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10/01 冒険について / FF6「仲間を求めて」

たまたま「冒険」について思いを巡らす機会があった。
思えば「冒険」を描くストーリーは古今東西様々なものがある。未知との遭遇、主人公の成長、勇気や仲間といった価値観の描写、世の中にある「冒険」には、実に様々な要素が盛り込まれている。そして、それらの要素は、幼少期の我々の好奇心だったものが、大人になってからは新たなアイデアへの挑戦だったり、チームで物事に取り組むことへの意義のような形で昇華がされていくもののように思われる。

多くの人は、創作物に触れる中で冒険譚に触れる機会があるはずであるが、人々は最初に何から冒険に触れ、多感な幼少期に冒険から何を得ているのだろうか。
史実伝記、小説、マンガ、映画、アニメ、ゲーム…様々な媒体があり、作品によって少しずつ力点の置いているテーマが違ったりもする。先に述べたように、大人になってからの思考回路にも影響を与えるかもしれないのであれば、最初にどういう冒険に触れたか、がその人のある種の非認知能力に与える影響はそれなりにありそうな気もする。

自分はゲームを介して触れてきた、が、ゲームで冒険といえばRPG。しかし、RPGにも二種類ある。
主人公が何もしゃべらないもの、本当の意味でのロールプレイングゲーム。ドラクエ、ポケモン、ゼルダ、クロノトリガー…これらは、自分自身を主人公に投影し、没入させることで冒険を擬似体験させる。主人公の目を通して、幼少期から壮年期までの人生を追体験したり、タイムマシンに乗って時代を行き来しながら諸悪の根源に立ち向かったりもする。
主人公がしゃべるもの。FF、テイルズ、KH…これらはキャラクターに感情移入することで冒険を擬似体験する。他のメディアの作品と同様、映画やアニメに近いかもしれない。

ゲームというメディアは、プレイヤーが一人称となれる、ということにおいて、他のエンタメメディアとは一線を画している。かつてのゲームブックのようなものを除けば、いまだにこの特徴を超えるメディアはない。
冒険の一人称としての擬似体験を可能とするRPG、これを経験したかどうか、それは大人になってからの行動様式に差をもたらしているのかもしれない。

つらつらしながら行き着いた物語の10のジャンル。なるほど確かに多くは当てはまりそうな気がする。

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Final Fantasy6「仲間を求めて」作曲:植松伸夫

散々つらつらいっておきながら、やっぱりFFが好き。
世界が崩壊し、仲間と散り散りになった後。主人公の一人、セリスは各地の仲間と合流していく。
セッツァーとの再会、崩壊後の世界の移動手段となる飛空挺ファルコンは、ダリルの墓の奥に眠っていた。セッツァーのかつての無二のライバルであり友であるダリルの飛空挺、かつての思い出と共に、「俺たちにもまだ夢はある。いやまだ夢を作り出せる!」というセリフと共に、崩壊後の世界に浮上していく、残る仲間を見つけ出し、瓦礫の塔に挑めると、失意に沈むセリスの心に希望の光が灯り始める、と、その時に流れるのが、この曲。

アツいね、泣かせるね。その前のフィールド曲は、絶望を凝縮して塊にして音楽にしたような曲なので、このアツい発進と共にフィールド曲が変わる、という演出は、何度見ても泣きそうになる。明るい中にもどこか哀愁と終末感があり、そんな中でも希望の光を感じさせるような曲で、とても作品のシーンや雰囲気にマッチしている名曲です。

本日のサムネのテーマ
「冒険、剣と魔法と未来文明、仲間を求めて、飛空挺、世界最速の男の翼」

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