なぜ同性愛・異性愛があるのか?古代ギリシャ人の恋愛観〜エロで観る美術〜
この画像をご覧ください。
これはなんでしょう?手足がそれぞれ4つあって、頭が2つ、怪物でしょうか?
実はこれ、古代ギリシャの神話に登場する人類の元々の姿です。
紀元前4世紀に哲学者プラトンによって書かれた恋愛についての本『饗宴』。そこにはこんな記述があります。
当時各人の姿は球体の形を呈して、背と脇腹とがその周囲にあった。それから4本の手と4本の脚と、また丸い首の上には全く同じ形の顔を2つ持っていた。
彼らは恐ろしき力と強さを持ち、その気高さもまた非常なものがあった。彼らは神々に挑戦するに至ったのである。
ここから、元々人間は強い球体型だったと考えていたことが分かりますね。しかし生意気にも神に挑んんだ人間はゼウス(ギリシャ神話の最高神)に半分に分けられてしまします。
さて人間の原型が両断されてこのかた、いずれの半身も他の半身にあこがれて、再びこれと一緒になろうとした。そこで彼らは再び身体を1つにする欲望に燃えつつ、腕を絡み合って互いに抱き合った。
神に身体を半分にされ、自分の半分がどこかに行ってしまう。その失われた片方の自分を求める。これこそが愛の起源だ。ということです。すごくロマンティックな神話ですね。「ある人に惹かれて離れたくない」という衝動についてよく説明されています。
さらにこの神話の面白い所は、上記の理屈で異性愛と同性愛について説明している点です。
我々はいずれも人間の割符に過ぎん、それで人は誰でも自分の片割れなる割符を求める。だから、かつて男女と呼ばれた双形者の片割れに当たる男たちは全て女好きである。男が好きな女たちもまた同様である。
しかるに女の片割れなる女たちは、すべて男にはまるで興味がなく、かえって女に心を寄せる。男性の片割れである者はいずれも男性を追いかける。
つまり、もともと男女で1つの球体だった人は、分けられた後、追いかけるのは別の性別の人なので異性愛者になり。女女で1つだった人。男男で1つだった人は同じ性別の人を追いかけるので同性愛者になる。図にするとこんな感じです。
愛が男女間にのみ発生するものではない。と異性愛と同性愛を同列に考えている所が興味深いですね。事実、古代ギリシャのある時期において最も価値がると考えられていたのは男性同士の愛でした。この話はまた別の記事に書くとして、現代とは違うおおらかな古代ギリシャの性の捉え方の話でした。
参考図書 『恋愛制度、束縛の2500年史 古代ギリシャ・ローマから現代日本まで』 鈴木隆美 2018 光文社出版
ここからは私の感想をまとめたものです。
今日、性的マイノリティが当たり前に受容される社会を目指し、さまざまな取り組みがありますが、それは異性愛=正常、それ以外=異常という価値観が根付いた社会の中での取り組みです。私自身、性的マイノリティの方に抵抗感はないのですが、性的マイノリイティの方を「理解すべき存在」と捉え接している感は拭えません。古代ギリシャのように、本当にフラットに多様な性を捉えている社会ってどんな感じなんだろうと考えさせられました。
また異性愛と同性愛の手描きの図を描いている時に、「ハートマーク❤️っていつから愛・LOVEの意味を持つ形になったのだろう。」「男と女はそれぞれ青系と赤系で表現されるのはなんでだろう。」と2つの疑問が湧いてきました。また調べていきたいと思います。
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