「社会と繋がる」のハードルを思い切り下げてもいい気がする話
「社会と繋がる」
この言葉に対して、皆さんはどんなイメージが浮かんできますか?
働く場所があること
地域のボランティア活動に参加すること
異業種交流会に参加すること
色んな「社会と繋がる」があります。
どれも立派な「社会と繋がる」だと思います。
僕なりに「社会と繋がる」ということを考えてみると、
というか「社会と繋がれてよかったこと」を考えてみると、
・自分だけの感情や思考のループから抜け出せる
ということが浮かんできます。
不安なことがある時に一人きりでいると、そのことで頭がいっぱいになって、
なんであんなことをしてしまったんだ。
どうしよう?
もうだめだ。
上手くいくはずがない。
そういうループにはまってしまいがちです。
心も体も健全な状態の時は、そんなループもすぐに抜け出せるかもしれません。
でも、弱っている時に不安がやって来るとどう対処していいのやら、ループの沼にはまっていくようです。
そんなときに「社会と繋がる」という手段を使う。
例えば職場へ行く。そうすれば、
とりあえず今は目の前の仕事に集中しよう。
集中してたら不安なことを一瞬でも忘れられた。
不安から距離を取ってみたら、新しい方向から不安を見つめることができた。
そんなことが起こります。
それだけでは不安は解消されないのかもしれません。
ただの現実逃避なのかもしれません。
でも、たとえ逃避であったとしても、不安ループからの解放は大変意味のあることです。
心を軽くするために逃避することがあったっていい。
僕はそう思います。
先にも書きましたが、「社会と繋がる」というのは「手段」なのだと思います。
自分だけの不安ループから抜け出す
自分の存在を確認する
新しい視点を手に入れる
そういったことを叶えるために「社会と繋がる」という手段を使う。
そう捉えてみれば、「社会と繋がる」のハードルはもっとずっと低くなります。
職場に行くことだけに限らず、
友達と遊ぶ
美容院へ行く
一人でスーパーへ買い物に行く
ごみ捨てに一歩外へ出る
これらも「社会と繋がる」行為です。
些細なことかもしれませんが、これをするとしないでは大違いです。
スマホ一つで、世界中の人が撮った写真を見ることも「社会と繋がる」行為になるとは思いますが、
不安ループから抜け出す、などの目的のためには僕はお勧めしません。
一歩でも自分の足を動かす。
誰とも会話しなくても、会わなくてもいい。
それでも一歩足を動かしてみるやり方の方が目的を達成しやすいように思います。
もちろん目的によっても、一歩外に出るだけでは達成できないこともあります。
「家賃を払うだけ稼ぐ」という目標ならば、ハローワークへ行ったり誰かに相談するといった手段が必要になります。
でも、繰り返しになりますが、
生きている中では、
不安ループから抜け出したい
自分の存在を確認したい
新しい視点を手に入れたい
そういった思いが生まれることというのは多々あります。
そのために「社会と繋がる」のであれば、職場に行くよりもずっとずっと簡単なことをすればいいのです。
一歩だけ外に出てみる。
それだけで充分です。
そもそも、「社会と繋がる」という言葉が大きな表現すぎるのかもしれませんね。
何のために社会と繋がるのか。
そこを自分の希望と照らし合わせれば、ぴったりの手段を見つけられるように思います。
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