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十月の牛窓の思い出 ②

(この記事は後半です。前半はこちら

 オリーブ園へと繋がる傾斜のきつい坂道は、永遠に続くかのように思えた。

 自転車のペダルはまるで泥の中で漕いでいるかのように重い。先程まで心地よいと感じていた足の疲れは、シグモイド曲線のように急激に曲率を変化させ、鈍い痛みとなって僕を襲ってくる。さらには空気の塊のようなものが喉につかえて、上手く呼吸ができない。
 街中を颯爽と駆け抜けていたはずの僕の自転車は、今や牛歩の歩みだ。しかし、ペダルに込める力を緩めるわけにはいかない。
 物理の教科書に載っていた、重力のベクトル分解が頭に浮かぶ。坂の傾斜に応じて身体にかかる力に対抗する何かを、我々はどうにかして捻出する必要がある。その何かを「ああ」とか「おう」とかいう不恰好な声に求めて悪戦苦闘する我々を、車に乗ったカップルが涼しげに追い越してゆく。全く忌々しい限りだ。しかし今の我々にとっては、彼らへの怒りさえ、推進力のための貴重なガソリンだ。
 りんごの圧搾器のように、エネルギーの全てを余すことなく絞り出して、我々はなんとかその坂を上り切った。僕の身体は、圧搾器から取り出されたりんごかすのように、惨めで、ぼろぼろだった。

 十月はオリーブの実の収穫時期だ。たまたまその日は収穫祭が催され、オリーブ園の広場はたくさんの出店で賑わっていた。焼きそばや牛串の出店から強烈な匂いが漂ってくる。普段なら胃袋を刺激するであろう香ばしい匂いも、力を使い果たした今の僕には、軽い吐き気を催させる悪臭に過ぎない。
 我々は広場の端に置かれたベンチに座り込んだ。膝がかすかに震えている。なんだか自分の足じゃないみたいだ。

 それでも、小高い丘にある広場に吹き続ける風は、とても心地よいものだった。潮気を含んだ湿り気のある風だけは、瀬戸内海も日本海もそう変わらない。ゆっくり目を閉じると、遠い耳鳴りのように、眠気が周りを取り囲み、僕はとろとろと微睡んだ。

「…に……るわ」

 微かに聞こえた声に目を開けると、いっちーとみずしーがベンチから立ち上がっている。

「展望台に上ってくるわ」

 そう告げて、二人は展望台の方へとすたすた歩いて行った。さすがに日頃から部活で鍛えている連中は違う。
 隣でまだ座っているかげに、「かげは行かんの?」と聞くと、

「行かん」

と短く答えた。

 しばらくすると、上方に見える展望台の縁からいっちーとみずしーが顔を出した。楽しそうに笑い、我々も展望台へ来るように手招きしている。だが、僕の足は相変わらず鉛のように重く、地面に張り付いたままだ。「どうしようか?」と、かげの方を見ると、彼はふるふると静かに首を振った。

 展望台から帰ってきたいっちーの右手には牛串が握られていた。まったく、なんだってオリーブ園に来てまで牛串を食べなきゃいけないんだろう。僕には理解できない。

 いっちーが名残惜しそうに牛串の最後の一切れを食べ終えるのを待って、我々はオリーブ園を後にした。

 一般論として、何かをためるのは難しく、それを使うのは容易い。先刻、やっとの思いでため込んだ位置エネルギーを景気良く放出して、我々は下り坂を滑走した。上りの苦しみが嘘のように、丘の麓まであっという間だった。
 後は帰路につくのみである。

 だが、そのとき新たな懸念が我々を取り巻いていた。それは深い海の底からゆっくりと浮かんでくる水泡のように、静かで、不吉な懸念だった。

 雨が降ってきたのだ。

 もちろん僕は事前に天気予報を確認していた。そこには確かに曇りマークと降水確率20%の文字が書かれていたはずだ。だが改めて予報を確認すると、それは雨マークと降水確率70%の文字に変更されていた。まるで曇りの予報などはじめから存在しなかったかのように。
 やれやれ、これじゃあまるでオーウェルの『1984年』じゃないか。

 我々は一縷の望みとともに自転車を漕ぎ始めた。だが、我々のささやかな願いとは裏腹に、雨はどんどんその強さを増して降り続けた。水溜りで撥ねた泥が、僕の自転車の空色を濁らせてゆく。

 もはや誰も口をきく者はいない。我々はレースで逃げを打った先頭集団のように、一列棒状の隊形を組んで、黙ってペダルを踏み続けた。そうして進む間も、身体にへばり付いた服を雨粒は叩き続け、我々の体温を着実に奪っていった。

 途中でどうしても我慢できなくなって、皆でコインランドリーに駆け込んだ。ずぶ濡れの我々を見てぎょっとする客を他所目に、半裸になって服を乾燥機に放り込む。
 僕は掛け値なしに言うのだけれど、この時ほど乾いた服の温もりが身に染みたことはない。がたがたと震える身体に服を纏うと、ふわりとした繊維の感触とともに、柔らかな熱が肌をそっと包むのだ。あの時の感動は忘れられない。

 その後もひたすらにペダルを漕いで、ようやく自宅近くの見慣れた道を走っていると気が付いたときは、自然と歓声があがった。

 このようにして、僕のはじめての自転車旅は終わった。本当に散々な旅だった。
 でももちろん今となっては、すべては良い思い出である。僕はときどき抽斗からその思い出を取り出して、すっぽりと頭から被ってみる。乾燥機から取り出したTシャツの温かさの、余熱がまだ残っていることを淡く期待しながら。

(終)