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「わかりやすさ」と「ふれやすさ」の違い

おもしろい文章に出会うと、スマホで写真を撮っています。
昨日、カメラロールを眺めていたら、そんな写真が出てきました。

特権性や権力を自覚し、マイノリティへの視点を育む。
それができずに、ただマスにとってのわかりやすいだけの番組作りをしている。

たまたま生まれてフィメール/小川たまか

わかりやすさ。
うむ。これについては色んな事が浮かんできます。
求められることもあるだろうし、窮屈に感じるときもある。

わかりやすく、丁寧に、細かく説明があること。
こういうことって、「答え」があることが前提のように思いますし、そのようなときにこそ本領を発揮する気がします。
作業においてミスをなくしたり、効率化を図りたいとき、その方法についての知識を持っている人が「わかりやすく」説明してくれる、とか。
そういう場面においては、「わかりやすさ」は大事な事でもあると思います。

ただ、人生そのような場面ばかりではありませんよね。
そして、今の時代は「答え」を「急いで」求め過ぎているのかもしれないと思ったりします。

皮肉なことに、現代人は問題に対してすばやい解決を望むが、そうした人たちの気分の落ち込みは、そもそも、慌ただしい生活によって引き起こされていることが多い。

だれかに、話を聞いてもらったほうがいいんじゃない?/ロリ・ゴットリーブ

宮崎駿監督の「君たちはどう生きるか」が話題ですね。
僕も先日観てきました。
事前情報をなんにも入れず、作品を観る。
そして、観終わった今もレビューは見ていません。
それが、この映画に「ふれる」「ふれ続けられる」ということだと思っています。
レビューを書くこと、見ることが悪いこととは思わないですし、「映画へのふれ方」というのも人それぞれあると思います。
ただ、レビューを見る、誰かの解説を聞くということは、「ふれ方」に影響するものです。

「ふれやすさ」とは、もしかすると、「わかりにくさ」を含むものなのかもしれません。
明確な答えに導くようなこと、びっしりと考察が詰まった解説などないところに、「ふれやすさ」は宿ります。
自分のあたま・こころ・からだで感じ、感じ続けられることが「ふれやすさ」。
わかりやすさとは、そういうことを奪ってしまう一面もあるのかもしれません。

わかりやすさは大事な場面もあるし、そう表現したいこともあります。
でも、「ふれやすい」、そんな表現もしたいな、と思っています。

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