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「自分らしさ」ってなんだろう?

意外なことするのって勇気がいるなー。
しばらく躊躇していたのだけど、だんだん私が言っている「自分らしさ」ってなんなんだろうと思いはじめる。
ようはそのほうが落ち着くということなんだろうけど、落ち着くからなんなのか。
とっさに思い浮かんだ気持ちを切り捨てて、自分で自分を枠に押し込めていることになる。
自分の直感を信じてみてもいいはず。
即自的な判断には間違いも多いから踏みとどまることも必要だけど、私が思うほど間違いばかりではないし、直感の中にしかない大切なこともある。

1日が長いと感じられる日が、時々でもあるといい/小沼理

自分らしさ。
よく聞く言葉です。
正直、個人的には、積極的に使いたいと思う言葉ではありません。
もちろん、自分らしく生きることが悪いと思っているわけではなくて、
使われ過ぎて意味がすり減っている、もしくは自分でふれること(考えたり感じたりすること)のない言葉になっていると思うからです。

最近、「知情意」という言葉を知りました。

知性・感情・意志の三つが一つになったとき、その人の人間性が輝きを増す、というのだろう。
ただ、これは順序でもなければ、それが均等である必要もない。

光であることば/若松英輔

本のタイトル通りの「光であることば」だな、と思います。

知性・感情・意志。
そこには順序もなければ、均等である必要もない。
きっと、人によって、そしてその時々によって、順序もバランスも変わるのだと思います。
どんな順序であろうと、どんなバランスであろうと、「三つが一つになる」ことがあり、そのとき「人間性が輝きを増す」。

自分らしさの話に戻りますが、この「自分らしさ」も、「知情意」のどこかだけに拠っていると、きっとその輝きが増していくことはないのではないかと思います。

冒頭の小沼さんの文章の中には、「自分で自分を枠に押し込めている」という表現があります。
「自分らしさ」「ありたい自分」が、いつしか「あるべき自分」になり、自分で自分を枠に押し込めることになってしまう。

何度かこのnoteにも書いたかと思う言葉ですが、
僕は、「自分って、自分だけのものじゃない」と思っています。
自分が思う自分らしさが「自分らしさの全て」ではないし、他人が思うそれも全てではない。
知性・感情・意志も、自分の中だけにあるものではない。
小沼さんの言葉を借りると、「直感」というものがありますが、
直感って、「自分の中にあるのか、外にあるのかよくわからない」みたいなものじゃないかと思います。
その直感を、「自分らしくないから」と切り捨ててしまうのは自由じゃない感じがします。
直感には間違いもあるかもしれないけれど、「直感の中にしかない大切なこともある」のです。

「自分らしさ」って、固執するものでもなく、不変であるべきものではないと思います。
自分の中にも外にも、色んな「自分らしさ」が同時にあっていいと思うし、変容していくものだと思っています。






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