見出し画像

パートナーシップからの小さな覚醒と大きな気づき

人は、過去の経験や体験、それが一度きりの傷ついた感情でもを、どこでもドアのように、いつまでも持ち続けながら、今にも未来にもその過去を生きるということがあります。

呼吸道の翌日、私の中で19年越しに本当の意味でのパートナーシップでのお互いの心と心を通じて、大いなる「愛」という純粋性を持ちながら、心と頭で通じあうことができました。

それは、一体どんな事だったのかとお話しするとパートナーとの対話の中で、いつも相手の中の怒りを感じながら、私自身その相手のぶっきらぼうな怒りの中に必死で愛のカケラを探しながら、受け入れられる時もあれば、もう、この人とは分かり合えないかもしれない、、と諦めてみたり、それはそれは余り人には言えない、本当の私の中での悩みでもあったかもしれません。

ただ、これをすぐに諦めようとは思わず、このパートナーシップでの私の中の学びはなんだろう?と、ずっと自問自答してきました。このパートナーの中にある怒りがどこから湧き出てきているものなのか?と。

もちろん、本人には自覚はなくそれが過去からの感情だという事に気づかず、今目の前に居る誰か?=私に対して、私が悪い。という理由で聞き入れてもらえなかったのです。

私は、その過去からの怒りという感情に気づきながらも、中々その本質を伝えられずにいました。私のパートナーは複雑な少年時代を過ごしていて父親からなぜか特別に厳しく愛が感じられないような扱いを受け続け、家ではいつも不機嫌な父親に家族みんなが気を遣い続ける生活をしていたそうで、小さい頃は夜中になるとおねしょを何度も繰り返していたそうです。本人が言うには、夜になると緊張から解放されておねしょをしていたんじゃないか。と話していました。

ちょうど、3月の春分の日にもパートナーシップでそんな過去の話しも話しながら、よく頑張ってきたね。というような事も話しながら、少しずつこの気づきに向かっていたんだと今なら思います。その頃から、不思議な話しなんですが小さい頃の彼が泣きながら立っている映像が私の中で見えるようになったんです。その姿が出てくるたびに、大丈夫だよ。大変だったね。と声をかけてイメージでですが抱きしめていました。

前日の呼吸道で私のチャクラの解放ワークなどを行ったこともあるのか、私の中でもずっと我慢をしてきた心無い対話に嫌気がさして、本音の本音でパートナーにぶち当たってみたのです。彼は、いつものように私が悪いの一点張りで聞く耳を持たない態度だったのですが、その小さい頃の彼が私に出てくる話しをして、赦してあげてほしいと伝えました。

俺はもう赦しているんだ。もうそんな過去は終わってるんだと言うのです。ですが、涙を流しはじめて、心が開きはじめたことを感じ、私が父親を赦せないことを赦してあげてほしい。

そして、今あなたが怒る原因になっている事は、過去の経験から今に重ね合わせて怒りを招いているんだよ。と話しをしたら、わんわんと涙を流していました。

確かに、毎日家族みんなが父親に気をつかってきたから、少しでも機嫌が悪いとか、何か注意をされるという雰囲気になると、それが怒りという感情が肩代わりするように彼を守ってきたのだと思います

そして、その怒りの奥には悲しみがあったんじゃないかな?と言うと、そうだね。と、とても純粋な本来の優しい目に変わりました。

今までよく頑張ってきたね。と肩をさすりながら泣きながら、ただ寄り添いました。

パートナーは、機械的な自我の行動パターンに一瞬にして気づくことができたように思います。

赦したいけど、本当の意味で赦せないでいる。それを隠すように、その自分も赦せなくて知らない内にがんじがらめになっている。一番辛いのは自分自身なんですよね。もっと、自分を愛してあげてほしい。怒りの奥にある悲しみ、そのもっと奥にある心の痛み。それに触れさせてくれたパートナーにも感謝をするのと同時に、私自身も心底癒され、二人で魂の目的を思い出したね。と話しをしました。このパートナーシップを乗り越えていく為に、約束をしてきたんだ。そんな風に感じたのでした。

愛はそこに在ることを教えてくれる為に。簡単には分かり合えないからこそ、より私自身を見続けることができた。そして、こういう事をセッションでもさせていただいているんだ。という話しをしたら、これは本当に必要な人が居ると思う。と話してくれました。その言葉も本当に嬉しくて、この家族で家族になれた本当の意味を知りながら、一人一人が自分の命を全うする。あれだけ頑なだった心が溶けて、そこに愛をみることができる瞬間というものは何ににも替え難いものであって形としてはない愛はただそこに存在しているという事を思いしったのでした。

この広い宇宙の中で巡り合った奇跡。生まれてきたすべてが奇跡の連続。

ありがとう。ありがとう。ありがとう。


ここからは、清水友邦先生のFBから↓↓↓↓

意識の目覚めが起きないと、あらゆる人生の荒波に振り回されて、繰り返し苦しむことになるのです。

人生に楽しみや喜びを見いだし、自分の境遇に満足し、自己探求の道を歩まなくともそこそこやっていけると思っています。

ところが心の奥には否定的な感情をしまいこんでいる人が多いのです。

自尊心を傷付けられると、たちまち反応して機嫌を損ね否定的な感情に陥ってしまいます。

私たちは本当の自分を忘れ自動的に振る舞う機械のような偽りの自我を自分と思っているのです。

偽りの自我は感覚からくる刺激に自動的に反応して大部分のエネルギーを浪費しています。

私たちはしばしば困難な状況に直面したとき、恐怖や不安が心を覆います。

何が起きているか自覚できないとその感情に支配されてしまいます。

子供の時に経験して無意識の層にしまいこまれた恐れが再び意識の表面に現れているのですが、自覚できないために飲み込まれてしまうのです。

思考は今ここにいられません。思考は、現在よりも過去や未来についての考えで一杯になっています。

今この瞬間を見れば不安や恐怖はそこにはありません。
今この瞬間からはずれ、過去の思いに行ったり、未来を想像したときに不安や恐怖がやって来ます。

心理的な苦しみを一瞬にして取り去る方法とは、今この瞬間に意識を向けて、自分の存在を感じることです。今ここに在ることなのです。

今この瞬間に意識を向けると思考や感情に覆われていない本当の自分に気がつくことができます。

今まで決まりきったパターンを何回も繰り返して、苦しんでいた人に覚醒が起きると、苦悩の最中に突然、自分が眠りこけて機械的な行動を繰り返していたことに、「はっ」と気づきます。

視野をこころ全体に拡げると、苦悩も喜びも、雲のように過ぎ去る心の大空の一部だということがわかります。

つらい時や苦しいときは、心が狭い範囲に限定されて気づきを失っているのです。

浮き沈みする感情の波に振り回されることがなく 本当の満足、真の喜びを知るには、それまで閉じていた心の眼を開いて、眠りから眼を覚ます必要があります。

それが「覚醒・気づき」なのです。

そして、それはどんな葛藤のただ中でもつかみ取ることができるものなのです。

覚醒が起きると、暗い世界は最初からありませんでした。
暗闇は頭の中の思考が作り上げていた幻想だったということに気がついたのです。

光はいまここにいつも在ったのに、強い思い込みが光を遮っていたのです。覚醒が起きると暗い世界は一瞬にして消え去ってしまいました。

覚醒は段階がなくプロセスもないのです。

覚醒は生まれ、容姿、職業、学歴、教養、勉強した年数も修行した年数も関係ありません。瞑想歴やスピリチュアル歴何十年を誇っても覚醒にとっては関係ありません。

覚醒は長い努力の果てにようやく達成されものではなく、今ここにある自然なものなのです。
選ばれた特別な人にだけ起きる事ではありません。

覚醒は誰もが生まれた時から自然にそなわっています。
それは最初からいつも、目の前に当たり前にあるのものです。

あまりにも普通に目の前にある為にかえって気がつかないのです。
原因は思考が真実を覆い隠しているからです。

ですから思考が自分ではないことに気がつけばいいのです。

気がつく事に努力は入りません。
それは条件がととのえば誰でも自然に開花します。

本当の自分を知る事は、さまざまな囚われから自由になることを意味します。

サーファーは波がやって来ないと楽しめません。
大きな波ほど喜び楽しみます。

避ける事ができない人生の荒波が来た時にサーファーのように内側から自然に勇気と喜びが湧いて、生きている実感をみなさんが感じ取れるようになることを願ってやみません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?