「丁寧さ」とは、衝動的なことを減らそうとするプロセスのこと
「丁寧」とは、よく聞く言葉だと思う。
では、その「丁寧さ」ってどうやって測るものなんだろう。
丁寧に暮らしたいと言った時、どんな暮らしのことを言うんだろう。
丁寧な仕事ってどんな仕事だろう。
丁寧に生きるってどんなことだろう。
丁寧さを手にしたいと思いつつ、その具体的なイメージまで持っている人はどのくらいいるのだろう。
僕も雑に生きるよりは「丁寧に生きたい」と思っているが、それがどんなことなのか掴めないでいた。
昨日のnoteで紹介した『「違うこと」をしないこと』を読んだり、最近気づいたことで言うと、「いきなりでないこと」が「丁寧さ」に繋がっているように感じる。
リセット症候群の説明としてでてきた言葉だ。
ここでは、「衝動的に断ち切ってしまう」とあるが、僕は「いきなり」なことは、そうは起きない、とも考えている。
表面に出てきたものが(リセット症候群の傾向のように)「いきなり」なことがあるとしても、「それまでに積み重なっているもの」もあるはずだ。
積み重なって、断ち切る時まで自分の内に秘め続けていると、それが表面化された時、周りの人にとっては「いきなり」と感じるのだろう。
リセット症候群の話でいくと、衝動的に人間関係を断ち切ってしまう本人とその周りのどちらに責任があるかという話でなく、それを衝動的なもの・「いきなり」なものにしないようにするプロセスのことを「丁寧さ」と呼ぶことができるのではないだろうか。
人間関係でいうと、ちょっとした違和感を素直に言うこと、言える環境を作ろうとすること。
暮らし方でいうと、気になっている箇所の掃除を後回しにし続けないこと。
住環境にもよるが、個人的には「ほうき」を使って掃除するのはおすすめ。
掃除機よりも、「掃除しよう」と意気込むことなくハードル低めに掃除に取りかかりやすい気がする。
こうやって考えていくと、「丁寧さ」は「いきなりでないこと」で、それは「自分に素直であること」に繋がっているのだと思う。
自分の中の違和感をそのままにせず、言ってみる、やってみる。
それが、「いきなり」を減らすことになり、「丁寧さ」を感じられるところへと繋がっている。
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