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十月の牛窓の思い出 ①

 岡山県の東に位置する瀬戸内市の牛窓町は、穏やかな内海に面した、風光明媚な土地だ。

 僕は先日、五年ぶりにそこを再訪した。
 よく晴れた日で、十月に入ったにもかかわらず、外は半袖でも少し汗ばむくらい暑い。丘の上から見下ろすと、海と空の間に水平線がすうっとまっすぐに伸びている。波ひとつない海面と、雲ひとつない青空は、そのまま逆さにすれば、どちらがどちらかよく分からなくなってしまいそうだ。どんより曇った空の下で荒波を立てる日本海を見て育った僕には、これが海だと言われても、いまだにうまく信じられない。
 でも五年前の牛窓の空を思い出すと、僕は思わず苦笑いしてしまう。



 青空を意味するイタリア語のCeleste(チェレステ)は、自転車メーカーBianchiのイメージカラーだ。
 フェリーチェ・ジモンディ、マルコ・パンターニ、数々の選手がチェレステカラーの自転車に跨って、伝説をつくってきた。

 ふとしたきっかけで、僕はその空色をしたクロスバイクを購入することになった。今から五年前の話だ。カメレオンテというユニークな名前の車体にはじめて乗ったとき、なんだか乗り手の僕が車体の方に急かされているような、変な感じがした。
 でも少しすると、その自転車はとてもよく僕の身体に馴染んだ。軽い力で漕いでも、すいっ、すいっと加速して、周囲のタウンサイクルを追い越してゆく。
 はじめは大学への通学に使用していたのだが、少し遠出したくなって、友人三人を誘ってサイクリングに行くことにした。今の読書会メンバーでもある、かげ、いっちー、みずしー、の三人だ。

 はじめは片道十五キロほどの行程の予定だったが、色々あって三十キロほど離れた牛窓まで行くことなった。
 ときどき道に迷いながらも、仲間と一緒に走る道のりは楽しかった。それでも二時間ほどかけて牛窓の町に着いた頃には、幾らかの空腹と、足に心地よい疲れを感じていた。我々はまずどこかで昼食をとることにした。
 スマホで調べた「楽土館」という店へ行ってみたが、およそ男四人で入るには似つかわしくない佇まいをしている。木で出来た手作りの看板には「玄米食堂 楽土館」の文字が書いてある。我々は黙ってしばらく顔を見合わせたが、空腹には逆らえない。意を決して狭い入り口を通り抜けた。

 入り口の狭さとは打って変わり、店の中は広々としていた。木張りの床に、丸い木の机と椅子が置かれ、端に置かれた木棚には、販売用に備前焼の食器や美しいガラス工芸品がセンスよく並べられている。壁には大きな窓が設えられていて、遠くに牛窓の海が見える。開いた窓から入ってくる風が心地よい。
 二時間の運動で汗臭い身体が急に恥ずかしくなってきたが、先述のように背に腹は変えられない。四人でランチを注文する。

 しばらくして運ばれてきた料理に、我々は目を見張った。二段組みの漆塗りの器の上側には、玄米が花の形に盛り付けてある。上の器をよけると、下側には野菜たっぷりのシチューが入っていて、豆でできたハムが添えてある。備前焼の器に盛り付けられた胡麻豆腐に、大根の酢の物、小豆と豆腐が入った汁物、端には手作りのゼリーまである。
 我々は思わず破顔した。合掌して、その手の込んだ料理をいただく。疲れた体に優しい味が沁みてゆく。誰もあまり喋らない。四人で黙々と食べたのが、いま思い出すとなんだか可笑しい。


 ランチを堪能した僕は、満腹感と体を包む微かな痺れに自らを委ねて幸福だった。適度な運動と美味しい食事、これ以上何が必要だろう?

 この後どうしようかと皆で話し合っていると、スマホを片手にいっちーが言った。

「近くにあるオリーブ園に行きたい」

 トラブルの前兆は、注意深く耳を澄ます人だけが捉えられるほどの、小さな声で発せられる。そのとき我々四人の中で、その一言が悪夢のはじまりだと予感できたものは誰もいなかった。

(②につづく→こちらから)