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事実と想像力のはざまにて

デイヴィッド・モントゴメリーという地質学者がいます。この人の有名な著書は、「土の文明史」、「 土と内臓 微生物がつくる世界 」、「土・牛・微生物ー文明の衰退を食い止める土の話」でこれらは全て築地書館より出版しているが、白揚社から「岩は嘘をつかない―地質学が読み解くノアの洪水と地球の歴史」という本が出版されていることは県の図書館で偶然見かけた。著者名にデイヴィッド・R・モンゴメリーとミドルネームの「R」が書かれているだけで同一人物と判明しなかった不幸な本だ。

正直この本は「信念」の存在が、正しい反論を無視したり、都合よく選択して自らの「信念」の材料にしたりする人間の「本質」が科学の世界では邪魔するものであると良く分かる内容だった。

現在でもアメリカでは「創造論」と呼ばれる聖書の教えを「無誤性」として受け入れ、進化論を否定する宗派が存在する。この本の時点ではアメリカ人口の約半数、2019年時点では4割がその考えを持っている。日本ではこんな事態は有り得ないのだが、これについてはアメリカの歴史を調べる必要がある。創造論を受け入れる人々は自らの「信念」でもって都合の良い科学的事実は受け入れ、自らの「信念」を揺るがす事実や論旨を無視したり、否定したりする。現在でも地球が丸いことを受け入れず、それをアインシュタインの相対性理論で「論じようとする人」もいるのだから恐れ入る。

地質学は近世に入ってキリスト教との教えとの教理的矛盾が地質という、嘘のつきようの無い厳然たる証拠でもって、数百年を要して徐々に受け入れられていった。特に産業革命においての石炭の発掘に地質学は貢献できたことが化石などが、「地球の寿命は聖書の教えよりとても長い」ことを分からせたということなのだ。

宗教の信念はとても強固であり、物証があってもそれを無視したり、激怒したりして批判して排除しようとする動きが長く続いた。ジョルジュ・キュヴィエによる化石研究、ジェームス・ハットンによる斉一説、チャールズ・ライエルといった名前は、地質学を勉強した人以外は知らない名前が続出する。こういった長い論証と物証調査の淘汰があって、20世紀には炭素14年代測定や放射線効果年代測定が生まれたことで、現代では物理的事実として受け入れられる様になった。

ところが、大洪水による天変地異が否定されると、今度は大洪水が起こった地質学的調査が異端視されるという事態も生まれる。アメリカ大陸では氷河期にはアガシー湖と呼ばれるハドソン湾の南側にあって、カナダのスペリオル湖へ、8000年前に最後の大洪水を引き起こし、膨大な量の淡水が大西洋に流れ込んだことによって、海流が変化し、メキシコ湾の北上が妨げられた。そのことが北ヨーロッパの気候が高緯度の割に温暖なのは、メキシコ湾流が暖かい海流を北大西洋まで運んでいるせいだ。前半は「地質学の学問としての歴史」を創造論との対比で述べる内容で、ちょっと興味の無い人には退屈な面もあった。

ところが、話が俄然面白くなるのは後半からで、洪水伝承はどうも粘土板などの発掘調査によれば、メソポタミア文明の頃にまで起源がある様で、ギルガメシュ叙事詩にはノアの洪水伝承に大変似た物語が書かれている。口頭伝承によって中東の広範囲で洪水伝承があることが様々な発掘調査で分かりだし、インドのマヌ法典にまで洪水伝承がある。ということは、旧約聖書の編纂者は中東に広く伝わる洪水伝承を編集して利用したということに違いないと、歴史的事実が分かってきた。、メソポタミア文明で有名なチグリス・ユーフラテス川はしばしば氾濫した川で有名であり、それを灌漑農業化するのに苦心した土地であることは発掘調査で分かっている。

さらに同著者の「 土の文明史 」によればそこに多数の人民が灌漑農業に勤しんだことによって、本来の肥沃な土壌が河川の氾濫で徐々に海の方に流れ出してしまい、現在の様な岩だらけで塩化を起こした土地になり果ててしまったという。

どこまでが歴史的事実かは、発掘調査の裏付けが無い限りは余計な推測を立てない方が賢明な分野なのが考古学や地質学と言える。斉一説という徐々に土壌が累積するという地質学の黄金律が生まれると、逆に今度は天変地異による膨大な生物の滅亡が地球誕生後に何度かあったことも、中々受け入れられない様になる。それでも20世紀後半には科学的証拠が増えてくるとともに、受け入れられる様になった。

「 大陸と海洋の起源 」を出版したアルフレート・ヴェーゲナーは、大陸移動説を唱えたが、20世紀初頭では全く受け入れてもらえなかった。日本の戦後の段階でも異端の説であり、手塚治虫が「 ジャングル大帝 」で取り上げた程度だったし、小松左京の「 日本沈没(上) 」、「 日本沈没(下) 」がその説の普及に大きく貢献し、1980年代でも教科書でこの説の受容に差があった程だ。日本でその説が「正式」に受け入れられたのは1990年代半ばで、阪神淡路大震災を契機にプレートや地層の存在を許容する様になった様だ。

民間伝承も馬鹿にはできない。2004年のスマトラ島沖地震では22万人以上の死者を出したが、インドネシアのシムル島の住民は8万人いた中で死者は7人だった。この島は1907年にも大津波に見舞われたが、この時の経験が「民間伝承」として語り継がれ、地震の揺れを感じた時に丘に逃げるべきと知っていたとインタビューで語られた。

ウォルター・ピットマンとウィリアム・ライアンの地質学者による「 ノアの洪水」という本もこの著書で紹介されているが、7600年前に黒海での大洪水調査が書かれている。しかしこれが創造論者を怒らせたという。著者もこの説に関しては感心している様で、その洪水のせいでシュメール人が南下してきたのでは?という推測も立てている。

北アメリカのミズーラ湖であった氷河ダム決壊に関しては、現在では先史時代に実際に起こったことが判明しているが、そこの土着のインディアンにはノアの洪水伝承とは違った民間伝承が確実に存在していた。結構最近になって、隕石爆発によって壊滅したと思われるヨルダンにあるテル・エル・ハマム遺跡があります。

「ソドムとゴモラ」…メギドの火とも神罰とも言われた有名な「旧約聖書」のエピソードですが、これだけ衝撃的なことがあれば伝説にされて当然かと思われる。この隕石爆発によって、死海の塩分を含んだ水が蒸発し、周囲を塩で汚染したせいで作物も育たず数世紀放置されたという。ロトの妻が神に振り返るなと言われたのに振り返ったために塩柱にされたというエピソードも遺体の塩化によって生まれた伝承なのかもしれない。

以上の様に、伝承をどう解釈するかは「文面通りであってはならない」が、完全に否定するなら科学的な「裏付け」が必要とこの本は教えてくれる。

しかし、想像力も必要ではある。何よりも「仮説」を立てて検証の遡上に上らせる必要がある場合も多い。けれど、考古学や地質学ではその領域はとても狭い。想像力の翼を上手に広げると伝奇小説の一つでも書けると思える位、今回の本は非常に興味が湧いたけれど、そういう文才が私にはなさそうだ。何より人間が描けない。


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