自分を見つめ直してみる
まず生い立ち
韓国(済州島の貧困街)の父と日本人の母の間の長男として生まれる
現在の家族構成は母、義父、姉、私、弟が2人、妹の7人家族
※韓国人の父は蒸発したらしい。顔も知らない。なんなら韓国に戸籍もないかなりややこしい人だったようだ
義父だと知ったのは高校3年の時
ずっとスポーツをしながらやんちゃばかりしていた私は卒業式を同期と迎えられ無かった
当時の学年主任の先生が
「おまえも大変な環境だったんだろう。めげてはいけない」と言ったのがきっかけだ
私は訳わからず
「何の話ですか?」と聞いたら
「実の父ではないと聞いた。腐るなよ。」
余計なお世話だ𐤔𐤔
私はそれを聞いても全く何にも思わなかったのだ
だから何?といった具合に
私は義父を本当の父だと思っているし
金正福なる人物が父だとわかっても会いたいとも思わなかった
自分の人生にその人は必要無かったから
その夜、物々しい雰囲気の家族会議なるものが開かれた
まるでヤクザの事務所に迷い込んだのかと思うくらい空気が重かったのを覚えている𐤔
家族会議は母、父、姉、私の4人だけ
私はすぐに悟った
「あぁ、下の子達は連れ子じゃないってことか」
事実を聞かされた姉は号泣したが、私は全く感情が動かなかった
姉は泣きながら私に
「あんた何にも思わないの?なんで何にも言わないの?」
私は言った
「逆に何を思う?言い方悪いけどどうでもよくない?何も言うことないじゃん。姉貴の父親は誰?俺の父親は目の前にいるし誰かも知らない人を父だとは思えない」
父も母も号泣した𐤔
家族会議はものの10分くらいで終わった
3人は相も変わらず泣きながら話していたけれど私は父がどれだけ苦労したか考えて感謝していた
ずっと厳しくて口うるさい母と黙っている父が苦手だったが、昔は韓国人差別もあって我が子を守るのに精一杯だったんだろう
母が包丁で私を刺して心中しようとしたり、かなり苦しめて悪いことをしたと反省している
そんなこんなでいろいろあったが一浪して消防士になった
父と母は痛く喜んだ
が、ヒーローをイメージしていた私は飲み方が汚く女癖の悪い職場に辟易していた
我慢の限界にきた私は気付いたら先輩を殴っていた
翌日何故か私が謹慎処分になったのでそのまま署長に辞表叩きつけて辞めた
和歌山に単身で出ていろいろ経験した
東京と和歌山を行き来して仕事するうちに悪いことも覚えてたくさんの人を泣かせたと思う
いわゆる半グレみたいなもんだ
警察のお世話になることは無かったが、深い友人の死をきっかけに全てから足を洗った
程なく父が脳梗塞で倒れたと母が訪ねてきた
どこで居場所を聞いたのか、母はすごい
とんとん拍子に話が進み、故郷に帰ることに
父は不屈の精神で歩けるまでになったが、手だけは相変わらず動かない
今でも仕事を続けている
父の夢だったクラウンも父専用に改造してプレゼントしたら楽しそうに乗っている
強い人だ
いま私は彼女と彼女の愛娘ちゃんと自分の愛娘の為に生きている
愛娘ちゃんは血は繋がっていないけれど、本当に可愛い
父もこんな気持ちで自分達のことを見ていたんだろうかと思うと尚更父が大きく見えた
初めてパパって呼ばれた時もすごく幸せだったろうな
自分も幸せだったから
最近本当の自分になってからすごく泣き虫になっている𐤔
強くあろうとして閉じ込めていた感情が帰ってきた
感受性が高く、愛に溢れていて、誰かの為に一生懸命にできる
そんな自分が大好きだ
本当の自分を暗い暗い岩戸から出してくれた彼女に感謝する
だから私は彼女を愛してる
今日彼女に1週間くらい会わないでおこうと連絡した
彼女が大好きだから
自分を見つめ直してみるいい期間だ
私の気持ちは何にも変わらない
この期間で更に気持ちは増すだろう
1週間とは言ったが1ヶ月、もっと伸びるかもしれない
私が成長するのに必要な期間だけ待って欲しい
連絡も取らないつもりだ
きっと男前に磨きをかけて帰ってくるからね
3人共今日も明日もずっと愛しているよ✨️
幸せな日々を祈っています🕊
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