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アイデンティティが多様化した今だからこそ

おはようございます、こんにちは、こんばんは、多田です。

「こうであらなければならない」
そんな発想から解き放たれてるとは言わないまでも、今の時代はそこから解き放たれつつあるように思います。そういう観点では今は昔よりも生きやすいのかもしれません。
皆と同じテレビ番組を見なくてもいいし、同じような髪形や服装にもしなくても良い。それで許され、疎外されないような環境になってきました。
「普通」という存在しない教義に縛られる必要性が薄れたのだと思います。

ただ、その教義が間違いだったとしても、寄りかかる壁がなくなったことで、僕は「何者」であるかを認識することが難しくなったと感じます。
本来的に寄りかかる宗教が無い自分にとって、そのアイデンティティの希薄さは踏む場所全てが沼のような不安な感覚に陥ります。
そのため、「何者」であるかを自分で確立、再構成しなければいけないなと常々思っていたので考えてみました。
今日はそんな感じのお話です。 

・フレンチでの自分の行動


先日食事に行ったときの話です。
そこは独創的なフレンチのお店で、僕はその店のシェフのファンなので尊敬も相まってどの料理もおいしく感じられました。
僕がシェフの素晴らしさを布教していたからか、一緒に行った人から
「挨拶とか写真とか撮らなくていいの?」と聞かれました。
それに対して僕は、
「営業中で調理してるからやめとくよ。あと、心の中でそっと応援している方がいいかな」と言いました。
そしたら、
「結構日本人的なところがあるんだね」と言われました。

・海外旅行での振舞いのお話


また海外旅行でのお話。これは少し典型的で民族間の対立を煽るようなものかもしれませんが、実話なので書きます。

空港でのトランジットの際、僕たちは列に並んで順番を待っていました。そして、先頭になり自分たちの検査が次に迫った瞬間でした。
中国語を大きな声で話す数人組が、僕たちの前に割り込んできました。そしてさもずっと前から並んでいたかのように平然とそこに居座りました。

おぉ(笑)
そう感心しているのも束の間。後ろに並んでいた欧米人が声を上げました。
英語であったので意味は分かりました。彼らは僕たちに「なんで前を譲っているんだ。あちらがおかしいんだからちゃんと主張しろ」と伝えてきました。
僕らも被害者だけどなぁ。気持ちは分かるけど、すぐそこに張本人がいるんだからそいつらに伝えてくれよ。
慣れない地への出発なんだから、精神力を削らせないでくれよ。

そう思いながら欧米人を苦笑いで見てました。きっと聞こえているはずなのに中国人の反応は全くありませんでした。

三方、ステレオタイプな民族的特徴を携えていましたが、どう考えても日本人の感覚でいるのが人間として安心するなと思いました。



日本人的なところ。言語化が難しいけれども確かに自分の中に、取り除けないその価値観というものがあるのだと思いました。
きっと、価値観が画一的だった頃の人たちは、「私は〇〇である」と言葉に出さなくても、無意識的にそれを獲得できていたのだと思います。けれども今を生きる僕は自分自身の中で声に出さなければいけないはずです。

だから僕は古来から脈々と流れる価値観の再発掘をしようと最近は思っています。
それはありきたりな言葉で表現するのなら「わびさび」「武士道」「禅」「粋」。こういった概念を大切にすることだと思います。

そんなとりとめもないことを考えながら、職場の窓から富士山を見ようとしました。晴れているなら遠くに見える富士山は今日は雲に隠れて見えなくて、少し不安なような寂しいような気持になりました。

そんな気持ちになるあたり、「日本人」だなと自分を再確認した一日の始まりでした。

ここまで読んでくださりありがとうございます。
ぜひ、また読んでいただけるとありがたいです。


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