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10円玉と結婚のはなし

 お付き合いしているパートナーと2月に入籍することになりました。
 まさか自分が誰かと結婚することになるとは思っていませんでした。一人暮らしの時間が長く、自分の生活の仕方というのがあまりに確立されすぎていて、誰かがそこに入ってくるというのが、上手くイメージできなかったのです。傲慢だよなあと自分でも思うけど、これが正直なところです。

 周りの方に「どういうところが好きなの」とか、「なんで結婚しようと思ったの」とか聞かれることも多いのですが、どんくさい僕は、「いやあ、まあ…」と情けなく口ごもることしかできません。
 ですから、この場をお借りして、ひとつエピソードを紹介させていただきます。うまく答えられなかった問いへの供養として。そして、あのとき感じた瑞々しい気持ちを忘れないために。



 彼女も僕も風呂に入ることが好きだ。旅先で温泉旅館に泊まることもあれば、少し遠出して日帰り温泉に行くこともある。休みが合えば、まだ行ったことのない温泉を探して入りにいく。風呂からたちのぼる湯気の微細な粒をぼんやり眺めていると、日頃の疲れや悩みも湯気に乗って立ち消えていくような心もちになる。
 贅沢な旅館の風呂もいいのだけれど、地域に密着した地元の銭湯もいい。湯船に入って目を閉じていると、「よう」と常連客が声を掛け合うのが聞こえたりする。銭湯で人が争っている様子というのを、僕はあまり見たことがない。
 そんな気兼ねない地元の銭湯を、彼女と僕はしばしば訪れる。
 入り口のずらりと並んだ鍵付きの下駄箱には、靴が入っていないのに鍵のついていないものがだいぶんある。きっと誰かが鍵を間違って持って帰って、そのままになっているのだろう。彼女と僕は空いた場所に靴を押し込み、帳場で風呂から出る時刻を打ち合わせる。それから脱衣所の暖簾をくぐろうとする僕の背中に、彼女が声を掛ける。「10円玉、ちゃんとある?」僕は財布を開けて中身を確認し、「あるよ」と答える。そして彼女と別れ、脱衣所に入る。
 手早く服を脱いで浴室に入る。人々の話し声や湯が流れ落ちる音が高い天井に響いて、柔らかなこだまとなって僕の耳に入ってくる。僕はボタン式水洗の古風な洗い場で身体を洗ってから、湯船にそろりと足を入れる。湯の熱さに一瞬身体が強張ったあと、ゆっくりと筋肉が弛緩していく。幸せだと感じる瞬間だ。
 しばらく湯に浸かってから、脱衣所に戻る。下着を着たあとで、ドライヤーのコインタイマーに10円玉を入れて、髪をぐしゃぐしゃと乾かす。服を着て時計を見ると、約束の時間の15分前だ。僕は脱衣所から出て辺りを見回し、彼女が居ないことを確認してから、休憩所の椅子に腰掛け、持ってきた文庫本を読む。しばらく俯いて本を読んでいると、彼女の声が聞こえてくる。「ごめんごめん。遅くなったね」僕はゆっくりと顔を上げてからこう答える。「ううん、大丈夫」

 その日は月に一度ある銭湯の休館日だった。だが、仕事で疲れていた僕は、どうしても広い風呂に入りたかった。そこで彼女を誘って、家から少し離れた日帰り温泉に行くことにした。銭湯と比べると少し高いが、風呂の種類も多く、休憩スペースも充実しているため、僕たちはときどきそこを訪れる。
 いつものようにロビーで出る時間を打ち合わせたあとで、彼女が僕に言う。「10円玉、ある?」ここの温泉のドライヤーはコインタイマー式ではない。僕は意地悪く笑って、「要らんよ」と答える。彼女ははっとして、それから恥ずかしそうに笑う。そして僕たちは別れる。

 僕が湯船で目を閉じていると、先ほどの彼女とのやりとりが浮かんでくる。そうしてなぜだろう、出し抜けに大きな幸福感が僕を包み込む。
 あのときロビーや休憩所には、たくさんの人がいた。駆け出す子供を優しく窘める母親、椅子に座ってうつらうつらと微睡むカップル、集中して将棋を指す年の離れた二人、ソファに寝転んでテレビゲームをしている少年。そういう人々の顔が次々と頭に浮かんでくる。そして彼らの生活のひとつひとつが、とても愛おしいものに思えた。歯車がかちこちと規則正しい音を立てて、世界が正しく回っているような気がした。
 あのときの彼女の素朴な善良さが僕の心にすっと入ってきて、世界の見え方をすっかりと変えてしまったのかもしれない。

“When you are smiling, the whole world smiles with you”

 彼女がロビーで恥ずかしそうに笑ったとき、世界中がにっこりと微笑んだのだ。まるでビリー・ホリデイの古い歌みたいに。

 僕は湯につかりながら、彼女とのこれからについて考えた。そしてそのときの僕は間違いなく、彼女がつくりあげた平和な世界の住人のひとりだった。


僕はなんというか、そういう人と結婚します。