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自宅に絵を飾る

美術館では鑑賞するのと同時に、「自分の家に持って帰るならどの作品だろう」と考えるのが好きです。「好きな絵だけどちょっと大きすぎるな…」とか、「これは玄関にいいな…」とか、「ちょっとウチのインテリアには合いそうもない…でも、欲しい!」とか、あれこれ妄想しながら観てまわります。一度友人と盛り上がりすぎて、学芸員さんに注意されたこともあります。その節は大変失礼しました…

学生の頃は売店でポストカードを買ったりして満足していたのですが、最近では我慢できずに作品を購入することもあります。美術品にお金をかけることってなかなかハードルが高いのですが、思い切って買った作品を眺めていると、「買ってよかったなあ」としみじみ感じます。自分で淹れた珈琲を飲みながら、ふと視線を上げると気に入った絵がある。別に絵じゃなくても何だっていいんだけれど、そういう温かい励ましって、日々の暮らしで大事なものだと思うんです。

今日はウチにある作品をいくつかご紹介させていただきます。筆者のエゴをぶちまけるだけの記事に凡そ価値があるとは思えませんが、もし興味のある方がおられれば、しばしお付き合いください。
なお、作品に対する所見・考察はすべて私見です。言うまでもありませんが、ご覧になった方が自由に感じていただくことが一番です。
みなさまにとって、何か気になる作品がひとつでもあると嬉しいです。
では、以下が本文です。

① 金井田英津子

内田百閒『冥途』(パロル舎)を読んで、作品と同じくらい金井田さんの挿絵に衝撃を受けました。彼女のつくり出す「闇」や「影」は、旧家の二階へと続く暗い階段のように、恐ろしくも私を惹きつけました。闇や影はどうしてこれほどまでに我々の気を引くのでしょうか?一見すると闇や影は黒一色の単調なものですが、ほんとうはそこに数多くの生物や物体がひしめきあっていることを我々は知っています。一方で、我々が眠りに落ちるのはそういった闇に包まれた世界です。すなわち闇や影は、不可知による不安と、眠りによる安心を同時に惹起するものと言えるかもしれません。金井田さんの作品は、そういったことを私たちに伝えてくれているように思えます。

さて、ウチにある作品ですが、「顕現」というタイトルのコラグラフ作品です。右上には二本足で佇む生き物のようなものがいます。ぐにゃりと曲がった体部と幾何学的な頭部の対比が面白いです。人間のようにも、ロボットのようにも思えます。下には前方に何かを吐き出している獣のようなものがいます。緑色に染まった世界の中で、二本足の頭部と、獣の瞳だけが赤く光っています。彼らの間には川のような、倒れた大木のようなものが横たわっています。そして二本足の手と獣の尾が、線のようなもので繋がれているように見えます。彼らは何かの交信をしているのでしょうか。
「顕現」ってあまり使わないことばですね。辞書には「はっきりと姿を現すこと(大辞泉)」とあります。「実体化」ともいえるかもしれません。「実体」が我々の目に見えているものだとすれば、「実体化」は「目に見えないものが、目に見えるかたちになった」といえそうです。つまり、目に見えないほんとうのものに、目に見える仮のものを通じて暫定的に接触できたというか。逆に言えば、知覚できるものはあくまで本質の写像に過ぎないということかもしれません。では、我々はどうやって本質に近づけばよいのか?私はその一つの方法が「想像」だと思います。そして、想像力を刺激することは優れた芸術の大切な役割だと思います。

なんだか理屈っぽくなっちゃいましたね…
金井田さんの作品は現在平凡社等から出版された本で見ることができます。


② 落田洋子

高校一年生のときに村上春樹さんの『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を読みました。装丁は司修さん。ピンク色の表紙にはフレスコ画のような謎めいた人物の絵が描かれていて、私の異世界への旅の助けとなってくれました。2005年に改装され、装画が落田洋子さんの作品になりました。彼女の作品はまさに村上ワールドの顕現といった具合で、私はいっぺんに好きになりました。

ウチにある彼女の作品は、小さい原画一枚と、銅版画一枚です。

原画は『夜猫ホテル』という絵本の挿絵に使われたものです。ベッドのようなものの上で男性(女性?)の左目から涙が流れ、泉のようなたまりへと注がれています。あるいは泉は彼の涙によってできたものなのでしょうか。ベッドにはストライプ柄の帯のようなものが伸びていて、彼のまわりには3つの「L」と1つの「U」の文字が浮遊しています。これらは何を意味するのでしょう。また、涙はどうして片目からだけ流れ出ているのでしょうか。
男性はそっと目を閉じて静かに涙を流しています。彼は何に対して涙しているのでしょうか。彼の顔に苦痛の様子は窺えません。涙は彼の意志とは無関係に静かに、とめどなく流れ出ているようにも見えます。もしかしたら彼は私のために(あるいは私の代わりに)泣いてくれているのかもしれません。彼が涙してくれることで、なんとか私は自分自身を保てているのかもしれません。もしそうであれば、すごく不公平であるように思えます。彼ひとりが世界の悲しみを背負い込んでいるような気がします。彼の流した涙は、ずっと乾くことなくたまりを大きくし続けます。誰かが彼のために涙を流してくれているといいのですが…

銅版画にはタバコをふかした猫が描かれています。彼の横には「EEe-hatov」と「KANETA…9月19日…ANA…GOKIGENYOROSHI…」の文字が。そう、この作品は宮沢賢治の『どんぐりと山猫』のオマージュなんですね。私はなんといっても『どんぐりと山猫』が小さい頃から大好きでした。絵本を読み聞かせてもらう度に、一郎くんと一緒にわくわくした気持ちで山猫に会いに行きました。本当を言うと、いま読み返しても似たような気持ちになります。あの作品には人のinnocenceをくすぐる要素がたくさん詰まっているのだと思います。
さて、作品ですが、山猫の頭上にはダイヤモンドや球のかたちをした物体が浮かんでおり、なんとなく宇宙を想像させます。一方で、細長い鞘のようなものから種子のようなものがこぼれ落ちています。この種子のようなイメージは度々落田さんの銅版画に現れます。なにを表しているのでしょうね。
山猫のとぼけた表情も相まって、作品からは楽しげな(でもちょっとだけ不気味な)イメージが漂います。食卓の前に飾っているのですが、食事を4%くらい美味しくしてくれている気がします。

落田さんの銅版画は『アフタヌーン』という作品集にまとめられています。絶版なのでなかなか手に入りにくいかもしれませんが、素敵な本なので機会があればご覧になってみて下さい。



③ 磯部光太郎

みなさんはどんな生き物が好きですか?私はかえるとかめが好きです。どちらも何を考えているのか分かるような分からないようなところが好きです。ウチでは小さいかめを一匹飼っている(ねむりくん : 雌雄不明)のですが、かえるは飼っていません。それで代わりにかえるの絵が欲しいとずっと思っていました。幸運にも少し前に気に入ったものを購入できたので、紹介させていただきます。

作者の磯部さんは「Biotop」シリーズとして身の回りの生態系を作品として描いておられます。かえるをはじめ、ほたるやとんぼ、かぶとむしなど、身近な生きものたちが登場します。
かえるの絵って、精細すぎると部屋に飾るにはちょっと不気味だし、擬人化しすぎると興醒めだし、結構難しいと思います。磯部さんのかえるって、その辺りのバランスがちょうどいいんですよね。

ウチにある作品のタイトルは「春を待つ」。椿の葉に雪が積もる季節に、2匹のかえるが落ち葉の下で寄り添うように冬眠しています。絵の上側、椿の背景の金色と、下側のかえるくんの背景の銀色の対比が美しいです。椿の葉の雪の滲みも素敵ですね。
ちなみに私は極度の冷え性ゆえ、彼らのように落ち葉1枚では到底越冬できません。これから寒い季節になると思うと憂鬱ですが、この絵を見て頑張ります。



④ 松本大洋

高校生のとき、友人から漫画「ピンポン」を教えてもらって、衝撃を受けました。独特の画風と魅力的なキャラクター、奥深いストーリー展開、どれもが新しい体験でした。そして、卓球といえば「稲中」として蔑まれていた卓球界に、ペコというヒーローを送り込んでくれた松本さんに、いち卓球部員として感謝の念でいっぱいでした(ちなみに、稲中も大好きな漫画です)。
松本さんの新刊はどれもワクワクしながら読みましたが、中でも「Sunny」は私にとって特別です。さまざまな理由から児童養護施設で暮らす少年少女を描いた作品は、いろいろな「かなしみ」の形を我々に提示してくれます。我々は物語を通過する過程で、彼らのかなしみを追体験することによって、心に小さな傷を負い、少しまともになってドアから出てくることができるように思えます。

さて、ウチにある作品は「Sunny」第1話の扉絵として描かれたものの版画です。UNIQLOのTシャツのデザインとしても販売されました。子供しか入ることが許されない廃車のSunnyには、主人公のはるおをはじめ、6人の少年少女が集まっています。そして車の前には6つの花が咲いています。これらはどれも野辺に咲く大して珍しくもない花かもしれません。でも、ありふれているからといって、それらの美しさやかけがえの無さが減じられるわけではないのです。物に溢れる世界で暮らす私たちは、ときどきそのことを忘れてしまいます。
この絵を眺めていると、「Sunny」を手に取って、ふたたび彼らに会いにいきたくなります。



⑤ 加藤ゆわ

最後は加藤ゆわさんの作品を紹介します。アート作品の購入方法は、作家や画廊から直接購入する「プライマリー・マーケット」と、一度人の手に渡ったものをオークション等で購入する「セカンダリー・マーケット」に大別されるそうです。この絵は私が初めてプライマリー・マーケットで購入したものです。まさか自分が画廊から絵を買う日が来るとは思いませんでした…

ある日Twitterのタイムラインを眺めていると、私の目に今まで見たことのない絵が飛び込んできました。浮世絵の美人画のようなタッチで描かれた女性の絵なのですが、残念ながらあまり美人とは言えなさそうです。でも、お気に入りの服を身にまとって、嬉しそうに喋ったり食べたりする彼女たちからは、いきいきとした生命力が漂っていて、私の目を引きつけました。そしてよく見ると彼女たちは、細くて美しい髪や、柔らかくて優しい曲線の手や、仄かに赤みが挿した滑らかな肌をしていました。なるほどこんなアプローチがあるのかと納得すると同時に、直接作品を見てみたくなりました。
それからしばらくネットで加藤さんの作品を眺めていたのですが、我慢できなくなって、厚かましくも加藤さんに直接連絡することにしました。次の作品展は2023年の12月であることをはじめ、絵の購入方や号単価という基本的な項目について丁寧に教えていただいたあと、「ソーダアイスキャンディ」という作品を購入させていただくことになりました。

作品には浴衣を着て右手にアイスを持った女性が描かれています。指先でそっとアイスの棒を支えるしおらしい様子とは裏腹に、垂れ下がった瞼や口から覗く生々しい舌からは、アイスに対する隠しきれない欲望が窺えて面白いです。外側に開いた両の手も楽しげですね。こういった対比のユニークさは加藤さんの作品の魅力のひとつだと思います。
そしてポップなデザインとは裏腹に、女性の顔や髪、蝶の柄をした浴衣などが非常に細かく描き込まれています。そしてその線が嫌味じゃないのです。技術を誇るために描かれた線じゃなくて、必要だから描かれた線というか。線に説得力があるんですね。職人技だなあと思います。
いわゆる普通の美人画とは異なるため、飾ったときにどう見えるのか不安だったのですが、思いのほか部屋に馴染んでびっくりしました。一見するとポスターのような構図だからでしょうかね。インテリアのことは考えずに、見境なく気に入った絵を買っているので、これは嬉しい誤算でした。玄関に飾って家に来た人を迎えてもらっています。


いかがでしたでしょうか。
狭い部屋に飾れる絵の数は限られているので、もう止めにしようと思いながら、素敵な絵に出会うと、欲望を抑えるのになかなか苦労します。
日本では美術館に行くのは普通でも、美術作品を購入することはすごく特別なことのように捉えられているように思います。でも、気に入った絵に囲まれて暮らすって、やっぱりいいものです。これからも身の丈にあった範囲で(そしてときどきはみ出しながら…)、絵のある暮らしを楽しんでいけたらいいなと思います。
読んでいただいてありがとうございました。