介助士を辞めて、アパレルの世界へ。

オーディションを受けまくっていたが、結果は思わしくなく、また実家に住んでいたためそろそろ家を出てほしいと、ぽつりと母に言われる。

そのため、介助士の収入は少なかったが貯金を少しずつして引っ越し資金を貯め、
健康な人のようにフルタイムで働く事は出来ず、障害年金も取ることが出来なかったため、仕方なく生活保護を取って家を出ようとしたが、色々と問題があり失敗に終わる。

その当時28歳だったので、若い女性が生活保護を取って暮らすという事はリスクも高かった。
生活保護のソーシャルワーカーの方は非正規の方が多く、男性に当たると生活費を全て握られるため性的な暴力を受ける危険等がはらんでいたためだ。

私は生活保護を取れる一歩手前までいったが、若い男性のソーシャルワーカーの方に当たってしまい、またその男性の雰囲気に何か危険な予感がしたため、中断し実家に戻らざるを得なくなった。

その時、生活保護を取って実家とは離れた場所に住む予定だった私は、介助士も辞めて無職だった。

それならばいっそファッションをより一層知れる職に就きたい。
そう思い、アパレルの世界へと飛び込んだ。


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