般の犯罪者とは違った特別処遇の必要性が説かれてきている。


『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

げ‐れつ【下劣】
人柄や考え方が下品で卑しいこと。「—な考え」

『広辞苑 第六版』 岩波書店

げれつ【下劣】
♦下劣な
mean; ⦅文⦆ base
◾下劣な品性
a mean [sordid] nature
◾彼女の服の好みは下劣だ
Her clothing is in vulgar taste.
◾下劣な男
a cad/a despicable fellow

『プログレッシブ和英中辞典(第3版)』 小学館

そううつびょう【躁うつ病】
manic-depressive psychosis
感情障害を主症状とし,周期的経過をとり,のちに人格障害を残さないことを特徴とする精神病で,統合失調症とともに二大内因性精神病といわれる。循環精神病ともいう。⇨感情が高揚し,意欲は亢進し,思考が飛躍する躁病と,反対にふさぎこむ⇨うつ病(→うつ状態)という2方向の病的感情が,日常生活からは明らかに区別される病期として交互に現れ,経過後には完全にもとの人格に戻る。発現頻度は全人口の 0.4%程度で,うつ病相だけが表れる型がかなり多い。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

躁病(ソウビョウ)
[英] mania
[独] Manie
[同義語] 【マニア】
躁うつ病の躁病相と同義に使われることが多いが,うつ病相を伴わない純粋の躁病も稀ではあるが存在する。躁病(躁うつ病)の発生率はおよそ0.5%前後,時点有病率は約0.2%といわれる。感情障害全体でみると女性に多いが,躁うつ病(躁病)では男女の比率は変わらない。発病年齢は20~30代にピークを認める。主な症状は以下のようなものである。①爽快気分,高揚した気分(躁性気分障害)が中心だが,易刺激性,易怒性を伴うことも多い。②思考面では次々と観念がわき起こり,このために話はまとまらず一定の目標に向かって話すことができない(観念奔逸),話の内容が誇大的かつ妄想的になる(誇大妄想)。③意欲面,行動面では多弁,多動となり,じっとしていられず手当たり次第に行動する(行為心迫)。さらに程度が強くなると興奮状態(精神運動興奮)に至る。また,金使いが荒くなったり,逸脱行為(性的,社会的逸脱)がみられることも多い。④睡眠欲求の減少,早朝覚醒などの睡眠障害,食欲・性欲の亢進,体重減少などの身体症状。病相の経過は,初めから躁・うつ病相を繰り返すものと,初めのうちはうつ病相(稀に躁病相)のみを示し後に躁うつ病に移行するものとがある。長期の経過をみると,病相期の長さは年を重ねるにつれて長くなり,病相間欠期は短くなる傾向がある。治療は抗躁薬(気分安定薬)であるリチウム,バルプロ酸中心で行われ,約7割の躁病は治療および予防が可能である。
(511046)

『医学書院 医学大辞典』 医学書院

「高度な精神的姿勢ユーモア」のあり方は「ヒポクラテスの誓い」としてもとても有名です。

confidence n.
信頼、確信
confidence in ~
~を信頼[確信]すること
The doctors had confidence in the amputation of the patient’s right leg.
医師団はその患者の右足切断には自信があった。
confidence that…
…という確信
The surgeon has every confidence that he will succeed in the operation.
外科医はその手術に成功するものと確信している。
confidence to do
~する確信
The surgeon had no confidence to operate the cancer patient.
外科医はその癌患者の手術をする自信がなかった。
with confidence
確信をもって
The physician asserted with confidence that the condition was not endocrinologic.
医師は、自信をもってこの状態は内分泌異常のためではないと断言した。

『医学英語実用語法辞典』 メジカルビュー社

certain a.
確信している、確かである ⬄uncertain
be certain that[wh―]…
…であること[かどうか]を確信している
One can be quite certain that other factors are important.
他の因子が同様に重要であることはまったく確かである。
It is certain that[wh―]…
…であること[かどうか]は確かである
It is almost certain that the virus has come from somewhere in the Far East.
そのウイルスが極東のどこからか来たことはほとんど確かである。

『医学英語実用語法辞典』 メジカルビュー社

コンフィデンスマン(倒錯性の支配)を強制されることによって「心的外傷」を受け「PTSD」を発症することはフロイト精神分析のヒステリーと同じであるだろう。
このヒステリーは「聖アニメファン」に特有であり「ヲタク人」には発症しない。

posttraumatic stress disorder (PTSD)〓
心的外傷後ストレス障害(①通常,ふつうに人間が人生を送る上では経験しないような心的外傷体験の後に生じる特徴的な症状であり,このなかには原因となった外傷体験の反復する再体験や外傷を思い起こさせるような刺激の回避,外的刺激に対する無感覚,様々な自律神経機能障害および認知障害,不快気分が含まれる.②DSM診断の1つで特定の診断基準を満たせば確定する).

『ステッドマン医学大辞典』 メジカルビュー社

しんてきがいしょうごストレスしょうがい【心的外傷後ストレス障害】
post traumatic stress disorder; PTSD
外傷後ストレス障害ともいう。アメリカ精神医学会の『精神疾患の診断・統計マニュアル(第3版)』 Diagnostic and Statistical Mannual of Mental Disorders(1980)に初めてこの名が記載された。それによると,自然災害,事故,強姦や虐待などの犯罪,さらに戦争といった,人が通常経験する範囲をはるかにこえた強い⇨心的外傷を受けたあとに発症する精神障害で,症状が1ヵ月以上続くものをいう。症状が心的外傷体験直後から1ヵ月以内にとどまる急性ストレス障害 acute stress disorder(ASD)とは区別される。第1次世界大戦後の元兵士のショック症状(⇨戦争神経症)や,ベトナム戦争後のアメリカ帰還兵の社会不適応の研究・治療から PTSDの実態がわかり,詳しい研究が始った。日本では 1995年1月の兵庫県南部地震後に自殺者が多発したことから注目されるようになった。具体的な症状としては,夢や錯覚,幻覚,フラッシュバックなどに象徴される外傷体験の繰返し,無感動,無関心といった外傷体験の記憶の抹消,さらに不眠,集中力低下などの亢進状態も認められる。治療にはカウンセリング,精神療法などが必要とされ,抗うつ剤や抗不安剤を使う場合もある。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

「聖宮崎駿監督」と「多くのアニメ制作者」の違いが際立ってしまった。
それは聖宮崎駿監督の稀有な資質から来ている。

庵野秀明監督も「多くのアニメ制作者」の一人であった。
庵野秀明監督は聖宮崎駿監督に対してヲタク世代を標榜しコンフィデンスマン(倒錯性の支配)を主導した。
しかしそれはコンフィデンスマン(倒錯性の支配)の全肯定を目指した危険思想であった。
聖宮崎駿監督は「善」を救済する。
しかし庵野秀明監督は「善」を「倒錯対象」として「悪」を肯定し崇拝した。

この二人が気が合わないのは当然であった。
アニメ業界は狭い。
だからこの二人が露骨に喧嘩する訳にもいかない対人関係は想像されるだろう。

そういった聖宮崎駿監督を巡るヲタク人の包囲網が形成されている。

大阪芸大出身の庵野秀明には何故「芸術愛のパン(イエス・キリスト)」が理解できないのだろう?

では何故庵野秀明監督には「芸術愛のパン(イエス・キリスト)」がないのであろうか?

彼はヲタク世代を背負って立ち「ウルトラマンタロウ」を絶賛する。
しかしそれは「芸術愛のパン(イエス・キリスト)」を「倒錯対象」としたコンフィデンスマン(倒錯性の支配)でしかないだろう。
要は「芸術愛のパン(イエス・キリスト)」を持つか、「芸術愛のパン(イエス・キリスト)」を「倒錯対象」とするかによって全く違ってくる。

ヲタク世代は「芸術愛のパン(イエス・キリスト)」を理解できていないことが判明になって来る。
ヲタク世代は「芸術愛のパン(イエス・キリスト)」を「倒錯対象」とするコンフィデンスマン(倒錯性の支配)のスカトロジーを披露しているに過ぎない。

何故庵野秀明監督はこうまでヲタク人なのだろうか?

「芸術愛のパン(イエス・キリスト)」を理解しないヲタク人とは「芸術愛のパン(イエス・キリスト)」を「倒錯対象」とする。
そしてコンフィデンスマン(倒錯性の支配)を得意げに披露していく。
それは「芸術愛のパン(イエス・キリスト)」を目の敵にする「潰し屋(殺し屋)」を意味していた。
このような「永遠の命(神の恵み)」を「倒錯対象」とするコンフィデンスマン(倒錯性の支配)のスカトロジーとは「死のカルト教団」と言える。

これはどういったヲタク心理だろうか?

「芸術愛のパン(イエス・キリスト)」を理解できないヲタク人のゲスな趣味と言える。
又はヲタク人のゲスな危険思想だった。

庵野秀明監督を例に取ると分かり易い。
彼は幼少より芸術家へオマージュを持ちイマーゴとしてきたと語っている。
それは芸術家を夢見た純粋無垢な子供であったという主張であった。
庵野秀明監督は主にアニメ芸術や特撮芸術に興味の対象があったとされている。
しかし致命的な欠陥が庵野秀明監督にはあった。
彼には「芸術愛のパン(イエス・キリスト)」を理解することができなかったのです。
要は庵野秀明監督には「芸術的才能」が全く無かった。

庵野秀明監督が幼少より興味の対象としてきた「オマージュ(イマーゴ)」とは彼自身にとって理解不可能な「芸術愛のパン(イエス・キリスト)」を「倒錯対象」とするコンフィデンスマン(倒錯性の支配)のスカトロジーでしかなかった。

彼が幼少より持っていた興味とは「倒錯対象」へのコンフィデンスマン(倒錯性の支配)でしかなかった。

ハッキリ言って庵野秀明監督とはゲスな俗物であったのです。

庵野秀明監督とは完全に転倒したヲタク人でしかなく「芸術愛のパン(イエス・キリスト)」の素養が全く無かった。
このように「芸術愛のパン(イエス・キリスト)」への「潰し屋(殺し屋)」が彼の正体であった。

「芸術的才能」がない故に「芸術愛のパン(イエス・キリスト)」を「倒錯対象」とするコンフィデンスマン(倒錯性の支配)のスカトロジーを披露していく。
庵野秀明監督の自己顕示欲のあり方は「文化破壊」としてあったのです。
結局のところ彼の主張は終末論(末法思想)であり、まさに「文化破壊」を正当化する思想であった。

それは私利私欲のインチキ芸術家・・・私利私欲の特殊詐欺師・・・前衛芸術家・・・私利私欲の前衛詐欺師・・・私利私欲の最先端詐欺・・・私利私欲の特効薬詐欺・・・古典的詐欺の系譜です。

このような「アンチ・芸術」としての「死のカルト教団」とは庵野秀明監督の様に「芸術愛のパン(イエス・キリスト)」の素養が全く無い「劣等者の群(ブラックマジシャンの黒魔女)」によって形成される。

要はヲタク芸術家は芸術大学で学んでも「芸術愛のパン(イエス・キリスト)」を理解できなかった。
「芸術愛のパン(イエス・キリスト)」の素養とは「努力」ではなく殉教者(確信性の確保)だった。
庵野秀明監督は彼なりにやってみせたのかも知れない。
しかし彼は「芸術愛のパン(イエス・キリスト)」を理解できない。
そして「ヲタク芸術家」という虚飾を正当化していった。
庵野秀明監督とは「芸術家詐欺」であったのです。

自称芸術家なら誰でもなれるでしょう。
しかし「芸術愛のパン(イエス・キリスト)」を持たない「芸術家」はあり得ない。

私利私欲の為に他者を欺いていく詐欺師が絶対に「芸術家」とはなれない理由とは「芸術愛のパン(イエス・キリスト)」を持たないことで不誠実と不信用、軽薄短小さを肯定するコンフィデンスマン(倒錯性の支配)のスカトロジーにあります。

「芸術愛のパン(イエス・キリスト)」を「倒錯対象」として「私利私欲」を追求していく。
「芸術愛のパン(イエス・キリスト)」を「倒錯対象」とした「私利私欲」の追求は「終末論」となっていきます。
当然、「終末論」とは「デタラメ世界の全肯定」ということです。

「終末論」の世界観とは「芸術愛のパン(イエス・キリスト)」を「倒錯対象」とするコンフィデンスマン(倒錯性の支配)と「詐欺師(無根拠性)」にとって最も住み良い世界となるのです。
それが「ディストピア」です。

そういった中でどうしようもないマガイモノが制作されていく。
それが「芸術愛のパン(イエス・キリスト)」である筈はありません。
そのどうしようもないマガイモノとは「ヲタク芸術」です。

私利私欲の為に他者を欺いていく詐欺師が「芸術愛のパン(イエス・キリスト)」を持つことは絶対にあり得ない。
何故ならもし詐欺師が「芸術愛のパン(イエス・キリスト)」を持っていたなら私利私欲の為に他者を欺いていくことは絶対にできないからです。

「詐欺行為」と「芸術愛のパン(イエス・キリスト)」とは相反するのです。

吉川弘文館「キリスト教美術図典」

まじょ【魔女】
witch
超自然的な方法によって他人に災いをもたらす女妖術師。広義の妖術は,他人に対して超自然的作用により意図的に災いを及ぼす場合と,意図的ではない場合の両方を含むが,狭義の妖術 witchcraftは,後者の神秘作用のみをさし,意図的行使は邪術 sorceryと呼ばれる。しかし,一般には邪術を主として用いる女性をさす。ヨーロッパでは旧石器時代から魔女の観念があったことを示す遺構が残っており,魔女の歴史は古い。特に魔女が衆目を集めたのは,16世紀前後の⇨魔女狩りが激烈であった時代であり,そのときに処刑された者の数は数万にも及ぶといわれる。妖術師は男女両性にわたってみられるが,女性の場合のほうが多いといわれる。きわめて伝統的生活をおくる社会では,社会的規範から逸脱した者が魔女と呼ばれ,非難されることが多い。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

魔女
まじょ witch∥Hexe[ドイツ]∥sorci≡re[フランス]
中世から近世にかけ,ヨーロッパでその実在が信じられ,特殊な能力をもち,しばしば社会に害をなす,と考えられた一群の女性をいう。ただし,〈魔男〉という日本語はないものの,魔女に対応する男性が存在しなかったわけではなく,これには魔術師,魔法使い(英語 wizard,ドイツ語 Hexer,フランス語 sorcier)などの語が用いられる。しかし数の上からは圧倒的に女性が多いため,西欧語でも〈魔女〉で両性を代表させることが行われ,以下の記述においてもこのような用法に従うことにしたい。
 今日ポピュラーになっている典型的な魔女像は次のようなものである。すなわち,彼女(彼)らは悪魔と契約し,さまざまな手段を用いて社会に混乱(疫病,悪天候,不作など)をもたらす。深夜,箒にまたがって森や野や山岳に集い,魔女集会(サバト)を開く。そこでは悪魔との性的なオージーが繰り広げられる。体には悪魔と通じたことを示す印がつけられており,その部分は痛覚を欠く,などなど。しかし,このような通念にもかかわらず魔女の表象は両義的であって一定せず,みにくい老婆とみなされることもあれば,〈美しい貴婦人(ベラ・ドンナ)〉と呼ばれることもある。後者のベラドンナとは,植物名としては猛毒性のナス科多年生植物を指し,少量なら鎮痛薬としての薬効がある。古典的著作《魔女》(1862)の作者であるフランスの歴史家 J. ミシュレによれば,〈美しい貴婦人〉と呼ばれた産婆や女呪医たちは,1000年にわたって人々の病気治療に当たっていたのだった。自然魔術magia naturalis に通じ,おそらく鎮痛薬としてのベラドンナの薬効をも知っていた女性たちが,薬石や野草,小動物などを採集して,ときには悪臭を発する大釜のなかでエキスの抽出のためにそれをぐつぐつ煮立てていたというのが,シェークスピア《マクベス》の魔女たちの正体だったのである。
 キリスト教成立以前の異教時代では,彼女たちは魔女という総括的な名でよりは,むしろ女占い師や巫女,薬剤師といった個別的な職業名で呼ばれていたものと思われる。魔女の原義は例えばゲルマン語では hag(垣根)と zussa(女)の合成語であるところから〈女庭師〉であり,またイギリスの歴史家 M. マレーのように,古代エジプトの豊穣信仰の女祭司に魔女の起源を求める説もある(《西ヨーロッパにおける魔女信仰》1921)。グリム兄弟はアイルランドの妖精物語が魔女信仰の細部と符合することを指摘している。さらに,古代ローマの娼家の取持ち女はしばしば媚薬を調合する薬剤師でもあったとされ,魔女表象の一源泉となっていることが想定される。こうした主として形而下の肉体的下層を対象とする仕事に従事する実践医的存在が,キリスト教の形而上的観念の征覇によって疎外され,一括して魔女の名とともに〈外なる野〉に隔離されたものであろう。中世以降,魔女は,それゆえに秩序の外から禍いをもたらしにくるえたいの知れない存在と観念され,異教的古代における治療者としての役割は180度逆転して,生命力を枯らして病気や死をもたらし,胎児を死産または堕胎させるような,人間や家畜に対する危害の原因,また嵐や雹や荒天を呼びよせて大地の生産力を奪う荒天魔術の行使者としてあらわれたのである。前述した魔女像のステレオタイプにもうかがえるように,魔女には性的な攪乱者,魂を破滅に導く誘惑者のイメージも付与された。そして,インクブス incubus(睡眠中の婦女を犯す魔女と通じた悪魔)やスクブス succubus(睡眠中の男と情交する女の悪魔)をあやつって人間を悪魔と交わらせたり,よこしまな欲望につけこんで悪魔の契約書に署名させたり,魔女集会へといざないよせたりするのも魔女のしわざと考えられたのである。
 ところで,悪名高い魔女の膏薬の成分を分析した現代ドイツの精神病理学者 H. ロイナーは,先述したアトロパ・ベラドンナのアトロピンをも含む,およそ5種類のアルカロイドを抽出している。またゲッティンゲン大学の民俗学者 W. E. ポイカートは,16世紀の魔女の膏薬を処方どおりに復元してみずから試みた結果を次のように報告している。〈私たちの長時間睡眠のなかで体験されたものは,無限の空間へのファンタスティックな飛翔,顔というよりはいやらしい醜面をぶら下げたさまざまの生物に囲まれたグロテスクな祭り,太古的な地獄めぐり,底なしの失墜,悪魔の跳梁などであった〉。箒に乗った魔女の空中飛行の正体は,幻覚剤による〈旅(トリップ)〉だったのであろうか。
 魔女の禍いからのがれるには,神の名を唱えながら十字を切ったり,扉に十字を描いたりするものから,鎌や斧のような金属製品,さかさまに立てた箒,パン,塩,火,土などを呪物とするものなど,魔女の魔法にまさるとも劣らぬ迷信的手段が用いられた。ちなみに魔女の力がもっとも強くなるのは,魔女たちがハルツ山地の最高峰ブロッケン山に集合するいわゆる〈ワルプルギスの夜〉(4月30日から5月1日にかけての夜),復活祭とバプテスマのヨハネの祝日(ヨハネ祭)の夜,十二夜,ゲオルギウスとアンデレの祝日で,反対にもっとも弱くなるのは聖金曜日であるといわれる。強くなる日が,いずれもキリスト教布教以前にさかのぼる祝日であることは重要であろう。
 14世紀前後から17世紀にかけての魔女妄想は,実在の魔女の魔法の実践に対する恐怖というよりは,社会心理学的現象としての集団ヒステリーである。中世の政治・宗教的状況の崩壊とともに,とりわけ中部ヨーロッパに社会不安が蔓延し,人々はこれを世界終末時に悪魔の支配がおこる兆候とみた。そのためのスケープゴートとして魔女たちを血祭りにあげるいわゆる〈魔女狩りwitch hunting〉が発生した。教会側からみた魔女信仰の調査は,2人のドミニコ会士,J. シュプレンガー,H. クレーマー共著の《魔女の故》(1486)にまとめられたが,この著作を契機に,魔女狩り,魔女裁判,魔女容疑者への拷問,火刑は15~16世紀における〈一つの産業〉(K. セリグマン)にまで膨張し,その猛威は16世紀末~17世紀初頭に頂点を迎えた。これが宗教改革の時代と重なること,魔女迫害はカトリック,プロテスタントを問わず行われたことは注目に値しよう。同時に魔女裁判に対する啓蒙主義的な反対者も出現し,医師 J. ワイアー,神学者 B. ベッカー,法学者 C. トマジウスらが反論を唱えた。
 17世紀も半ば近くなると,魔女妄想はしだいに都市や修道院を舞台に局地化されるようになる。この趨勢のなかからルーダンの尼僧院における修道女たちの悪魔憑き事件(1634)や,ルイ14世の愛妾モンテスパン侯爵夫人を巻き込んだ,パリの堕胎医ボアザン夫人(通称ラ・ボアザン)による黒ミサ事件(1679)が発生した。ちなみに前者はポーランドの J. カワレロウィッチ監督によって映画化(《尼僧ヨアンナ》1960)されている。17世紀末(1692)に新大陸アメリカで〈セーレムの魔女〉事件が起こっているが,ヨーロッパでは18世紀以降,魔女は社会の表舞台からは姿を消し,文学や美術や映画などイメージの世界に生きる存在になった。一方,魔女や魔女迫害を歴史学の主題として採り上げることが19世紀半ばから本格化した。中でも特にミシュレの《魔女》は,魔女表象の中に民衆の独自な世界認識のあり方と抑圧的権力に対する反抗のエートスをとり出したものとして異彩を放つ。その意味で,魔女および魔女迫害という現象を,啓蒙主義的・近代主義的立場から,もっぱら前近代における〈迷信〉や〈狂気〉の所産としてのみとらえるのではなく,心性や人間関係のレベルを含むより広い歴史的文脈の中で解明しようとする近年の研究動向(特にフランスのアナール学派のそれ)が,ミシュレ再読を一つの機縁としていることは注目される。⇒悪魔∥呪術       
種村 季弘

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一方で「文化芸術」を守護する「聖人(ホワイトマジシャンの白魔女)」がいる。
一般に守護聖人と呼ばれるだろう。

守護聖人
しゅごせいじん patron saints
キリスト教世界において,特定の団体,教会,都市,国などを保護すると考えられた聖人のこと。多神教世界が一神教としてのキリスト教と接触する過程で生じたのが守護聖人崇拝である。ヨーロッパでは,ゲルマン地域はもとよりすでにローマ化されていた地域も含めて異教的伝統をのこす世界では,子どもの誕生,結婚,葬儀などの人生の節目や,農耕における播種と収穫,その他病気や災難にみまわれたときなどにさまざまな儀礼があり,それぞれの生活領域に固有の神々がいた。このような世界に生きていた人々にとって新しく入ってきたキリスト教の神は抽象的で普遍的であり,具体性を欠いていたから,キリスト教を受容したのちも日常生活の具体的局面において共同体と個人を守護する独自な存在が求められた。ここにおいて成立したのが守護聖人であり,それはかつては異教の神々が担っていた人間生活の多様な面における守護の機能を備えていた。家族,教会,都市などもそれぞれの守護聖人をもつことになった。
 商人や手工業者は初期中世においては賤視されていたが,都市の成立以後それぞれギルドやツンフトを結成すると,彼らも独自の守護聖人をもち,みずからの職業を聖化しようとした。そのために聖人の生涯の事跡や伝承のなかで,それぞれの職業と何らかのかかわりをもつ聖人が守護聖人として選ばれた。たとえば幼児イエスを背負って川を渡ったとされる伝説的巨人クリストフォルスは救難聖人 auxiliary saints(緊急の際に,信者がその名を呼んで代願を求める聖人で,通常14人があてられる)の一人で,船乗りの守護聖人とされている。またアガタは拷問ののちに火で焼かれて殉教したために,火事から人々を守る守護聖人とされている。またニベルのゲルトルート Gertrudvon Nivelles(626‐659,祝日3月17日)は,病人や巡礼,捕らわれた人のためにつくしたことにより,中世を通じて病院の守護聖人とされ,のちにはネズミなどの被害から穀物を守る聖人ともなっている。
 都市も成立当初においては市と結びついた祭礼の場であることが多く,そこから人々の崇拝の対象となった聖人の伝説と結びつく例がみられる。たとえばデンマーク王子として11世紀に生まれたとされるゼバルドゥス Sebaldus(祝日8月19日)が富と地位をすて隠者としてニュルンベルク近くの森のなかに暮らし,多くの奇跡を行ったために多数の信者が集まり,ニュルンベルクは巡礼の地として発展したという。ゼバルドゥスがこうしてニュルンベルクの守護聖人とされるのであるが,それもあとになってつくられた伝説であった。これらの伝説も都市がみずからを聖化するために意図的につくりあげる場合が多いが,個々の団体が神との仲介者としての守護聖人をもっている点が注目に値する。⇒聖人               阿部 謹也
[図像]  守護聖人(守護天使を含む)の表現はひじょうに多様であるが,大別すれば(1)説話場面の中に登場する場合,(2)実在の人物とその守護聖人とを共に表す場合,(3)物語的要素を排し聖人のみを表す場合,などがある。(1)では,紅海を渡るイスラエルの民を天使が守護する場面(ローマ,サンタ・サビーナ教会の木製扉浮彫,5世紀前半)や,エジプト逃避途上の聖家族に天使がつきそう場面(《マクシミアヌスの司教座》の浮彫装飾,6世紀中ごろ)などがあげられる。(2)では,写本の献呈ページや祭壇画,墓碑などに,守護聖人に伴われた寄進者や死者の姿を表現するのが一般的である。テッサロニキのアギオス・ディミトリオス教会におさめられたモザイク(7世紀)には,守護聖人のデメトリオス D^m^trios が寄進者の肩を抱きかかえて立つ場面が描かれている。また,ヤン・ファン・アイクの《ファン・デル・パーレの祭壇画》(1436ころ)では,ゲオルギウスにつきそわれて聖母子の横にひざまずく寄進者ファン・デル・パーレの克明な肖像画が表されている。(3)は,信者が守護聖人の姿を描いた画像自体と向かいあって,瞑想したり所願の成就やキリストへのとりなしを祈ったりする信仰形態と関連して発展した。正面向きの静止した姿で描かれることが多く,近接感を強めるため半身像や4分の3身像で表されることもある。単独像のほか,周囲に聖人伝の諸場面が描かれる場合もある。典型的な例としては,ビザンティンやロシアのイコン,西欧中世の〈アンダハツビルト Andachtsbild(祈念画)〉があげられる。個人的な崇敬のほか,都市や団体などの守護聖人の画像を公的な場にかかげることも行われた。たとえば,ドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャの《マエスタ(荘厳の聖母)》(1308‐11)と S. マルティーニの《マエスタ》(1315)は,それぞれシエナの大聖堂と市庁舎に描かれているが,これは聖母マリアが同市の守護聖人であることを示している。
浅野 和生

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しゅご‐せいじん【守護聖人】
カトリック教会で、個人・職業・身分・聖堂・都市・国家などについて、その保護者、代祷(だいとう)者として敬われている聖人。

『大辞泉 第二版』 小学館

◗守護聖人
a patron saint
◗守護天使
a guardian angel

『プログレッシブ和英中辞典(第3版)』 小学館

せいじゃ【聖者】
宗教的に最高の段階である聖なる境地に達した人。非日常的な聖なる価値を体得し,不動の信仰体制を確立した人物ともいえる。宗教心理学者 W.ジェームズは,聖者の理想的な人格特徴(聖者性)を分析し,4つの性格,すなわち禁欲主義,心の強さ,清らかさ,慈愛深さをあげている。カトリックでは中世以降,篤信者,徳行者,殉教者に「聖人」 Sanctusの称号を与える制度を定めた(今日では,福者 Beatusと聖人を区別している)。プロテスタントには聖人という観念はないが,アングリカン・チャーチでは聖書中の主要人物を聖ペテロ,聖パウロなどと呼んでいる。荘子は,最高度の修養を積んだ人を聖人と称している。日本の仏教では,知徳を兼備したすぐれた宗教家を「しょうにん」と呼ぶ場合がある。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

その輪の中をナウシカのヘルメットが半分砂にうもれそこから、チコの実の木が芽を出している

スタジオジブリ絵コンテ全集1「風の谷のナウシカ」

これはアニメだけではなく芸術一般に言える現象だろう。
庵野秀明監督は「大阪芸術大学出身グループ」である。
彼にしてみればそういった芸大出身とは自慢であるだろう。
私だってもし芸大出身であればそれだけでカッコが付くと感じるだろう。
女性にもモテそうだ。

しかし芸大出身という学歴だけで「芸術愛のパン(イエス・キリスト)」を創作できる訳ではない。
しかも彼には肝心要の「芸術愛のパン(イエス・キリスト)」を理解することができなかった。
そういった存在がヲタク芸術のゲスな趣味に走るのは理解し易い。

まさに画家を目指していたアドルフ・ヒットラーに似ている。

そういう意味でヲタク人のコンフィデンスマン(倒錯性の支配)とは「超危険思想」であった。

最善策を考える

こういった事態には早く手を打った方が善いだろうと思う。
ヲタク芸術のゲスな趣味はコンフィデンスマン(倒錯性の支配)でしかなく「芸術愛のパン(イエス・キリスト)」ではないことをハッキリさせるべきだ。
「終末論(末法思想)」により「デタラメ世界の全肯定」を謀るヲタク芸術に対して「ブラック・マジシャンの黒魔女狩り」が起こることは必然であった。
そういった役目は神が遣わしたメシアが担います。

コンフィデンスマン(倒錯性の支配)のスカトロジーはコンフィデンスマン(倒錯性の支配)のスカトロジーへ立ち戻れ!
「芸術愛のパン(イエス・キリスト)」は「芸術愛のパン(イエス・キリスト)」へ立ち戻れ!

もしコンフィデンスマン(倒錯性の支配)のスカトロジーが「芸術愛のパン(イエス・キリスト)」とされるなら、それはもうコンフィデンスマン(倒錯性の支配)のスカトロジーではない。
それはイマーゴ(神の似姿)を持った「芸術愛のパン(イエス・キリスト)」となっている筈なのです。

「ヲタク芸術」は「無理の超越」であって「バフォメットの偶像崇拝」なのです。

「ヲタク芸術は死すべし」なのです。

(再編集版)

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